安倍内閣は、開会中の第201回国会(2020年1月20日~)に、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律案」(以下、「高齢者雇用安定法案」と略称)を提出した。改正事項を簡単に言えば、「事業主に対し、新たに65歳から70歳までの雇用もしくは就業の確保を図る努力義務を課すこと」となる。高齢になっても働く意欲のある人たちのために、良好な雇用機会を提供するのであれば悪い話ではないだろう。
ところが、この法案は、労働者のニーズに寄り添うように見せかけて、実はそういうものではない。安い労働力を必要に応じて使いたい事業主のニーズに応え、かつ、政府が進めたい年金制度の改悪を補完するための制度づくりに思えてならない。
そう考える理由として問題点を3つあげたい。第一に、この法案の「建議」には「個々の高年齢者のニーズや状況に応じた活躍の場の整備を通じ、年齢にかかわりなく活躍し続けることができる社会の実現を図る」と書かれているのに、同じ文書の中に「対象者の限定を可能とする」とされている点だ。つまり、事業主は高齢の労働者を選別することができ、働きたいという希望が必ずしもかなうわけではない。労働者のための法案という説明と制度の内容に食い違いがある。さらにこの選別排除については法案には明記されず、後から決められる指針で詳細を定めることになっている。争点隠しを疑いたくなる。
第二に、高齢者に「働かない」という選択肢がない点である。労働者からすれば、事業者から選ばれなかったり、納得できない内容や労働条件の仕事が提示されたりする場合には、働かなくても生活できる選択肢もなければ困ってしまう。だが、その道は事実上、ふさがれつつある。今後さらに進められる年金支給額の引き下げと、年金支給開始年齢の70歳以降への引き上げ、医療費や介護費用の自己負担の増加等により、高齢者は生きるためには働かざるを得ない状況に追い込まれ、労働者は仕事を選べなくなる。この法案は、そういった状況を前提としている。
第三に、事業主が示す働かせ方の選択肢は、必ずしも(労働契約がある)「雇用」だけでなく、「就業」、すなわち委託契約のみでもよいとされている点である。詳細は以下で述べるが、労働者を労働法による保護から外してフリーランス化する制度を、なんと労働法の中に創設しようとしている。
つまり今回の高齢者雇用安定法案は、安倍政権が「全世代型社会保障改革」と名付けた政策パッケージの一部として、労働法制の規制緩和を進めるものである。実現すれば、高齢者の雇用・労働条件・生活水準を低下させ、その悪影響は、青年・中年層の雇用・労働条件にも及ぶおそれがある。以下で法案の概要と問題点をもう少し詳しく指摘してみたい。
雇用確保措置が就業確保措置にすり替わる
まず、現在の高齢者雇用安定法は、事業主に対し、65歳までの「雇用確保措置」をとることを義務付けている(第9条)。その方法は、①定年の引上げ、②継続雇用(子会社・関連会社など特殊関係事業主での継続雇用を含む)、③定年の定めの廃止の3つで、事業主はいずれかを講じなければならないとされている。
今回の「改正」は、第9条に加えて第10条の2を新設し、事業主に対して、70 歳までの「雇用」もしくは「就業」の確保を図る努力義務を課すものである。「雇用」のメニューは、上記65歳までと同様の①~③に加え、④子会社・関連会社等以外の企業への再就職制度でもよい。
これら雇用確保措置自体にも、年金支給開始年齢の引き上げのための露払いであることや、生活できる賃金を確保するといった雇用の質を守る視点がないなどの問題があるが、より重大なのは、法案の同条の「ただし」書き以降である。一定の要件を満たせば、「就業確保措置」でもよいとされているのだ。そのメニューは、⑤委託契約あるいは、⑥事業主が実施もしくは委託、出資等する社会貢献事業での有償ボランティアである。⑤⑥は雇用と並列させる選択肢ではなく、委託契約だけでもよい。
端的に言って、事業主の多くは、労働法の規制を邪魔なものと考えている。そこに労働契約ではなく、委託契約で働かせてもよいという制度が示されたらどうなるか。いわゆるフリーランスとして働かせるケースが増えるのではないだろうか。
「就業確保措置」の問題点
(1)高齢者の安全を軽視している
(委託契約による)「就業」のどこが問題かと言えば、労働法の適用が外れ、最低賃金規制も労働時間規制もかからない働き方となることだ。特に高齢者で懸念されるのは、労働安全衛生の問題である。60代後半の労働災害の発生率は、20代後半に比べ、男性で2.0倍、女性で4.9倍と高くなる(図1)。加齢の影響が目立つのは転倒、転落・墜落、交通事故など、命に関わるものも多い。特に経験のない業務においては、高齢者の労災発生率は格段に高くなる(図2)。命を落とさないケースであっても、治癒にかかる時間は長くなる。また、健康寿命が長くなっているとはいえ、疾病を抱えながら就労する人の割合は、加齢につれて増加する。無理はできないのである。要するに、高齢者雇用安定法案の対象者は、安全衛生面で特段の配慮が必要な人たちであり、労働基準法はもとより、労働安全衛生法、労働者災害補償保険法、労働組合法等による保護を強化すべき人たちなのである。
「事業主に対し、新たに65歳から70歳までの雇用もしくは就業の確保を図る努力義務を課すこと」
立法根拠となる首相直属の諮問機関「全世代型社会保障検討会議・中間報告」(2019年12月19日発表)によれば、制度の定着状況をみて、いずれ義務化するとしている。
建議
厚生労働大臣の諮問を受け、労働政策審議会(職業安定分科会雇用対策基本問題部会)によって2019年12月25日にまとめられた法案に関する結論。「高齢者の雇用・就業機会の確保及び中途採用に関する情報公表について」
高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律案
雇用保険法等の一部を改正する法律案 新旧対象表。この法案のなかに高年齢者雇用安定法案がある。75~82P。
以上のような知見の報告書
報告書は、労災が多くなる傾向を指摘し、事業主に高齢者の特性をふまえた安全衛生についての対策を求めている。ハード面(設備、装置など環境配慮)だけでなく、ソフト面(勤務時間、勤務形態、作業スピード)などの配慮も必要としている。
「日切れ法案」
一定の期日までに成立が不可欠とされている法案。特定の期日に開始すべき施策に関する法律案、予算と関係する法律案などをいう。
雇用保険への国庫負担を本来あるべき金額の10分の1に削減したままとする原案
雇用保険における国庫負担金は2007年の法改正で本来の負担額の55%に、17年に10%へと下がっている。これを2020年、21年も継続するという内容である。
国庫負担を本則に戻す
雇用保険の1/4を国庫が負担するというのが本則。