起きないはずの事故が起きた
2020年10月18日。ドドーンという音とともに、東京都調布市東つつじヶ丘2丁目の住宅街の生活道路が陥没した。
民家のガレージ前に幅5m、長さ3m、深さ6mの穴が現れ、近隣住民は一時的に避難を余儀なくされた。
陥没現場のすぐ近くに住む菊地春代さんは、事故に驚くよりも「やはり起きたか」と認識した。住宅街の地下で建設されていた高速道路「東京外かく環状道路」(以下、外環)のトンネル掘削による危険性を7年も前から不安視していたからだ。
外環は、千葉県、埼玉県、東京都を円弧状に結ぶ道路計画で、東京都の未開通区間(練馬区から世田谷区までの16km)は地下トンネルでの計画だ。5階建てビルに相当する直径16mのトンネルを4m離して平行に2本掘る。
そんな巨大トンネル工事は、地上に振動や騒音、そして陥没を起こさないか。その不安から、ルート上の住民は、13年9月、外環の事業者であるNEXCO東日本、NEXCO中日本、国交省が開催した住民説明会で「地下工事が地表に振動や騒音を及ぼさないか」を質問した。これに対して事業者は「地下40m以深の大深度での工事は、地表に影響を与えない」と明言した。
だが不安をぬぐい切れない住民たちはルート上の各地で市民団体を結成。「野川べりの会」も14年1月に設立され、菊地さんはそのメンバーとして、大深度工事の危険性を周知してきた。
野川べりの会の不安は当たった。
トンネルを掘り進めるシールドマシンは、「世田谷区→練馬区」を17年に、「練馬区→世田谷区」を19年に発進し、一日10m前後のペースで掘削を続けたが、19年1月、世田谷区から発進したマシンの直上周辺の複数の住宅から「家が揺れる」「震度2程度の振動が20分続き眠れない」との苦情があがる。
その後も苦情は絶えず、シールドマシンが20年9月に調布市内に入ると、振動・騒音・低周波音等の被害が続出し、外壁への亀裂や家屋と路面とのズレなどの損傷も頻発した。
これら事態に、9月29日、野川べりの会は、「マシンを止めて住民説明会の開催を」との要請書を事業者に手渡した。だが事業者は工事を続け、3週間後の10月18日、地面が陥没した。
直後に結成された住民団体「外環被害住民連絡会・調布」は、陥没現場周辺で事故の前後に起きた被害状況のアンケート調査を実施。その結果、以下の数字を得た。構造物被害を受けたのは58軒。内容は、ドアや床の傾きが19件、コンクリートのひび割れが17件等々。体感的被害を受けたのは102軒。内容は振動95件、騒音72件、低周波音51件。
これら数字に菊地さんは、「もはや、NEXCOの安全主張は崩れました」と断言する。
根幹にあるのは大深度法
外環には、従来の地下トンネル工事と決定的に異なる特徴がある。従来、都市部での地下トンネル工事のほとんどは幹線道路の真下で行われたのに対し、外環は、人口密集地の住宅街の真下を長距離掘削するという日本初の工事であることだ。
それを可能にした法律が、01年施行の「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」、通称「大深度法」だ。
大深度法では、「大深度」を、人が使うことがない「地下40m以深」か「ビルの基礎杭の支持地盤の上面から10m以深」と定義するが、大きな特徴は、「地上の地権者との用地交渉」も「補償金の支払い」も想定していないことだ。
この法律が生まれた契機は1995年。大深度地下利用についての調査を求めるため、自民党の野沢太三参議院議員(当時)が、議員立法で「臨時大深度地下利用調査会設置法案」を提出したことに始まる。
野沢氏は1956年から84年まで国鉄の技術者として山岳トンネル建設に従事し、また都市部でも東京駅から品川駅までの横須賀線のような地下鉄道建設などを担当した。野沢氏は自身の経験から痛感したことを、2010年に上梓した『新幹線の軌跡と展望』(創英社)で次のようなことを述べている。
都会では土地所有者が所有権などを主張し、補償も要求するため、どうしてもハンコを押さなければならない事態が生じる。用地買収を行えず、ときには何年も仕事が止まった。そこで、地上に影響のない深さ、大深度で、公共目的の地下利用であれば無償で使えるようにしようとの発想が出てきた――。
つまり、野沢氏は、それまで地権者と掛け合ってきた交渉や補償が大深度工事なら不要になると読んだのだ。
切羽
トンネル工事や鉱石の採掘現場などで、坑道や採掘を掘り進めている坑内の現場,また掘進方向における掘削面のことをいう。