アラル海との出会い
地田 宮内さんがアラル海のことを知ったのはいつ頃ですか?
宮内 02年、私が23歳の折、南アジアを旅しているときに、パキスタンのラホールという町の路上で買ったロンリープラネットの『Central Asia』というガイドブックで知りました。ちょうど同時多発テロが起きた後で、アフガニスタンに行きたいと考えていたんですが、この本によれば「行くべき季節」の欄に「Don’t go」と書いてある(笑)。
地田 その時期ならそうでしょうね。
宮内 なにぶん当時、時間だけはありましたから、この本を隅から隅まで読んで(笑)。恥ずかしながら、そのとき初めてアラル海の現状のことを知ったのでした。そういえば小さい頃、地球儀が好きでして、よく見てたんですよ。地球儀を見れば、大きくカスピ海、アラル海があります。それは1980年代の頃、つまり、ソビエトがまだあった頃なので、アラル海がもとのままのサイズで描かれていました。ところが本を読んで、その当たり前のようにあった湖、もしかしたら自分もいつかそこに行けるかもしれないと思っていた場所がないという衝撃がまずありました。アラル海の箇所にはかなりページが割かれ、湖が消えていく過程で、塩害だけでなく、農薬の被害やら、当時開発されていた炭疽菌やらの被害やら、さまざまな歴史的経緯が書かれていました。
地田 小説にも重要な要素として登場しましたが、アラル海には、島の一つに当時のソ連が生物兵器の工場を建てて、そこで炭疽菌をはじめ、危険な細菌類を何十種類も研究し、兵器に使えるように実験していたんですよね。
宮内 ちなみにアラル海が干上がることはソビエトにとっては予想外のことではなく、彼らは意図的に灌漑のためにアラル海に流れ込む水を使い、その結果湖が干上がってもよいと考えた。しかし、ならばなぜそこに生物兵器工場をつくったのかという疑問はある。生物兵器が流出した湖が干上がれば、汚染物質が風で舞い上がり、広範囲に飛んでいくということまでわかっていたはずです。
生物兵器のことを抜きにしても、アラル海の縮小によって気候までもが変わり、人々の生活も激変し、とくに南部では、ガンを含む疾病の発生率が上がってしまった。いったいアラルに何が起こったのか、逆にいまどうなっているか知りたいと、23歳のそのとき思ったのでした。
地田 それから十数年後に実際にアラル海に行かれるまで、本当に長いあいだ思いを寄せていただいたという印象があって、何かうれしいです(笑)。すごく連帯感を抱くのは、私が実際にアラル海研究を始めたのも、実は同じぐらいの時期なんです。
きっかけは、2001年からのカザフスタンの留学時代なのですが、そのときにたまたま、アラル海の支援をずっと続けている京大名誉教授の石田紀郎(のりお)先生とお会いしてお話しする機会があって、そのことがずっと頭の中から離れなかったんです。その後に、石田先生が、アラル海研究は、自然科学者はたくさんいるが、人文社会科学系の人間が全然いないのでそういう研究が必要だということを書かれた論文を見て、「あ、これ、自分がやらなくちゃ」と思った。それがちょうど04年とか05年とかそういう時期です。私も実際初めてアラル海に行ったのは、13年ぐらいなので、思い立って研究を始めてから、実際に現場に行くまでみたいなスパンが、ほとんど宮内さんと一緒なんです。
宮内 こう言ってよいのか、似ていますね(笑)。思いのほか時期まで近かったなんて。
地田 アラル地域を見ている感覚も似ているというか。僭越ながらなんですが、すみません。
宮内 いや、なんとなく共時性のようなものを感じてうれしいです。
湖水に身を浸す
地田 宮内さんはどういうルートでアラル海に入ったんですか?
宮内 地田先生は相当苦労されて広範囲を回ったとお聞きしていますが、私の場合は、もう少し普通の人が行けるルートをたどりました。ウズベキスタンの西側にカラカルパクスタン共和国という自治領があるんですが、その首都のヌクスからジープをチャーターして1泊2日で行けるというコースがあって、このルートがメジャーなので私も使いました。本当はもう少し自由に移動したかったのですが、ウズベキスタンはわりと旧ソビエト的な匂いの残る国家でして、例えばどこに滞在するにも常に証明書が必要になってくる。だから、1泊2日とかになると、そのジープの運転手さんを頼らざるを得ないんですね。ちなみに、ヴォズロジデニヤ島という生物兵器工場のあった場所に行ってくださいと言って却下されました(笑)。
『あとは野となれ大和撫子』
2017年、KADOKAWA刊。21世紀、中央アジアの架空の小国「アラルスタン」を舞台にした冒険小説。カリスマ的な人気を誇る大統領が突如、暗殺された。国内のイスラム過激派の台頭を恐れた政治家たちは国外へ逃亡。残されたのは、「後宮」という名の女子専用教育機関で英才教育を受けた乙女たちばかり。「仕方ない、私たちで国家やってみる?」――暗殺者、テロリスト、反政府組織との争いに加えて、虎視眈々と領土を狙う近隣国を向こうに回し、少女たちはアラルスタンを守り切れるのか?
クヴァス
酸汁。麦や果実、蜂蜜などでできた発酵飲料。
ロンリープラネット
世界的なシェアを誇るガイドブックシリーズ、またそれを刊行する出版社。
アルテミア
塩湖に生息する小型の甲殻類。別名ブラインシュリンプ。