2019年2月の沖縄県民投票では、辺野古基地建設反対が7割を超えた。ところが日本政府は沖縄県民の声を無視して、基地建設工事を着々と進めている。なぜ沖縄の民意は、日本政府に届かないのか。『主権なき平和国家』(集英社クリエイティブ)の著者、伊勢崎賢治さんに聞いた。
ハンガーストライキは、非暴力抵抗における「最終手段」である
今回の沖縄県民投票では、宜野湾市出身の大学院生、元山仁士郎さんが、当初投票不参加を表明していた宜野湾市の市役所前でハンガーストライキを行ったことが注目を集めました。
ハンガーストライキ(断食による抗議行動)といえば、インド独立運動の指導者・ガンディーを思い浮かべる人も多いでしょう。ただ、知っておかなくてはならないのは、ガンディーにとっての断食は常にぎりぎりの「最終手段」だったということです。
ガンディーは徹底して「非暴力」を訴えた人ですが、最悪の場合死に至ることもある食を絶つという行為は、一種の「暴力」にほかなりません。つまり、本来「禁じ手」であるはずの暴力を使ってでも訴えたいことがガンディーにはあった。インド独立を前にしてムスリムとヒンドゥー教徒の対立が深刻化した時に、殺し合いなどやめろ、もう一度結束しようという、同胞に対する抗議の意思表示として、やむなく断食をしたわけです。
それしか手段がない、本当にぎりぎりの段階まできていると考えたからこそ、ガンディーは「これは暴力行為だ」と自覚しつつも断食という「最終手段」を取った。そして、その覚悟が同胞たちからも理解され、共有されたからこそ、ガンディーの行為は多くの人を動かすに至ったのです。
今回の元山さんの場合、本人はともかく、支援する人たちに、そうした「最終手段」「暴力行為」だという認識があったのかどうか、私は疑問に思っています。もしあったなら、インターネットなどでしばしば目にした「頑張れ」といった無責任な言葉が出てくるはずはないからです。
あのハンガーストライキが結果として成功だった、失敗だったという話はしたくありません。「次やる時はこうすべきだ」とも言いません(「最終手段」なのだから、「次」があってはならないのです)。ただ、ハンガーストライキというものがそんなに軽い行為ではない、非暴力主義者だったガンディーがやむなく取った「暴力行為」なんだということは、もっと認識されるべきだと思います。
米軍の要求を、アメリカ政府よりも聞き入れている日本政府
さて、今回の県民投票自体については、意味があったかどうかと問われれば、イエスでもあるしノーでもある、としか答えられないと思います。
そもそも、「辺野古に基地を作るかどうか」は、アメリカ政府にとって大した問題ではありません。辺野古基地ができた場合に、そこを使用するのは主にアメリカ海兵隊です。とにかく機動力勝負、米軍が他国に攻め込む時に先陣を切って任務を遂行する部隊ですから、彼らが常駐する場所なんていうのは、どこでもいいのです。だから、辺野古に基地は作らないということになっても、アメリカ政府はそれほど問題視しないでしょう。
ただ、軍の言い分はまた別です。軍というのは、特殊技術を身につけた職能集団ですから、その技術を生かすために「こうしたい」「これが欲しい」という要求が山ほどある。もちろん、それを全て聞いていたら国の予算を全部持っていかれますから、そこをコントロールするのが政府の役割なわけです。
ところが、ここが日米関係の特殊なところで、日本政府は恐らく、アメリカ政府以上に米軍の要求を聞き入れている。ノンフィクション作家の矢部宏治さんが著書で、政治家は参加せず在日米軍幹部と日本の官僚のみが出席する「日米合同委員会」によって多くの重要事項が決められていることを指摘していますが、まさにそういうことが行われているのだろうと思います。通常、相手国の軍が何を言っても、政府を通じた交渉でなければ相手にしないのが外交というものですが、日本政府と米軍の関係については全くそうなっていないのです。
だから、米軍は日本のどこにでも基地を作れるし、好きな時に好きな訓練をできるし、米兵や米軍属が事故や事件を起こしてもほとんど罪に問われない。本来、軍事組織のわがままを許さないのが民主主義のはずですが、日本は外国の軍隊の要望にその国の政府以上に応じるという、異常なことをずっと続けているわけです。
現在の日米関係は「隷属関係」
米軍にこうした恩恵を与えている日米地位協定は、よく「不平等条約」だと言われます。しかし、今の日米関係はもはや、「不平等」というレベルですらありません。冷戦の終結以降、他国に駐留する時の米軍の考え方は大きく変わったにもかかわらず、日本では全くその変化に追いついていないのです。
つまり、戦時でないにもかかわらず他国の軍隊が駐留しているというのは、一種の「主権侵害」であって、長期にわたる駐留を可能にするためには、受け入れ国の国民感情に配慮することが不可欠だと考えられるようになった。そして、駐留にあたって地位協定を結ぶ場合にも、どちらの国がどちらの国に駐留する場合でも同じ特権を認め合うという「互恵性(ごけいせい)」が組み込まれるようになったのです。これは、どんな小さな国でも法的にはアメリカと対等なのだということです。駐留米軍のすべての行動を受け入れ国の「許可」が左右する。「同盟国」であるドイツ、イタリアを含むNATO諸国においては、そうした考え方が「文化」として既に根付いていますし、フィリピンやアフガニスタンなどがアメリカと結んだ地位協定にも、完全ではないにせよ互恵性の考え方が採用されています。
しかし、日本だけがこうした変化に全く対応できていません。日米地位協定は、日本が米軍に一方的に特権を認めているだけの条約であり続けています。現状の日米関係は、外交関係というよりは隷属関係であり、日本には独立国家としての権利──主権が存在していないに等しいと言えるでしょう。
米軍による事故や事件が起こるたび、日本はアメリカに「隷属関係の中での待遇改善」を嘆願する。それがこれまでの日米関係でしたが、もはやそういう時代ではないのです。
沖縄が取るべき道は「独立」しかない?
今回の沖縄県民投票が、こうした隷属関係そのものを変えることになるとは思いません。基本的には「辺野古に基地を作らないでほしい」という、従来の待遇改善の訴えの枠を出ていませんから、日米関係の本質的な改善につながるかといえば、そうではないでしょう。
ただ、だからといって今回の投票に、全く意味がなかったとも思いません。それは、沖縄で起こっていること、そこに住む多くの人たちが基地建設に反対しているということが、ある程度国際的に周知されることになったからです。英語メディアにも多く取り上げられ、アメリカ発の署名運動なども起こりました。これは、今までの基地反対運動にはなかったこと。元山さんのような若い世代が行動を起こしたことによる大きな変化だし、そこは評価されるべきだと思います。
一方で、日米関係のあり方を本質的に変え、きちんと政府同士で物事を決定する対等な関係を目指すのであれば、沖縄だけではなく日本全体でそうした世論を形成していく必要があります。しかし実際には、基地問題や沖縄の状況に対する「本土」の関心はあまりにも低い。多くの人が、基地問題は「沖縄の問題」だと思っているのが現状でしょう。