[この記事は、2016年11月26日に東京の星陵会館で行われた『新しい日米外交を切り拓く』(猿田佐世著、集英社クリエイティブ)の刊行記念シンポジウム「新しい日米外交を切り拓く-過去・現在・そしてアメリカ大統領選を経て」(新外交イニシアティブ主催)での白井聡さんの講演をイミダスサイト上に再録したものです。]
トランプ大統領の誕生で露わになった「既存の視点」で捉える日米関係の限界
今日は猿田佐世さんのご著書の刊行記念シンポジウムということで、どういうことを話そうかなと、いろいろ考えたのですが、私なりの見方といいましょうか、このND(新外交イニシアティブ)の活動というのが私から見て、いったいどういうものに見えるのか、どういう意義があるのか、そして、どこへ進もうとすべきものなのだろうか……といったことを主軸にしてお話しさせていただこうかと思っております。折しもアメリカでは今、トランプ大統領が誕生して、これは大変だと、皆さん大騒ぎをしているわけですが、私自身は「まぁ、こういうこともあるだろう……」と、それほど驚かなかったんですね。ただ、それ以来、大統領選絡みでいろいろと取材を受けることが多く、先日も朝日新聞(2016年11月25日朝刊)で、割に大きなインタビュー記事を載せていただいたのですが、そうしたメディアの「反応」については、若干、戸惑いのようなものもありました。
と、言いますのも、私はもともとアメリカ政治の専門家でもありませんし、アメリカの歴史であるとか、アメリカの現在の内部の政治事情ということに関しても専門家であるとは、とても申せません。それにもかかわらず、こうして私のところに多くの取材要請が来ているというのは、いったいなぜなのだろうか。
結局、専門家ではない私のところへ「アメリカの大統領選をどう受け止めますか?」というような取材が来るというのは、そうした反応自体が、一つの「兆候」なのではないかと思います。その兆候とは何かと言えば、要するに「既存のチャンネル」、あるいは「既存の見方」で今の事態を捉えようとしても、どうにも掴みどころがない。わけがわからなくなってしまった……という、そういった当惑というのがあるのだろうと。
そこで「これまでのアメリカに対する捉え方だとか、日米関係に対する捉え方とは、かなり違ったことを言っている奴に話させてみよう」という気分が、生まれているのかなと考えたわけです。つまり、日米外交なり、あるいはアメリカという国を、これまでとは違う仕方で、捉えなければならないのではないかと多くの人が感じ始めている。そしてまさに、そうした「これまでとは異なる捉え方」で戦後の日米関係を記述しようとしたのが、私の『永続敗戦論』(太田出版、2013年)という本であったわけです。
ちなみに、「永続敗戦」というのは私の造語で、変な言葉なのですが、要するに日本はアメリカに戦争で負けて、その結果、日本はある種の従属国になっている。そこまではまず当たり前の話だと言えますが、その従属の仕方というものが大変不健全で、異常な形になっていることを表すために考え出したものです。
もちろん、世界が、東西対立、冷戦構造下にあった時代には、日本が「アメリカの子分」でいるということについて、それなりの合理性というものがあったわけです。アメリカの協力を仰ぐ形で敗戦から国を立て直すことに成功したわけですし、1980年代にはアメリカの経済力を脅かすレベルにまで到達した。しかし、既にその冷戦構造は消え去り、根本的な条件が変わったにもかかわらず、日本のアメリカに対する従属構造は解消されていないどころか、むしろ、異常に強まっている。
これによって、日本のいわゆる親米保守勢力なるものの異様さが、焙り出されることになりました。そもそも「親米保守」という言葉が異様です。「保守」は基本的にナショナリストなのですから、「日本が第一」と言わなければいけないわけなんですが、現実にはどうかというと、彼らは長年にわたって、ナショナリストのくせに日本以外に親しむ対象があるという奇妙な立場を取ってきたわけです。「アメリカが大好きな保守」なんですね。
先ほども申し上げたように、ソ連があった時代は、これでも一応理屈が通ったわけです。つまり「ソ連というのが実にけしからん」のだと。「ソ連のコミュニズムというのは最悪で、これと対抗するためにはアメリカとの戦略的な提携が必要なのだから親米保守という立場がありうるんだ……」と、こういう具合に理屈をつけてきた。
当然、この理屈は、ソ連が崩壊した時点で成立しなくなる。ですから、いわゆる「保守」の側は、ソ連崩壊以降、親米という看板を下ろすのが、当然の反応だったはずなのに、対米従属という戦後ずっと続いてきた構造はそれによって解消されるどころか、むしろ強まって今日に至っている。
TPPの問題を見ても、そもそもはアメリカが主導する形で進んで、それを自民党は「はい、喜んでやります!」と、交渉へと突き進んだ。日本国民に対しては大嘘までついて。その結果、「ようやく合意に至りました」と言って、公開した合意に関する資料は見事なまでに真っ黒の、黒塗りだったりするわけです。
そんな黒塗りの資料を見せられて、これがいい条約なのか、悪い条約なのかもコメントしようがないではないか、ふざけるんじゃないという話ですが、今度はその合意を強硬に批准してしまおうという。ところが、まことに滑稽なことには、当のアメリカ自身が今回のトランプ政権の誕生によって「やっぱりTPPはやめた!」と言い出したわけです。
「敗戦の否認」で始まった戦後が病的に歪めた日本人の歴史認識
事ほど左様に、異様な従属性、その従属の卑屈さが、非常に赤裸々に表れてきているわけでありますが、ではなぜ、こんなことになってしまったのか? 私は結局、これは敗戦処理の問題に淵源すると考えたわけです。あの戦争に負けたということ、これは日本人がみんな知っている事実ですが、その現実を否認した歴史意識を持っている。それを私は「敗戦の否認」と呼んでいます。この「否認」というのは、もともと心理学の用語で、「知識として知っているけれども、現実としては認めていない」という心理状態を言います。よりわかりやすく言うと「都合の悪いことは、見なかったことにする」という心理です。
これ、誰でも日常生活の中で、ついやってしまうことですよね。そういう意味ではありふれた心理です。ただし、小さなことを「ああ、もういいや」と、見なかったことにしたところで、どうということはありませんが、大きなことに関してそれをやるようになると、これは「病気」だということになります。
もちろん「あの戦争に負けた」というのは、非常に大きな出来事ですから、これを現実として認めない、言い換えれば、あの戦争に負けたという、その重大な出来事が意味することについて知らないふりをしたり、あるいは知ろうとしなかったり、それで誰かから「知ろうとしなくちゃ、いけないんじゃないですか?」と指摘をされると、「うるせえ、バカヤロウ!」という形で逆切れをするというような歴史意識、これが「敗戦の否認」です。長期停滞が続いているために民族主義的誇りへの依存が高まる中で、日本人の歴史意識は、もはや病んでいると言っても過言ではない。そのような状態にあるのだということです。
それではなぜ、そんなことになったのか。結局、これは「敗戦をごまかす」というところから、戦後レジームが出発しているからだと思います。
もちろん、日本が敗戦したことは、みんなわかっていたわけですけれども、戦争末期の時点からずっと、政府の側は敢えて「敗戦」という言葉遣いを避けて、それを「終戦」と言い換えてきた。そのため、今日でも、例えば8月15日は「終戦の日」だというふうに言われているわけですが、要するに、当時の政府がつくり出した、つまり、あの無謀なる戦争をやった政府がつくり出した「現実感覚」に、今日の日本人もなお、無意識的に規定されているということでもあります。
アメリカによる戦前の「旧支配層」温存が「永続敗戦レジーム」を生み出した
そしてこれは、戦後のアメリカがどうやって対日統治をしていったかということと、密接に結びついている。つまり、戦後の日本の政治システムの中に、あの戦争を引き起こした「旧支配層」を温存したということです。アメリカは日本の本当の意味での民主化よりも、むしろ日本を反共の砦としていくことを、いわゆる「逆コース政策」によって優先するようになったときに、じゃあ、いったい誰に統治させるのか、という問いが現れます。