プーチン、大統領に当選
2012年3月4日実施のロシア大統領選挙で、プーチン現首相が第1次投票で当選を決めた。63.60%の得票率をどう見るかに関しては、意見が分かれる。プーチンが04年に大統領に再選された時の得票率71.31%、08年メドベージェフ現大統領当選時の70.28%に比べると減少した。だが、11年12月のロシア下院選挙をめぐる不正疑惑などによって、プーチン首相の支持率は一時40%台にまで下落し、大統領選が第2次投票にもつれ込むのは必至とさえ取りざたされた。そのような逆風を考えると、よく約64%までに支持率を上昇させたともいえる。赤の広場で勝利宣言を行ったプーチン候補の目からは一筋の涙が伝わった。
2位のジュガーノフも予想以上に善戦し、これまでの大統領選で最も多い票を獲得した。ロシアの富豪プロホロフも同様で、新人ながら第3位につけた。彼らは、プーチン批判の抗議票にあずかったといえる。決選投票になった場合プーチン陣営につくとみられたジリノフスキー、ミローノフ候補は票を伸ばせなかった。
あらかじめわかっていた結果
プーチンの当選は、既定の事実だった。まず、11年9月24日の政権与党「統一ロシア」党大会の席上で、メドベージェフ大統領が、次期大統領選で自らは立候補を断念し、プーチン首相を候補者に推薦すると発表した。この時点で、プーチンが大統領に返り咲くことは決まったも同然だった。
次に、プーチン以外に立候補が認められた人物は変わり映えのしない顔ぶれだった。ジュガーノフもジリノフスキーも立候補して存在感を示すことだけが主目的の常連候補だった。唯一「民主派」と目されるグリゴリー・ヤブリンスキーは、彼が集めた200万人分の署名名簿に不備があるとして登録却下の憂き目にあった。プロホロフは上記の厳しい条件をクリアして立候補を認められたが、彼は果たして最後まで反プーチンの立場を貫く人物なのか疑わしい人物だった。もし決選投票にもつれ込んだ場合、ジリノフスキーやミローノフ同様、プーチン側につくことが事前に十分予想される候補だった。
プーチン陣営の巧みな戦術
いったん選挙戦が始まると、プーチン陣営は、政権与党としての強みを最大限に生かすアメとムチ併用の戦術を展開した。まず選挙対策本部長には、新しく大統領副長官に任命されたビャチェスラフ・ボローディンが就任した。ボローディンは、2期8年のプーチン政権下にロシアが安定と繁栄の時代を迎えたのであり、今後も「プーチンに代わる選択肢はない」とのスローガンを強調した。
プーチン陣営は、プーチン支持層である軍人、警官、年金生活者らだけではなく、ほとんどの社会層に対してバラまきの約束を行い、支持を取りつけようとした。これまでと異なり、今回はプーチン以外の候補者らに対してもテレビ放映枠をある程度認めたが、国営の3大テレビは相変わらずプーチン候補の一挙手一投足の報道に終始した。同首相自身は公務多忙との口実を用いて、他の候補者たちとの公開討論会をボイコットした。プーチン陣営は、反プーチン陣営が欧米諸外国から資金、その他の援助を受けていることなどをにおわせ、ナショナリズムに訴えるキャンペーンを展開した。
プーチン「疑似王朝」にイエローカード
では、「プーチン2.0(第2期)」のプーチンは国民の支持を受け安定政権を維持する――こう予測して差し支えないのだろうか? 答えは、「ニエット(ノー)」である。現ロシアでは、新しい社会層が誕生し増大しつつある。都市在住、高学歴、インターネットを駆使する世代である。彼らは、国家に依存しなくても自力で生計を立て、外国旅行の経験を持ち、国際情勢にも通じた中間層。経済的余裕をもつに至った彼らは、ロシア政治にも自分の意見を反映させることを欲するようになった。
彼らは、以下のような事件に遭遇したことをきっかけとして、具体的な政治行動に踏み切った。まず11年9月24日、プーチンとメドベージェフ間で公職ポストの交換が一方的に発表された時、主権者であるはずの彼らの権利が無視され侵害されたと憤慨した。12月4日の下院選挙での不正行為が明らかとなった時、彼らの怒りの火に油が注がれる。彼らは街頭に繰り出し、抗議集会やデモ行進を繰り広げた。厳寒期にもかかわらず、モスクワを含む大都市で行われた反プーチンの動きは、大統領選挙後も継続し、終息する気配を見せようとしない。
反プーチン陣営の強みと弱み
主として中間層からなる反プーチン陣営は、抗議デモに関して全世界の注目を引く大きな勢力になった。それにもかかわらず、同陣営はロシア大統領選で「プーチンなしのロシア」の実現に成功しえなかった。なぜだろうか。一言で答えるならば、抗議行動と大統領選挙は互いに関連してはいるものの、一応二つの別事だからである。前者で侮りがたい力を発揮したからといって、それは必ずしも後者での勝利を保証するものではない。実際、大統領選挙は、さきに述べたように与党政権側に圧倒的な有利な条件下に実施され、最初から野党側に勝ち目はなかった。
反対陣営の側にも問題があった。彼らは、ロシア人が往々にしてそうであるように、小異を捨てて団結することが不得意である。抗議デモなどでこそ自発性や多様性は力を発揮するものの、大統領選を勝ち抜くためには、大同団結し、有力な対抗馬になりうる指導者を選び、選挙綱領などを作成する必要がある。
「プーチン2.0」は安泰か?
たしかに、プーチンは大統領に復帰する。だが、その前途は決して楽観視しえない。ましてや、プーチンが2期12年間を無事務めるとは容易に予想しえない。まず、12年5月就任後のプーチン新大統領を、内外分野における難問が待ち構えている。プーチン陣営のスポークスマンたちは、「プーチン2.0」の同大統領が、「プーチン1.0」の彼とは全く異なり、“新しいプーチン”に生まれ変わるので心配するには及ばない、とPRに懸命である。
しかし、プーチンの状況適応能力にはおのずから限界があろう。彼は元々愛国主義的傾向の強い権威主義者である。妥協や譲歩を少々行う現実主義者の側面を見せるかもしれない。だが、それは、現プーチン式統治体制の大枠を維持するための微調整の域を超えるものではないだろう。
12年から18年まで6年間つづく「プーチン2.0」において、インターネットを用いる中間層は質、量ともに勢いを増してゆき、やがてはプーチン体制を脅かす存在になっていく。こう予想して不自然ではなかろう。