そもそも原産地表示とは
まずは、米を例にとってみよう。同じコシヒカリといっても産地によって味が変わる。なかでも魚沼産のコシヒカリは最高と言われ、値段も高い。しかし、素人が米粒を見ただけでは、魚沼産かどうかはわからない。まして、袋に入っていたらプロでもわからない。そこで、どこで栽培されたかを表示することになった。原産地の表示は、JAS法と呼ばれる農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律によって義務づけられている。生鮮食品の原産地表示
米や野菜、果物といった農産物の原産地はわかりやすい。種がまかれたところで成長し、収穫されるからである。国産にあっては都道府県名、輸入品にあっては国名を表示することになっている。ただし、容易に場所が特定できる場合は、この限りでない。例えば、夕張とか十勝といったら北海道だし、カリフォルニアといったらアメリカであることは容易にわかる。
これが魚になると少し話が複雑である。養殖もの、川や湖で捕れたものなら、場所を特定できる。しかし、海ではごく近海ならいざしらず、遠洋では場所が特定できず、北太平洋とか東シナ海といった水域しかわからない。ということで、魚の場合は、水域名を原産地として表示する。
しかし、遠洋漁業では一度、漁に出るといろいろな水域で漁を続け、船倉がいっぱいになると帰港する。船倉で魚も混じってしまう。どの魚がどの水域で捕れたかがわからなくなる。その場合は、水揚げした港の名、または、その港が存在する都道府県名を表示する。輸入品は、原産国の国名でよい。したがって、同じ魚が、北太平洋産、三崎港産、神奈川県産、中国産と別々の原産地となる可能性があるのだ。
牛や豚といった食肉の場合、最も長い期間、飼育された場所が原産地である。ただし、日本国内では、子牛から成牛になるまで、牧場を移ることが多い。そこで、都道府県名を書かず、ただ「国産」と表示するだけでよい。しかし、松阪とか米沢とかいった地域を書くことは妨げられていない。これらは銘柄牛といって、高級牛である。また、牛肉には別のタイプがあり、それは乳牛である。牛乳を生産し終えた牛を食用とする。当然、食用として飼育された牛よりも味は落ち、安価である。これは「国産」と表示される。輸入品の場合は、原産国が表示される。
加工食品の原料の原産地表示
鳥取のらっきょう甘酢漬けや紀州の梅干し、伊豆の干物などは、伝統的特産品である。ところが、原料のらっきょうは中国産、梅も中国産、魚は韓国産ということが多い。そこで、加工食品の場合も原料の原産地を表示することになっている。ただし、これはすべての加工食品が対象ではなく、生鮮食品に近い、別の言葉でいえば加工度が低いものに限られる。例えば、インスタントラーメンのめんの小麦粉がどこ産かどうかは、めんの味に関係ない。味は、むしろ加工法による影響が大きい。しかし、かば焼のうなぎの場合、産地によって味はかなり左右される。したがって、品質に影響があると見なされる原料の原産地は表示が義務づけられているわけだ。JAS法では、20の加工食品群と、うなぎ加工品、かつお削りぶし、農産物漬物、野菜冷凍食品について、原料の原産地表示が義務づけられている。例えば、エビに衣をつけたものは表示の義務があるが、フライにするとその義務はない。また、生鮮食品と加工食品が混じると、すべてのものに義務がなくなる。鍋物セットでは魚と切り身と貝のみならば表示されるが、これにはんぺんが入るとすべてに義務がなくなる。さらに、表示義務があるのは原材料に占める重量の割合が50%以上のもののみである。50%未満の材料の場合、表示する必要はない。
原産地ロンダリング
輸入した原料を使用して国内で製造する加工食品では、当然、原料の輸入国名が表示される。問題は、輸入原料が生産された国とは違う国で加工されている場合である。例えば中国産の野菜をベトナムで一次加工し、それを輸入して日本で二次加工すると、原料原産地は、中国でなくベトナムとなる。これが原産地ロンダリングである。「商品の内容についての実質的な変更をもたらした」国が原産地となる。何をもって実質的な変更かは、公正取引委員会の判断による。インストア製造食品には一切の表示はない
加工食品の表示は、包装容器の外から見ただけでは何が何だかわからないので、製造業者が文字として、消費者に情報を伝えるものである。したがって、消費者が直接、製造者に聞ける場合は、一切の表示の義務がない。例えば、デパ地下の総菜やインストアベーカリー、コンビニのおでんなどである。しかし、コンビニのアルバイト店員におでんの材料の原産地を聞いても答えは得られなさそうである。これは、法律が建前だというよい例である。さて、それでは消費者の立場としては、どういう対応をとればよいのだろうか。それは偽装がどうして起こるのかを考えてみればわかる。すなわち、偽装が起こる背景には低価格戦略がある。度を越した低価格を実現するにはどこかで無理が起こるのは当然である。消費者も情報を見極め、価格だけでは飛びつかないことが求められるのであろう。