大アラル海の現状は?
ウズベキスタン領に属する大アラル海ではどうか? かつての大アラル海は、入口に当たる湾口に整備された小規模な湖沼と、西岸付近の水深が比較的深い部分が南北に細長く残るのみだ。アラル海災害についてかつてしばしば報じられたのが旧湖底の土壌から塩分が噴き出した、いわゆる「塩の大地」である。かつてはこのような地表面が真っ白な土地が点在し、「塩の嵐」による健康被害を最も受けたのがアラル海南岸一帯である。しかし、今ではこのような光景を目にすることはほとんどない。塩が吹き飛んだ後の土壌には砂漠植生がすでに根づいている。湾口に水を溜め、そこに湿地帯をつくることで一時は消え去った渡り鳥も戻ってくるようになった。魚も戻ってきており、小アラル海と比べると規模は小さいが、漁業も行われている。ソ連時代から、ウズベキスタンではアラル海のすぐそばまで灌漑開発がなされていた。アムダリヤ川の最下流域では綿作や稲作が今なお行われており、漁業や水運が崩壊したとはいえ、経済構造に大きな変化はない。ただ、年ごとの変動が激しいアムダリヤ川の水量の影響を大きく受けるため、この地域での灌漑農業は持続可能とは言い難い。ウズベキスタン政府やウズベキスタン国内の自治領域であるカラカルパク共和国政府は、ここ数年、大アラル海そのものの回復はほぼ放棄した。むしろ、現地住民の就労対策やインフラ整備に政策の重点をシフトしている。イスラム過激派によるテロ事件が散発的に起こるウズベキスタンでは、地方での社会・経済発展が国家の安全保障に直結すると認識されている。
そこでは現在、アルテミア(塩湖に生息する小型の甲殻類、別名ブラインシュリンプ)の耐久卵の採集が行われている。アルテミアの耐久卵は、乾燥しても卵としての性質を失わないため、卵のままの輸送が可能で、魚のエサとして世界的に需要が高い。
また、干上がった旧湖底には豊富な炭化水素資源の埋蔵が確認されており、天然ガスの採掘がすでにスタートしている。ガス採掘機材の運搬の必要性から、鉄道駅のある都市部からアラル海の旧湖底まで比較的状態のよい道路インフラが整備されており、「世界最悪の環境破壊」目当てのダークツーリズム観光客がバスや四輪駆動車で次々とやって来る。カザフスタン領の小アラル海で見られたのはかつて栄えていた生業・産業の復活であるが、ウズベキスタン領については、不安定な灌漑農業を維持しつつ、天然ガス採掘や観光業など全く新しい産業振興が行われるようになったと言える。
確かに、大アラル海のほとんどは干上がってしまった。ただ、それをもって大アラル海の「消滅」というのはまだ早計だ。南北に細く残っている大アラル海の残余部分には地下水の流入があるため、「消滅」することはないと予測されている。カラカルパク共和国の人々にとって大アラル海の復活は不可能だとの認識は共有されている。むしろ、今ある状況とどううまく付き合っていくのかという点に彼らの意識は集中している。
今なお残るアラル海をどう守っていくか?
このように、我が国での報道内容にみられる、アラル海「(ほぼ)消滅」という言説は正しいとは言えない。むしろ、当座はこれ以上急激に縮小することはなく、安定点に近づきつつある。塩分濃度が下がった小アラル海では漁業が復興し、塩分濃度が上昇の一途をたどった大アラル海でも経済活動が行われている。アムダリヤ川のデルタ地域と大アラル海の旧湾口に貯水湖と湿地帯を整備するという対策も、実は「アラル海の残せる部分を残す」という点では、小アラル海への対策とアイデアは共通している。カザフスタンにとってもウズベキスタンにとっても、最も重要なことは今あるアラル海の水面を持続可能な形で維持していくことだ。アムダリヤとシルダリヤの両河川から安定した流入水量が確保され続けることが必要である。そのためには、アラル海流域の上流国(キルギス、タジキスタン)と下流国(ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン)の水資源とエネルギー資源・電力をめぐる対立のような不確実要因を可及的速やかに排除する必要があることは論をまたない。地域対話を国際的にバックアップしてゆく必要がある。世界にはアラル海と類似の事例が数多く存在する。イスラエル・ヨルダン国境の死海、チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンの4カ国にまたがるチャド湖は越境湖沼である点でアラル海と共通しており、共に湖水位の低下が著しい。イランのウルミヤ湖やオーストラリアのマッコーリー湿地は、流域が一国のみであるが、乾燥地での農業開発が湖や湿地を干上がらせたという点では共通している。乾燥地にある湖の縮小とそれへの対策という問題について、個々の事例を特殊視するのではなく、環境史的なアプローチでの相互比較を行うことが今求められていると言える。