脱原発にも不可欠な「信頼できる規制委」
2012年9月19日に新たに発足した「原子力規制委員会」。この組織が、どこまで深く「国民の信頼」を獲得していくことができるかは、「脱原発派」「原発推進派」の立場を問わず、極めて重要な問題であろう。なぜなら、福島第一原子力発電所の事故によって開いた「原子力のパンドラの箱」から、今後、次々と解決困難な問題が飛び出してくるからである。具体的には、周辺地域の除染とモニタリング、避難された方々の帰還と地域の復興、将来における放射線障害の不安と被害訴訟、膨大な汚染水とその処理による大量の放射性廃棄物、メルトダウンした原子炉の困難な廃炉、貯蔵場所の無い使用済み核燃料、トラブル続きの核燃料サイクル施設、最終処分が困難な高レベル放射性廃棄物、などの諸問題である。
そして、もし、新たに発足した原子力規制委員会が、国民からの信頼を獲得することができなければ、今後、これらの諸問題に対する原子力行政のすべての取り組みは、常に国民の不信と疑惑のまなざしにさらされることになる。それは「原発を推進する立場」にとってだけでなく、「脱原発をめざす立場」にとっても、極めて大きな障害となって立ちはだかることになろう。なぜなら、たとえ「脱原発」をめざすとしても、全国54基の原発の廃炉を行うときに発生する膨大な放射性廃棄物の処理、貯蔵、処分の問題に直面するからである。また、「原発推進」の立場に立っても、原発は、耐用年限を過ぎれば、いずれ廃炉することになり、通常の運転においても必ず放射性廃棄物が発生する。
この放射性廃棄物の安全な最終処分の問題は、いま、世界中の原発保有国が直面している問題であり、「国民からの信頼」抜きには一歩も進めることのできない難問であることを、我々は理解すべきであろう。
では、どうすれば、原子力規制委員会は、失われた「国民からの信頼」を回復することができるのか?
そのためには、まず、世界の原子力規制組織が立脚している「根本原則」を、我が国の原子力規制委員会も、貫くべきであろう。
それは、「原子力規制組織は、国民の生命と安全の観点からのみ、原子力施設の安全性を判断する。その判断において、事業者の経済性や経営への配慮は、一切行わない」という原則である。
この原則は、世界においては「常識」となっている。しかし、残念ながら、従来の我が国の原子力規制組織は、そうではなかった。国会事故調査委員会によって「規制組織が、事業者の虜(とりこ)となっていた」と指弾されたように、安全規制の判断において、電力会社の事情や要望に配慮した「灰色の判断」が行われてきたことは明らかである。
そして、あの悲惨な福島原発事故は、当初語られた「千年に一度の想定外の天災」によって引き起こされたものではなく、むしろ、「想定されていた災害や事故」への対策を怠っていた原子力規制と電力会社の「なれ合い」にこそ根本的原因があったことは、国会、政府、民間それぞれの事故調査委員会の原因究明によって明らかになっている。
例えば、「想定以上の高さの津波」が来る可能性については、東京電力も原子力安全・保安院も認識していたが、適切な対策を怠っていた。また「全電源喪失が起こり得るのではないか」との国会での質問に対しても、原子力安全委員会は、「その可能性は無い」との判断を語っていた。こうした事実は、いまや、多くの国民の知るところとなっている。
12年9月に、原子力安全委員会や原子力安全・保安院を始めとする原子力規制組織の大改革が行われ、原子力規制委員会が新たに設置されたのは、何よりも、こうした「事業者の虜」と指弾される体質や文化を根底から改め、失われた「国民からの信頼」を回復するためであることを、決して忘れてはならない。
活断層への判断が信頼のカギ
では、原子力規制委員会は、これからどのようにすれば、国民からの信頼を回復していくことができるのか?それは、単に、上記の「原則」を語ることによってではない。
国民は、原子力規制委員会が「どのような原則を語るか」ではなく、個別の規制案件において「どのような具体的な判断を下すか」を注視している。その判断によって、原子力規制委員会が、真に「国民の生命と安全の観点からのみ判断をしている」かを、敏感に感じ取っていくだろう。
その具体的な規制案件の一つが、大飯原発の活断層問題であろう。この原発の下を通っているのが「活断層」なのか否かについて、専門委員の間で見解が分かれ、また、関西電力は、原子力規制委員会に対して「活断層であることの科学的根拠」の説明を求めている。
たしかに、「活断層である」との規制委員会の判断で原発を止めざるを得なくなったとき、極めて大きな経済的損失を被る電力会社の立場は理解できる。しかし、ここで原子力規制委員会が「事業者の経済性や経営へ配慮して規制判断をした」と国民から疑念を持たれることは、極めて大きな「世論の逆風」を生み出すことになるだろう。それは、原子力規制委員会にとってだけでなく、電力会社にとっても、最悪の状況を生み出すことになろう。
そして、この問題について、電力会社は、「安全規制の原則」を理解すべきであろう。
なぜなら、安全規制においては、通常の「裁判の原則」と全く逆の原則が貫かれるからである。裁判においては、「疑わしきは、罰せず」という原則があるが、安全規制においては「疑わしきは、罰する」という原則が貫かれる。
そもそも、福島原発事故の真の原因は、想定以上の高さの津波や全電源喪失など、「起こるか起こらないか分からない事象」に対して、「おそらく起こらないだろう」(疑わしきは、罰せず)という判断をしたことであった。この痛苦な教訓を、決して忘れてはならない。
そして、この「疑わしきは、罰する」という原則の場において、電力会社が原子力規制委員会に対して「危険であることの証明」(活断層であることの科学的根拠)を求めることは、正しくない。むしろ、この原則の場では、電力会社が「危険でないことの証明」(活断層ではないことの科学的根拠)を原子力規制委員会に対して行わなければならない。「論証義務」を負うのは、原子力規制委員会ではなく電力会社である。そのことを誤解してはならない。
原子力規制委員会がこうした「安全規制の原則」を貫き、「国民の生命と安全を守る」という観点から規制判断を下し続けるならば、おのずと国民は、原子力規制委員会に対し信頼を寄せるようになっていくだろう。そのことを、一人の国民として期待したい。
「廃棄物最終処分」という最大の難問
しかし、たとえその通りに進んだとしても、原子力規制委員会の前途には、「原子力規制の最大の難題」が待ち受けている。それは、「核廃棄物の最終処分」の問題である。
12年9月11日に日本学術会議が、「現在の科学で、地層処分の10万年の安全を証明することはできない。したがって、我が国において地層処分は行うべきではない」との提言を、政府に対して提出した。そして、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物などの核廃棄物については、数十年から数百年の期間、「長期貯蔵」(暫定保管)をするべきであり、その場合、発生する核廃棄物の上限を定める「総量規制」を導入する必要があると提言している。
この結果、政府が、我が国における地層処分を、従来の計画通りに進めようと考えるならば、政府は、この日本学術会議と国民に対して、「地層処分の10万年の安全」を証明しなければならなくなった。また、長期貯蔵の政策に切り替える場合には、核廃棄物の「総量」をどう定めるか、長期貯蔵施設の「安全基準」をどう考えるかなどを検討しなければならなくなった。
すなわち、原子力規制委員会は、今後、「原子力施設の安全性」についての規制をするだけでなく、「核燃料サイクル全体から発生する核廃棄物の長期的安全性」についても、規制をしなければならなくなる。