会社を辞めた2つの理由
1990年代末、ある外資系のIT関連会社は、一つの深刻な問題に頭を悩ませていた。以前から女性の活躍が目覚ましいとして評判を得ていたその会社ではあったが、実際のところ、優秀な女性が次々と辞めることに危機感を抱いていた。対策を講じるべく、いろいろと思案した揚げ句、率直に離職した女性にナゼ辞めたのか、改めてその理由を聞いてみようということになった。聞いてみると、理由は様々だったのだが、あるとき会社の調査担当者は、辞めた理由が、結局のところ、大きく二つにたどり着くことがわかったという。一つ目の理由とは、「このまま会社で働いたとしても、先がまったく見えないから辞めた」というものだった。そしてもう一つの理由は「このまま会社で働いても、先が見えてしまったから辞めた」という。人は、先が見えないと、希望を失い、先が見えてしまっても希望を失う。
希望とは何か?
社会思想研究者の、R. スウェッドバーグ教授は、希望(hope)とは、A wish for something to come true(何かを実現させようとする願い)と述べる。具体的な何か(something)について、その実現を望む思いであり、漠然と具体化されない抽象的な夢想やあこがれとは一線を画するのが「希望」という。その定義に、法社会学者の広渡清吾氏は、by action(行動)という言葉を加えることの大切さを説く。ただ思うだけでなく、思いを実現するための行動があってこその希望なのだ。実現可能性が希望の決め手だとすれば、希望を持てるかどうかは、経済状況によって大きく左右されることになる。収入が少なければ、希望をかなえるために必要な費用を捻出するのは難しい。働く行為が自己実現の源泉であるならば、仕事を失った人々にとって、希望を見いだすことは難しい。健康を損ねて、自由な行動がままならない人も、希望をかなえることが難しいかもしれない。収入が伸び悩み、無業者が増え、十分な医療や介護が及ばない高齢者も多くなり、過重労働で心身の健康を害する人々も増えると見込まれる未来は、希望を失った社会に映る。
そんな社会でも、希望を持って生きるには、どんな行動が必要なのか。希望の保有状況を調べた希望学の全国調査からは、自分を信頼してくれる友人をたくさん持つという人ほど、将来に実現見通しのある希望を持ちやすくなっていた。子どもの頃から家族の期待や信頼を感じつつ成長してきた個人ほど、現在も希望を持つことが多い。
友人や家族の支えがあってこそ、不確実な未来に対して、希望を実現すべく、勇気を持って行動することもできる。希望には、経済力だけでなく、家族を含めた、自分以外の他者との関係性が大きな意味を持つ。
不安が希望へと変わるとき
一方、日本社会に進むのは、経済の不振だけでなく、日本人の一人ひとりの孤立が深まる姿だ。家族関係の揺らぎや、いじめ、引きこもり、ニート、高齢者の孤独死などに象徴される日本人全体の孤独化の広がりも、希望喪失感の広がりを加速させている。だとすれば、停滞や孤独が強まる日本社会に、もう希望はないのだろうか。先の全国調査からは、希望のヒントが見えてくる。働いている人々のおよそ半分は、5年以内に仕事上の挫折を経験したという。そんな挫折経験者のうち、8割はその挫折を乗り越えてきたとも答える。そして、現在最も仕事に実現見通しのある希望を有するのは、そんな挫折を経験し、かつ乗り越えてきた人々なのである。挫折それ自体はつらい過去だが、その経験の受けとめ方次第では、希望を生み出すきっかけになる。
未来の見通しが持てないとき、不安は広がる。だが、そんな未来を「先が見えないからこそおもしろい」「見えているようでまだ見えてない何かがある(見てみたい)」と感じる想像力があれば、不安は希望へと変わる。先が不確実であることは、けっして悪いことばかりではない。
希望学の調査からは、「無駄になるかもしれない努力であっても、やってみる価値はある」と考えている人ほど、希望を持つという別の重要な事実も見えてきた。現在の情報だけをもとに、目先の損得勘定だけで判断すれば、行動してはじめてわかる希望を見失うことにもなる。
無駄、失敗、挫折、絶望から紡ごうとする物語
効果やスピードを重視し、無駄はすべて排除すべきという、表面的な効率性ばかりが過剰に重視される傾向が続けば、希望を生むために欠かせない社会の余裕や遊びはなくなっていく。希望は、経済力であり、人間関係であると同時に、ひとつの物語である。挫折や失敗などの紆余曲折のない物語なんて、面白みがない。物語の結末が、ハッピーエンドでなかったとしても、そこにたどり着くまでの葛藤や振る舞いが、未来を生きる勇気を与えてくれたりする。
だとすれば、希望のない社会に希望の火を灯すことができるのは、過去から現在、現在から未来へとつながる自分の物語を紡ごうとする一人ひとりなのかもしれない。そんな個人の物語が折り重なったとき、社会の希望という新しい物語が生まれるのだ。