ニューヨークでは、この頃からソーシャル・ディスタンシングが徹底された。スーパーは、入場制限をしているので、外に長蛇の列ができる。前後の人との間隔を2メートル空けるので、列はワンブロック先まで続き、入店まで1時間待つこともある。店内はすいているが、ひとつの売り場に人が多くなると「ソーシャルディスタンスを取ってください!」と店員が大声で呼びかけ、他の売り場へ散らされる。
歩道で人とすれ違う時、道の両端に目いっぱい寄るか、車道の反対側へ渡るのが当たり前になった。近所で知り合いに会っても、離れた場所で短めに会話を切り上げて、そそくさと別れる。
ニューヨークの街なかでマスクをしている人を見たのは、この時が初めてだった。うっかりマスクをし忘れて外出すると「マスクしなきゃだめよ!」と知らない人に注意されるほどだ。
感染者の数が爆発的に増え続けて、友人や家族など、身近にも感染者が出たという話題が日常になる。普段は自己主張が強く、指図されるのを嫌うニューヨーカーも、おとなしくソーシャルディスタンスを守りマスクをし始めたのは、コロナ感染に切実な危機感をもつようになったからだろう。
ニューヨークは、今までも同時多発テロや、大停電、ハリケーン・サンディ、リーマンショックなど、多くの大惨事に見舞われてきた。でも、市民の間ではいつも一丸となって苦難を乗り越えようという気概があった。
しかし今回つらかったのは「ソーシャルディスタンス」によって、人との繋がりを断たれ、孤立を強いられたことだ。この頃よく言われた‟We Are All Alone Together.”「私たちは、皆ともに孤立している」という言葉が象徴するように、ニューヨーカーは、孤立しながらも皆で一緒に頑張ろうと励まし合った。
その表れが、毎日夕方7時に、通りから一斉に聞こえてくる歓声だった。時間になると皆、窓から顔を出して拍手をしたり、声を上げたり、鍋などをカンカン鳴らす音が数分間続く。医療の最前線で、日々コロナと戦っている人や、巣籠りしている私たちの生活を支えるために食料品店や交通機関などで働いてくれている人々へ向けての感謝の気持ちを表すためだ。私も窓際へ行って、今まで顔を合わせたこともなかった向かいのビルの人に手を振りつつ、拍手と声援を毎日送った。孤立しながらも、隣人たちと一体感を持てるこういう一時が、大きな心の支えになった。
毎日この音を聞くと、ああ今日も一日無事に終わって良かった、とほっとする。感染者の数が増えるとともに、この音は日に日に大きくなっていった。
4月1日、一人目の感染者が出てからわずか1カ月後、ニューヨーク市の一日の新たな感染者数は5551人、1日の死者数は548人。ニューヨークは、新型コロナ感染拡大の、まさに震源地となっていた。
ロックダウンから1カ月
ロックダウンから1カ月たった頃、空き店舗が目立ち始めた。近所の表通りでざっと数えてみると、わずか2ブロックに13軒もある。
銀行の入り口には「風邪の症状がある人や14日以内に中国、イタリア、韓国、イランへ行った人、または行く予定の人、コロナウイルスに感染している人と最近接触した人は、入店お断り」という告知が張り出され、中は閑散としている。
普段だったら「人権」「平等」「自由」に抵触する、こういう差別的な文言には大きな反発が起きるところだろう。しかしコロナ禍のような非常事態では、皆口をつぐんでしまう。「危険」という言葉を出されると、人の心は「恐怖」で簡単にあやつられてしまうようだ。
2001年に同時多発テロが起きた後、ブッシュ政権が「テロ」という見えない敵に対して戦争を仕掛けた時もそうだった。国内のイスラム教徒が、人権を無視して不当な差別に遭った。同時多発テロを口実に、アメリカがイラク、アフガニスタンに仕掛けた対テロ戦争は、泥沼化していった。9.11によって、アメリカ人の「脅威」に対する感覚は麻痺したのかもしれない。
ロックダウンから1カ月後の4月23日、ニューヨーク市の保健精神衛生局は、新型コロナに関連して死亡したと思われる人の数は、1万5000人を超えたと発表した。