8月29日午前、ホワイトハウスで会議が開かれ、前出の作戦計画(OPS PLAN 25-58)の「フェーズ2」では通常兵器で中国沿岸部の航空基地を攻撃すること、「フェーズ3」に至った場合でも大統領の承認がない限り核兵器を使用できないことが決定された。
それでも、米軍の幹部たちは核兵器の使用をあきらめなかった。
9月2日に行われた米国務省と統合参謀本部の協議で、トワイニング統合参謀本部議長は「中国の飛行場と砲台を小型核兵器で攻撃する必要がある。国防総省のすべての研究は、これが唯一の方法であることを示している」と発言し、7~10キロトンの核兵器を上空で爆発させれば放射性降下物による汚染も生じずに地上の航空機を破壊できると主張している。
さらに、朝鮮戦争でアメリカが核兵器を使用していれば、戦闘はもっと早く終わり双方の死傷者も少なくて済んだとし、「通常兵器の使用は、朝鮮戦争のような長い戦争にアメリカが引き込まれることを意味する」と強調した。
統合参謀本部は、中国軍が大規模な着上陸攻撃を仕掛けてきた場合のような緊急時に軍に付与される特別な権限の中に、核兵器使用を入れ込もうとした。
9月6日にホワイトハウスで行われた会議で、トワイニング統合参謀本部議長は緊急時に軍に付与される特別な権限について提案した。しかし、アイゼンハワー大統領はここでも、核兵器使用は認めなかった。緊急時に金門島に侵攻する中国軍を通常兵器で攻撃する権限は認めたが、中国本土への空爆や核兵器の使用は大統領が承認した場合に限るよう修正を指示した。
その結果、米軍は、少なくとも戦争の最初の段階では通常弾しか使えなくなった。
日本の反核世論を懸念
アイゼンハワー大統領がなぜ、軍部が強く求めた核兵器の使用を認めなかったのかは定かではない。
ただ、米政府の中には、核兵器を使用した場合の国際世論の反発を懸念する声があったことは、いくつかの史料から読み取ることができる。とりわけ、日本の反応を気にしていた。
駐日日本大使だったダグラス・マッカーサー2世は、アメリカが核兵器を使用した場合、日本は在日米軍の完全撤退を要求してくるかもしれず、そこまで至らなくても、台湾海峡での作戦のための在日米軍基地の使用が補給も含めてできなくなる可能性があるという懸念を国務省に伝えていた。
日本では、1954年の「ビキニ事件」(アメリカが太平洋・ビキニ環礁付近で行った水爆実験で、日本のマグロ漁船の乗組員などが死の灰を浴びて被ばくした事件)を機に、反核世論が高揚していた。1957年に首相となった岸信介も、米軍の日本への核兵器の持ち込みに対しては、国民感情をふまえて要請があっても拒否すると明言していた。
米軍も、日本の反核世論の強さは理解していた。核兵器の使用を含む前出の作戦計画「OPS PLAN 25-58」も、在日米軍基地は使用できないという前提で策定されていた。
日本をはじめ世界中から強い反発を招くかもしれないが、それでも核兵器の使用を躊躇すべきではないというのが、統合参謀本部の多数意見だった。しかし、アイゼンハワー大統領が中国本土に対する核攻撃の必要性を認めることはなかった。
結局、中国が行ったのは砲撃だけだった。砲撃によって金門島への補給線を遮断し、封鎖を試みたのである。これに対し、米軍は9月上旬から、台湾本島から金門島への補給を行う台湾軍の輸送船の護衛を開始した。護衛中の米軍艦艇に対する中国軍による攻撃が心配されたが、中国軍艦艇が米軍艦艇に攻撃を仕掛けることはなかった。金門島に対する砲撃は10月初旬まで続いたが、侵攻することは最後までなかった。中国側は、アメリカとの戦争は望んでいなかったのである。
アイゼンハワー大統領が、この中国の意図を読み違えなかったことが、核戦争に至らなかった最大の要因であったと思われる。逆に、読み違えていたら、核戦争になっていたかもしれない。
最初の核攻撃計画は沖縄から
今回のニューヨーク・タイムズの報道を受けて、日本では、アメリカの中国本土への核攻撃の結果、沖縄が核で報復されるリスクを米軍が容認していたという事実が共通して報じられた。この点はもちろん重要ではあるが、もう一つ、どこのメディアも取り上げていない重大な事実がある。
それは、沖縄が核で報復攻撃を受ける前に、沖縄から核攻撃が行われる計画があったことである。
前出の米空軍報告書(「1958年台湾危機の航空作戦」)によると、米太平洋空軍の当初の作戦計画では、中国沿岸部の航空基地への最初の核攻撃は沖縄の嘉手納基地とフィリピンのクラーク基地から発進する計画であった。
前述の通り、米軍は核攻撃作戦に在日米軍基地は使用できない前提で計画を策定していたが、当時の沖縄は日本本土と切り離されて米軍の占領下に置かれており、中国本土に対する核攻撃の発進基地として利用しようとしていた。
だからこそ、共産主義陣営との全面戦争に発展した場合、沖縄に対する核による報復攻撃は避けられないと見ていたのだろう。
「第三の被爆」は甘受できない
1958年の台湾有事では、米軍は通常兵器で数的優位に立つ中国に勝利するためには核兵器を使用する以外の選択肢はないと考えていた。
戦力の面で、また基地や兵站などの作戦インフラの面で、中国側に数的優位があるという状況は現在も変わらない(これは、地理的な理由からどうしようもない)。今後、台湾有事が発生し、米軍が通常兵器による戦争で劣勢になった場合、核兵器使用の誘惑にかられることは十分あり得ることである。
日本は「非核三原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)を国是としているが、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機が日本に一時的に立ち寄ることは、1960年に結んだいわゆる「核密約」で認めており、核攻撃の発進基地として在日米軍基地が利用される可能性は否定できない。そうなれば、当然、核による報復を受けることになるだろう。
米軍は1958年の時と同じように、「台湾を防衛するために、その結果は受け入れなければならない」と主張するかもしれない。しかし、日本にとっては、広島と長崎に続く「第三の被爆」は甘受できるものではない。