一時期、最低26%(毎日新聞7月世論調査)にまで下落した第三次安倍晋三第二次改造内閣の支持率は、第三次改造内閣発足後の8月の同調査では35%、他社でも小幅ながら回復を見せた。それ以前、例えば産経新聞ほかの調査では、5月、6月まで若い世代の内閣支持率は、他世代に比べ顕著に高かったという事実がある。それはなぜなのか? 今後はどうなるのか? 政党の情報戦略を研究し、ネット選挙関連の著書もある西田亮介東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授に聞いた。
(撮影/尾崎康元)
安倍内閣が日常光景の若年世代
今年(2017年)8月3日の改造前の安倍内閣は、南スーダンPKO日報問題、森友学園国有地払い下げ問題、加計学園獣医学部問題、さらには自民党議員の失言など問題が続出したことで、様々な調査で内閣支持率が顕著に下がっていきました。
しかしながら同年7月25日発表の産経新聞とFNNの合同世論調査「性別・年代別の内閣支持率推移」によれば、同年5月の時点では10代・20代の内閣支持率は男性70.8%、女性70.6%と非常に高い数値でした。重大なインシデント(事件)があっても有権者や世論がそれに反応するにはある種のディレイ(遅れ)が生じることもあり、6月になっても男性58.3%、女性54.4%と過半数を上回っていました。
さすがに7月に入ると、44.4%、33.8%となったものの、男性では他の世代よりも高い数値でした。また30代男性は7月になっても53.3%と、唯一不支持より支持率が高い結果となりました。
4月以前も、10代、20代、30代前半を含めた若年世代では、自民党、あるいは安倍内閣に対する支持率が高かったことが知られています。これには、他の世代同様、現実的な政権担当能力を持ったオルタナティブ(他の選択肢)が見当たらないという理由以外に、次のようなことを指摘できます。
まず、年長世代とは違い、若年世代は安倍内閣という政治的光景が標準的なものになった、言い換えれば、他の政治状況を少なくとも経験的には知らない世代と見なすことができるということです。安倍首相は戦後の歴代首相の中でも、長期の政権維持を続けていることは紛れもない事実です。この層には、安倍政権こそが日常の光景であり、安倍内閣になれ親しんでいる世代であるということです。
現在20歳ならば第二次安倍内閣が発足した2012年当時は15歳、30歳でも25歳です。彼らにとって現政権が標準路線となっており、年長世代に比べて政権交代という想像が及びにくいのではないでしょうか。少なくとも、2000年代前半からおそらく2009年の政権交代当時がピークだったと思いますが、当時の民主党への期待が高まっていった状況などを記憶しているとは考えにくいでしょう。
若年層では現政権が標準路線
日本の政治の欠点の一つに「なにも決められない」ということがよく言われます。いろいろな批判はあるものの、安倍内閣は何事かを「決定」してきた内閣であると言うこともできるでしょう。たとえば最低時給の引き上げや子育て環境の拡充、女性の活躍環境拡充です。従来指摘されていた課題ではあり、未だ十分とは言えませんが、これらに積極的であることは疑いえません。賛否ありますが、平和安全法制と共謀罪も「決めた」という点では同様です。
また、失業率や株価では、良い数値が出ています。
前者では、少子化との関連、正規雇用と非正規、給与の伸びには至っていないといった問題点があります。後者でも、バブル期と比較すれば、まだそこには至らないという考えもありますし、第二次安倍内閣以前はリーマンショックや東日本大震災の影響があって下落したとも言えます。それでも、数値という分かりやすい指標が改善することによって、「ニュースは見出ししか見ない」という若者の中には好印象を持つ人がいるということです。
日本では、一内閣が為す仕事というのは、特に近年は短命内閣ということもあり、一つか二つの問題解決程度で十分と言われてきました。そうした日本の政治の伝統と比較すると、安倍内閣はそれなりの成果を生み出している内閣と捉える人がいても不思議ではありません。
各党のネットメディア戦略
もう一つの理由としては、マスメディア対策をしてきた自由民主党がネットメディア対策に関しても戦略的、継続的に行ってきたことが挙げられます。
実は、2000年代前半は、ネットメディアに関して野党第一党の民主党(当時)のほうが積極的に取り組んでいました。それどころかこの分野をリードするような存在であったと言えます。第43回衆議院議員選挙のあった2003年には、コミュニケーション・コンサルティング会社と契約、ネットを使った選挙PRを本格的に開始しました。
ネット選挙解禁に関しても、1996年、新党さきがけが先に、自治省(現総務省)に対し、インターネットの選挙活動に関する質問書を提出したものの、民主党は98年以降、選挙解禁を求める公職選挙法の改正案を全5回提出し、積極的に推し進めていました。
分水嶺は2005年の第44回衆議院議員選挙だったと思います。
2003年の第43回衆院選、2004年の第20回参院選で民主党が躍進を遂げたことで、自民党は危機感を募らせました。そこで、それまで国民があまり関心を持っていなかった「郵政民営化」を前面に打ち出し、大手広告代理店のアドバイスを受け、それまでどちらかと言えば無口といわれていた小泉純一郎首相のイメージを刷新、身振り手振りを取り入れた演説などをレクチャーします。全国各地を回る討論会「郵政民営化TVキャラバン」を広報戦略の一つとし、「小泉内閣メールマガジン」などネットも活用しました。結果、選挙で大勝し、自民党にとってこうした広報戦略は成功体験として記憶されることになったのです。
一方、民主党には、選挙に負けたことにより、ネット戦略までもがネガティブな体験として記憶されました。コンサルティング会社との契約も解除し、ネット推進派の議員も鳴りを潜めます。以後、民進党になってからも百花繚乱的な取り組みはしているものの、体系的に発展させるまでには至っていません。
それ以外の野党はネットメディア対策で十分機能しているものはあまり見当たりませんが、共産党は早くから着手していました。現在も「共産党カクサン部!」というサイトで、部長の「カクサン」や「雇用のヨーコ」などのキャラクターを使って問題提起をしていて、なかなかよくできたサイトです。
自民党のネットメディア戦略と綻び
その後も、自民党は試行錯誤しながら一貫してネット関連分野に対し、注力してやってきたと言えます。2010年には「自民党ネットサポーターズクラブ」を結成、ボランティア募集などにも活用しました。第二次安倍政権になってからは、ネット選挙運動解禁にも主導的な立場をとり、2013年にはネット選挙活動解禁を訴える若者の団体「One Voice Campaign」の取り組みを評価した安倍首相のメッセージの動画をYouTubeで公開、自分たちは若い世代の声を受け積極的に活動しているとアピールしました。
こうしたことが結実した一例が、第23回参議院議員選挙投票日の前日、2013年の7月20日に安倍首相が秋葉原の「ガンダムカフェ」前で行った応援演説だと思います。そこには自民党支持者だけではなく、秋葉原の住人とも呼ばれる“オタク”も数多く集い、演説の様子をネットにアップし、拡散させ反響を呼びました。ネットメディアへの働きかけが投票に直接つながるのかどうか、その効果測定は困難ですが、少なくとも若年層に自民党の存在を認知させる訴求力はあったと言えるでしょう。