注目されるのは、19年4月にロシア政府が、ウクライナ東部の住民がロシアのパスポートの取得を希望する場合の手続きを、これまで以上に簡易化する方針を打ち出したことだ。ウクライナ東部でロシア国籍を持つ住民の比率を増やし、ロシア軍のこの地域への軍事介入を正当化するためだ。
ロシアは08年にジョージア領に一時侵攻する直前にも、同じようにジョージア領内の分離独立派住民のために、ロシアのパスポート取得を簡易化したことがある。このため米国やEUは、ウクライナ東部住民へのパスポート交付に関するロシアの決定を、挑発的な行為として批判している。
またロシア軍は13年以降、バルト三国に近いカリーニングラード周辺で大規模な軍事演習を繰り返しており、バルト三国では不安が強まっている。NATOは17年1月から、バルト三国とポーランドに初めて戦闘部隊を配置したほどだ。
ロシア政府の強硬な対外政策は同国の市民に歓迎されており、プーチンの支持率はクリミア併合直後に一時約80%に達したこともある。
西欧は「欧州共通の家」提案を無視
ロシア政府のこうした態度の背景には、1989年の革命以降、勢力圏内に置いていた東欧諸国を次々に西側陣営に奪われたという苦い経験と屈辱感がある。80年代から、ゴルバチョフは西側諸国に対して東西冷戦の終結後に、EU・NATOとロシアが協力して、リスボンからウラジオストクまでまたがる「欧州共通の家」を作りたいと提唱していた。しかし西欧と米国がこの構想について本格的にロシアと協議することはなかった。
ロシア側に言わせると、EUとNATOはこの呼びかけを無視して、あたかも事務作業を処理するかのように、東欧諸国を機械的に加盟させていった。ゴルバチョフは東西ドイツ統一をめぐる交渉の中で、「東ドイツにはNATOに所属している西ドイツ連邦軍を駐留させないでほしい」と要求していたが、西側はその意向も無視した。
つまり西側陣営はロシアの共通の家構想を完全に無視し、自分たちの勢力圏を着々と拡大していった。現在ロシアが対外政策を強硬化しているのは、NATOの東方拡大に対する反動でもある。モスクワの国立研究大学・高等経済学校で国際経済学部長を務めるセルゲイ・カラガノフは、プーチンのアドバイザーでもある。つまりプーチンの対外政策の理論的基盤を提供している知識人だ。
カラガノフは、ロシアは周辺諸国に住むロシア系住民の人権を守る義務があると主張してきた。彼は、そうした国々を「近い外国」と呼ぶ。彼は、「近い外国」については、かつてのブレジネフ・ドクトリンが限定的に適用されるという見解を持っているのだ。
私は彼がある講演の中で「西欧は90年代にロシアと欧州共通の家を作らず、我々を欧州の一員に加えることを拒絶するという失敗を犯した。これは西側が一方的に冷戦を継続していることを意味する。ロシアは再び欧州に戦争が起きると考えて、軍事力を強化することにしたのだ」と語るのを聞いたことがある。
この発言には、東欧革命以降の約30年間にロシアが抱いてきた被害者意識、屈辱感が凝集されている。ドイツの歴史家の間にも、EUとNATOがロシアを単に「冷戦の敗者」として扱い、同国の屈辱感に十分配慮せずに、事務的に東方拡大政策を進めてきたことは、戦略的な誤りだったとする意見がある。西欧・米国の一方的な態度が、いまプーチンの対外政策の強硬化につながっているという考え方だ。
つまりロシアの強硬姿勢は、東欧革命への反動でもある。2005年にプーチンは「ソ連崩壊は、20世紀最大の地政学的な破局だ」と述べたことがある。ソ連解体の前触れとなった東欧革命も、かつてソ連の秘密警察KGB(国家保安委員会)の将校だったプーチンの頭の中では、祖国に屈辱を与えた大惨事と捉えられているに違いない。
●ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化は特に西欧諸国では歓呼して迎えられた。それから時が過ぎ、現在のEUに吹き荒れる嵐とは…?「東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の『政治的分断』~③民主化から右傾化へ、東欧の現在地」に続く(2019年5月31日公開)。