◆勢力拡大の背景にイラク政府への反感
「イスラム国」(IS)は、スンニ派のイスラム過激派組織。2014年に入り、シリア北部及びイラク北部で支配地を拡大した。14年6月末、カリフ制(政教一致の政治制度)の樹立を宣言し、指導者アブバクル・バグダディをカリフに推薦すると宣言した。ただISは国を創設したわけではないし、武装勢力であるがまだ軍隊ではない。アメリカ人やイギリス人を斬首する映像をインターネットで公開し、その残虐性で世界の注目を集めた。
アメリカは、欧米諸国や中東諸国と対IS有志連合を組織し、8月からイラク北部、シリア北部の拠点への空爆を開始した。空爆には、中東諸国の空軍も参加した。アメリカは、軍事顧問を派遣したが、空爆以上の関与をしない方針である。アメリカは、イラク政府に国内の3大勢力(クルド、シーア派、スンニ派)の国民和解を進め、イラク軍を再編成するよう求めている。ISの勢力拡大の背景には、イラク中央政府が国民の信頼を得ていないことがあり、ISの考え方や統治が支持を得ているわけではない。
◆「イスラム国」の前身
「イスラム国」については、残虐な行動もあり、メディアがかなりセンセーショナルに報道した結果、実像以上の脅威感が取りざたされている。ISの前身は、「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)と名乗った組織である。同組織は、03年の米軍のイラク侵攻後、国内でのテロ活動を開始した。この頃から、すでに人質の斬首映像をインターネットに載せる手法を使っており、その残虐性は今も変わらない。その後イラク内の他の過激派と衝突するようになり、次第に国内での支持を失い、11年以降、内戦が激化したシリアに活動の拠点を移した。
シリア内戦が激化する中で、「ヌスラ戦線」は、シリアのアサド政権軍と戦うイスラム系の反政府勢力として知られるようになった。同戦線は、アサド政権打倒をめざす湾岸諸国などの支援を受けるようになり、勢力を拡大した。しかし13年4月、ISISは、「ヌスラ戦線」が自分たちの別名の組織であることを明らかにした。アルカイダ指導部は、ISISに対して、シリアでの活動を停止し、イラクでの活動に専念するよう指示したが、ISISは同要請を拒否した。そのため、アルカイダがISISを「破門」する事態に発展した。その後もISISは、シリア、イラク北部で勢力を拡大し、14年6月末、組織名を「イスラム国」(IS)に変更した。現在も「ヌスラ戦線」は存在するが、ISから分離した組織である。
◆なぜ既存の国家・国境を認めないのか
ISは、既存の国境を認めていない。この点が、既存の国境を認めた上で活動するアルカイダとの相違点である。ISは、新しい国の創設を宣言するとともに、既存の国境は無効であると宣言した。
第一次世界大戦後、それまで中東を長く支配したオスマントルコ帝国が解体された。同解体を主導したイギリスとフランスは、現在の東地中海地域(シリア、レバノン、イラク、ヨルダンなど)の国境を画定した。そのため中東地域では、現在の国境線に対する不満が従来から存在していた。イスラム組織であるISが、英仏が画定した国境線を無効だと宣言するのは当然だともいえる。
ところが、アラブ世界やイスラム世界は、ISの考え方や主張を支持しているわけではない。14年秋時点で、ISを支持するアラブ・イスラムの国はなく、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、カタール、バーレーン、ヨルダン、トルコなどはアメリカ主導の対IS有志連合に参加し、一部の国は米軍と共にIS拠点に対する空爆を行っている。
シリア及びイラク北部でのISの統治は、一般的な意味での統治といえる水準にはなく、イスラムを極端な形で解釈した暴力的統治であり、アラブ世界、イスラム世界での共感や支持はほとんどない。
他方、残忍性と略奪性が際立つISに、中東域内や欧米諸国から参戦する若者が増加し、それが新たな問題となっている。自国での生活に絶望した者あるいは強い不満を持つ者にとって、ISは魅力的な環境を提供すると目されている。志願兵の出身国は、帰国した若者たちが、帰国後に国内でテロを行うかもしれないことを懸念し、旅券発行の制限などを開始している。
◆「イスラム国」から逃走したイラク軍
14年春頃からISがイラク北部で支配地域を拡大したことに、世界は驚いた。報道では、ISが強力な軍事力を持つ組織であることが強調されたが、実際は、イラク軍の弱さとイラク政府の権威のなさが、IS勢力拡大の大きな原因だった。ISの部隊を撲滅することを期待されたイラク軍部隊は、戦わずに武器・弾薬を放棄して逃げ出した。イラク軍が戦える軍隊でなかったことは、アメリカに失望と衝撃を与えた。
それでもアメリカ国民は、米軍が中東で新たな軍事行動を起こすことに強く反対している。そのためオバマ大統領は、航空支援を行う前提として、イラク政府が国民の信頼を獲得し、再編されたイラク軍が地上作戦を行うことを要求している。8月に入ると、シーア派を重用し、スンニ派を弾圧・冷遇したマリキ首相が退任し、アバディ新首相が就任し、新たな政権作りを開始したが、まだ結果が出ていない。イラク政府が国民の信頼を獲得し、イラク軍が戦闘能力のある軍隊になるまでには、かなりの時間がかかるだろう。
イラク北部を占拠するISは、地元の部族社会からの一定の支持を得ているようだ。ISと地元部族の関係が確固たるものなのか、あるいは短期的な利害が一致しただけであり、状況が変われば地元部族がISと敵対するようになるかは、今のところ定かではない。またISが資金源として、石油を安価で販売しているといわれるが、状況ははっきりしない。ただISの統治は、あまりに暴力的で極端であり、その支配は短期で終わるとの見方が多い。
◆敵は「イスラム国」か、シリア政府か
シリア政府と戦うISへの対応は、複雑である。欧米諸国及びアラブ諸国にとって、アサド政権とISの関係は敵対しているが、両方とも打倒したい敵である。ただ「敵の敵は味方」方式で、どちらかと共闘するのは可能である。欧米諸国は、シリア国内のISの拠点を空爆することで、間接的にアサド政権を支援する立場である。シリア政府は、外国軍隊による自国領内のIS拠点への攻撃を黙認し、ISと敵対するすべての行動を支持するとしている。欧米諸国とシリア政府の間では、ISを殲滅(せんめつ)することで暗黙の了解があると推定される。
他方、サウジアラビアやUAEなど湾岸スンニ派諸国は、ISに対する空爆に参加しているが、同時にこれらの国からISを支援する資金が出ていると見られている。政府と国民の立場は同一ではない。またIS対策で重要なカギを握るのはトルコである。IS支援のための人・武器・物資・資金は、トルコ経由でシリアとイラク北部に流入している。トルコが国境管理を徹底すれば、ISの活動を抑制し、壊滅できる。
しかしトルコは、アサド政権打倒をまだ優先させている。トルコはISに敵対するアメリカ主導の有志連合の一員であるが、その対応はちぐはぐで、アメリカとの軋轢(あつれき)を生んでいる。シリア国内でIS及びアサド政権と戦うクルド勢力は、トルコの敵でもある。「イスラム国」の補給路や兵站(へいたん)部門を壊滅させる力を持つトルコの対シリア政府、対「イスラム国」対策が定まらない限り、実効力のある対「イスラム国」対策はできないだろう。