両者の犠牲となったガザ住民
2008年12月27日から22日間、ガザはイスラエル軍の大規模な攻撃を受けた。パレスチナ側の死者は約1417人、負傷者は約4000人規模になった。破壊・破損した住宅は約1万4000戸。ガザで、これほど短期間に、これほどの死傷者が出たことはない。イスラエル軍はガザを実質的に支配しているハマスに戦争をしかけたに等しい。ハマスは、ロケット弾を保有するとしても、20~40kmの射程がある兵器は少数で、大半は手作りの飛び道具であり、どこに行くかわからない代物だ。武力は、警察官が小火器を保有した程度である。イスラエル軍との戦力の差は歴然としている。
さらに戦場は、世界でも有数の高い人口密度の市街地である。イスラエル軍が、過剰攻撃と非難されるのは当然だろう。
一方、無差別的なロケット弾発射でイスラエルを挑発し、05年にせっかくガザから撤退したイスラエル軍を、再び引き戻したハマスの無謀さが批判されるのも、また当然だろう。過剰攻撃と無謀さのはざまで、ガザの一般住民が犠牲を強いられた。
イスラエルのいらだちと軍事力誇示
今回の戦闘でのイスラエル人の死者は13人(市民3人、兵士10人)。死者数の比率は、1対100である。それでもイスラエルは今回の攻撃を防衛戦争だとした。国民は、停戦は早すぎた、徹底的にハマスを攻撃すべきだったと政府を批判した。その背景には、ロケット弾攻撃に対する恐怖感といらだちがある。ロケット弾を止めるためには政治交渉しかないが、イスラエルは軍事攻撃に突き進んだ。
軍事的な絶対強者が、絶対弱者に防衛戦争を仕掛ける構図は、相当ゆがんでいる。それは、イスラエルとパレスチナ間の政治的なゆがみでもある。
イスラエルは、06年夏の第2次レバノン戦争で、レバノンのイスラム武装組織ヒズボラにロケット弾を約4000発撃ちこまれた。イスラエル軍には、準備も防衛手段もなかった。イスラエル軍・政府は、国民の厳しい非難にさらされた。
信用の失墜したイスラエル政府と軍は、その後、戦略と戦術の見直しを行い、準備を進め、今回のガザ攻撃を行った。ガザ攻撃で、イスラエル軍は、戦争ができる軍隊であることを国民だけでなくヒズボラに示したのだろう。イスラエル軍は、凶暴な戦争マシーンになれることを証明したが、それで安全を確保できるかは疑問だ。
変わらないガザの現実
ガザは、大被害を受けた。しかし、ハマスは、組織の壊滅を免れたことは抵抗運動の歴史的な勝利だと主張した。ハマスの武装闘争は、戦場から離れたアラブ諸国やイスラム諸国で称賛された。アラブ諸国の一部やイランはハマスの勝利を祝い、戦勝行事が各地で開催された。しかし、パレスチナのガザとヨルダン川西岸では戦勝行事はない。停戦を仲介するエジプトも、戦勝騒ぎとは無縁だ。イスラエル軍の目標は、ガザからのロケット弾防止である。彼らは、まだその目的を達成していない。
イスラエル軍はいつでも攻撃を再開できる体制を維持している。ガザの住民は、緊急支援の到着を待っているが、国境は閉鎖されたままである。経済制裁も、継続されている。ハマスの名目上の勝利では、ガザの現実は変わらない。
続く「見えない戦争」
ガザでの「見える戦争」は1月18日で終わったが、「見えない戦争」は続いている。ハマスは、名目上の勝利の勢いに乗り、政治的な成果を得ようとしている。イスラエルは、外交交渉からハマスの存在を排除しようとしている。ハマスは、ガザを実効支配しているが、外交的には、仲介者のエジプトを通してのみ存在する。ハマスは、その状況を脱して、直接発言する立場を模索している。そのためには、誰かが、何かが変わる必要がある。
ハマスは、世界が公正と認めた選挙で選出された代表である。国際社会とイスラエルは、ハマスの主張を尊重する必要がある。しかし、ハマスは民主的な手続きを経た代表だと政治的正統性を主張するが、選挙を可能にしたこれまでの合意や政治交渉の積み上げを認めない。これは、相当なご都合主義である。
06年の選挙でハマスが勝利した後、国際社会は、ハマスに、(1)テロ批判、(2)パレスチナとイスラエルの間で成立した過去の合意の承認、(3)イスラエルの認知、を求めた。ハマスは、その問いに沈黙している。
その結果、ハマスは、政治的、外交的、経済的に孤立させられた。「見えない戦争」である。ガザ攻撃の後、この戦場で変化が出るかもしれない。
「主権空白地帯」での悲劇
ガザは、1948年から現在まで主権の空白地帯である。ガザは、どの国にも付属しない。67年から2005年まで、ガザはイスラエル軍の占領下にあった。イスラエル軍は占領者であり統治・行政機関でもあった。軍政が、国家機能を代行した。
イスラエル軍のガザ撤退で軍政も終了した。05年夏以降は、パレスチナ自治政府が準国家としてガザを統治した。06年6月、ハマスがガザを支配しパレスチナは分裂状態になった。ガザから主権機能を代行する存在は消えた。
06年以降、ガザは厳しい経済封鎖下に置かれた。ハマスへの「兵糧攻め」である。物資の流入は厳しく制限された。しかし、制裁はハマスへの政治的圧力として機能せず、住民だけが苦しんだ。欧米諸国は、経済制裁の見直しを検討している。
今回の攻撃後、ガザ復興のためには援助物資の緊急輸送が急務である。しかし、ガザには準国家的組織はなく、誰が国境を管理するか未定である。
エジプトが、ハマスとパレスチナ自治政府の主流派ファタハの和解交渉を仲介している。短期的であれ、政治的妥協が成立すれば、挙国一致内閣を作り、ガザの国境を管理できる体裁は作れる。国境が機能しないと、物資の流れは滞る。「見えない戦争」でも最大の被害者は、ガザの一般住民である。
ガザ(Gaza)
ヨルダン川西岸地区とともに、パレスチナの暫定自治地域。1994年のガザ・エリコ同意により、暫定自治が開始された。2005年夏、イスラエル軍は撤退した。07年6月からイスラム原理主義派ハマスが実効支配している。
ハマス(Hamas)
1987年末に発足したパレスチナのイスラム原理主義組織。イスラエルの存在を認めず、武装闘争を展開している。福祉や医療活動も行っており、支持者は多い。2006年1月のパレスチナ評議会選挙に初参加し、勝利した。
ヒズボラ(Hizbollah)
レバノンのイスラム教シーア派民兵組織。名称はアラビア語で「神の党」の意味。シリアやイランの支援を受け、イスラム共和国の樹立を目指す。政治部門もあり、2005年の総選挙では35議席を獲得、入閣もしている。
ヨルダン川西岸
ガザ地区とともに、パレスチナの暫定自治地域。面積は三重県とほぼ同じ。パレスチナ解放機構(PLO)最大組織のファタハによるパレスチナ自治政府が統治している。