大法院判決も、大阪高裁と同様に原告の被害事実を認めます。当時、未成年も含む原告らが、労働内容や環境についてよく理解できないまま日本政府と旧日本製鉄の組織的な「欺罔(ぎもう:あざむき、だますこと)」により動員され、暴力や危険な労働を強いられたとしているのです。
その上で、「別会社」論などについては「公序良俗」に反するとして退けました。
しかし最大の論点は、やはり日韓請求権協定によって被害者の請求権は消滅しているのかいないのかの判断です。これに対する大法院の結論は、「原告らには日本の不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為に対する慰謝料請求権がある」というものでした。
少し説明が必要でしょう。
「日本の不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した…」というくだりは、韓国憲法で定められた理念と両立しない目的で行われたという点で行為の不法性を補強していますが、論理として重要なのは「反人道的な不法行為に対する慰謝料」という点です。
大法院は、日韓請求権協定は、「サンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的な債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであった」と説明します。
30数年間の植民地時代を通じて、日韓をまたぐ人や財産、資本のおびただしい移動がありました。その終結を受けて、両者の債権・債務関係を整理する必要が出てきます。日韓請求権協定は、こうした「財政的・民事的な債権・債務関係」の問題を政治的に解決するところにその趣旨があったと大法院は捉えたのです。
そうすると、財産権の問題である未払い賃金については、確かに請求権は消滅していることになりますが、監禁や暴力といった「反人道的な不法行為」に対する「慰謝料」の請求については、一般的な債権・債務関係に関わる財産の請求とは次元が異なるため、協定によっても消滅していないというのです。
これが、大法院が新日鉄住金に対して慰謝料の支払いを命じた判決の論理でした。
ポイント3 大法院判決を受けて起きた日韓両国政府の対立
この判決に対して、当時の日本政府――安倍政権は猛反発します。安倍首相は、この問題は「日韓請求権協定で解決済み」であり、「国際法に照らしてあり得ない判決」だとし、河野外相は、「両国の友好関係の法的基礎を根本から覆す」ものだとまで非難しました。
こうした政府の反発を受け、被告企業も判決は「極めて遺憾」だとして、「日本政府の対応状況等もふまえ、適切に対応していく」とコメントするばかりで、大法院判決に応じて慰謝料を支払うこともできない状況となりました。
朝鮮人の戦時労務動員について、日本は加害者であり、韓国は被害者のはずですが、日本政府は自らが被害者であるかのように、居丈高に韓国政府を非難し、「適切な対応」を求めるに至ったのです。さらに韓国政府がこれに応じないと見るや、報復として、半導体製造材料の輸出規制を強化し、輸出管理で優遇される「ホワイト国」リストからの除外などの措置も発動しました。
一方、韓国政府の対応にも問題がありました。当時の文在寅(ムン・ジェイン)政権は「司法判断の尊重」と「被害者中心主義」を押し出し、三権分立の下では司法判断には介入できないという形式論にとどまり、問題の解決に乗り出そうとはしませんでした。
「被害者中心主義」を言うのであれば、大法院判決が認定した被害事実を踏まえ、動員被害者の人権、尊厳の回復をどう図っていくかの方針を打ち出し、自国の被害者を救済するために日本政府と交渉すべきでした。しかし文政権は交渉の途を示さず、結局、日韓両国の応酬は、史上最悪とも言われる状況となりました。
このような事態への第一義的責任が、植民地主義の清算という課題に向き合えない日本側、安倍政権の側にあったことは明らかですが、文在寅政権の形式的、消極的な対応にも問題がありました。
ポイント4 動き出した「財団」方式とは何か
しかしその後、日本では強硬な安倍政権、菅政権が退場してリベラルな宏池会の流れをくむ岸田政権が誕生し、韓国でも保守派の尹錫悦政権が誕生します。このように日韓ともに政権が代わる中で、双方ともに関係改善を探る動きが始まります。背景には東アジアの安保環境が厳しさを増す中で、アメリカの“圧力”もあり、日韓関係の修復が急がれているということもありました。
しかしそれ以上に重要なことがありました。被告の日本企業が、命じられた慰謝料の支払いを行わない中で、原告側が支払いの強制執行、つまり韓国にあるそれらの企業の財産の売却(「現金化」)を申し立てました。いわゆる「差し押さえ」ですが、その執行の時期が迫ってきたのです。ここに至って、日韓両国政府とも、これを回避するために何らかの「解決」を迫られました。
こうした中で浮上してきた「解決案」が、いわゆる「第三者弁済」です。
これは、とりあえず、「財団」(既存の「日帝強制動員被害者支援財団」を想定)などの第三者が被告企業に代わって賠償金に相当する金額を被害者原告に支払うという方式です。
具体的には、「併存的債務引き受け」方式と呼ばれるものが有力視されています。財団が債務者である日本製鉄、三菱重工との間で「併存的債務引き受け」の契約を結び、両社と連帯して債務を負担するのです。これに対して債権者=原告が、被告企業が判決を認めたものと解釈して慰謝料に相当する金額を受け取れば、大法院判決の強制執行(「現金化」)の手続きは止まります。
この方式が成立すれば、日本政府が何としても阻止しようとしている「現金化」は回避できます。また、大法院判決も効力を発したことになるので、韓国側の名分も立ちます。
しかし、「併存的債務引き受け」では、引受人たる財団は、債務者=被告企業側に賠償を求めることはできないということになっています。つまり、被告企業が一銭も払わないこともできるのです。それはあり得ないというのが普通の感覚でしょう。
そもそも、原告たちが新日鉄住金や三菱重工を訴えたのは、お金のためではなく、真摯な謝罪を求めてのことです。「財団」が代わってお金を払いますという話で終わりにされては、被害者として納得できるわけがありません。
ポイント5 必要なのは被害当事者の思いを汲み取ること
韓国政府としても、2015年12月の「慰安婦」合意が被害者不在だとして批判を浴びた苦い経験を繰り返すわけにはいきません。そこで22年7月、政府内に「強制徴用問題関連民官協議会」を設置しました。被害者の代理人などにも参加を求め、被害者側の要求を集約するとともに、問題解決に当たってクリアすべき条件などを探るために4回の協議を重ねました。
その中で被害者代理人側は、問題解決に当たっては日本側(企業、政府)の謝罪が必要であり、代位弁済(肩代わり)を行うのであれば、財団の基金に被告企業が拠出することを最低限の要求として示しています。
こうした背景もあり、この間の日韓協議では、韓国政府は「現金化」を回避する解決案を日本政府に示しつつ、韓国側の努力だけでは問題は解決しない、「日本側の誠意ある呼応」も必要だと繰り返し表明しています。
これに対して日本政府は、これまでからの「一貫した立場」に基づき協議を進めていくと述べるにとどまっています。ただ、韓国側の提起を拒絶するというのではなく外交協議は継続しています。岸田政権も、安倍・菅政権がとってきたような対応では問題は解決しないという認識に立っているように見えます。
(注1)
内務省嘱託小暮泰用より内務省管理局長竹内徳治宛「復命書」。アジア歴史資料センター所蔵(https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B02031286700)。ネットではこちらでも紹介されている。サイト「『徴用工』問題を考えるために」内「夜襲的動員」(https://note.com/katazuketai7/n/n28c1a40d29dd)。
(注2)
大蔵省官房調査課金融財政事情研究会、水田直昌述『終戦前後の朝鮮経済事情』東京大学所蔵(https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2001554374&opkey=B167116921736348&start=1&totalnum=2&listnum=0&place=&list_disp=20&list_sort=6&cmode=0&chk_st=0&check=00)。ネットではこちらでも紹介されている。サイト「『徴用工』問題を考えるために」内「総督府幹部『トラックで村からしょっぴいた』」(https://note.com/katazuketai7/n/n98fb10310bd4?magazine_key=m564e2cc578f0)。
(注3)
『潮』1971年9月号「日本人の朝鮮人に対する虐待と差別―日本人100人の証言と告白」(潮出版社)。ネットではこちらでも紹介されている。サイト「『徴用工』問題を考えるために」内「朝鮮総督府嘱託が語る『人狩り』」(https://note.com/katazuketai7/n/nf51ef0725622)。
(注4)
朝鮮人の戦時労務動員の実態については、以下のサイトで様々な資料や証言を読むことができる。「『徴用工』問題を考えるために」内「史実にアクセス」https://note.com/katazuketai7