避けては通れないミーンズテスト(資力調査)
生活保護を受けるには、その人の実際の収入が国が定める最低生活水準にどの程度不足しているのかを詳しく調べる必要がある。年金があればその額は扶助基準の額から差し引いて、不足する分だけ支払われる。パートの賃金収入があれば、就労に伴う若干の控除(必要経費)を残しあとは扶助額から差し引かれる。それは、生活保護の保障が、最低生活までの保障に限られるからである。差し引かれるのは所得だけではない。貯蓄があれば、生活保護を受ける前にそれを生活維持に活用することが求められる。一般の人が持っていないようなぜいたくな品も、処分する必要がある。さらには、まずは親類の援助を受けるように促される。生活保護は、このように本人の生活困難の事情を細かく調査することを避けて通れない。公的扶助制度に伴うこうした調査のことを「ミーンズテスト」というが、これが公的扶助の実際の受給を難しくしている最大の原因である。実際、こうした屈辱的なミーンズテストをきらって申請しない人は多く、生活保護が受けられるのに受けていない人が多数存在している。
問題は濫給ではなく漏給
「生活保護とは何か」でも述べたように、生活保護の額はある程度余裕のあるものでなければならないし、必要な人には確実に支払われなければならないものである。そのため、生活保護はさまざまな不正や犯罪の土壌となりやすい。生活保護の受給者に借金をさせて毎月そこからピンハネをさせる業者がいたり、医師を脅して医療費や通院交通費をせしめる者もいる。こうしたことが報道されると、多くの人は、生活扶助の基準が高すぎるとか、通院のための交通費の扶助に限度を設けるべきだなどと思いがちであるが、犯罪や不正と、生活保護の水準や扶助のあり方とは、決して混同すべきではない。こうした制度には、犯罪や不正はつきものである。それが起こらないように努力することは大切なことであるが、だからといって、保護水準を下げて必要な人が最低生活を維持できなくなるようなことがあってはならない。実際、問題は濫給ではなく漏給の方である。先にも述べたように、生活保護を受けられるのに受けていない人が多いからである。受給できるはずの人々のうち、実際にどの程度の人が受けているかを示す数字を生活保護の捕捉率というが、日本の捕捉率は超低率である。いくつかの研究によると、受けるべき人の1割とかせいぜい2割の人しか生活保護を受けていないことが明らかにされている。
機能しないセイフティーネット
生活保護は、他の制度がうまく機能していれば、それほど国の支出は増えない。失業率が低く、賃金が一定水準を維持し、社会保険がうまく機能している場合は、生活保護の費用はそれほどかからない。不況が長く続く場合でも、社会保険が余裕を持って運営されていれば、生活保護が必要になる前に多くの人を救済できる。したがって、生活保護を受ける人が多いということは、本来喜ぶべきことではない。よい生活保護制度を備えながら、それを必要とする人が少ないことが望ましい。反対に問題なのは、普遍的な制度が不十分で、生活保護を必要としている人が多いのに、生活保護がセイフティーネットの機能を十分に果たせず、保護を受ける人が少ないことである。セイフティーネットとは、人々の生きる権利を保障する最後の安全網である。最近の日本の政府は、望ましくない政策を選択してきているように思う。長引く不況で、働く人々の所得は全体として減る一方である。企業は非正規雇用を増やし、正規労働者の賃金も抑えてきた。働いても最低限度の生活が維持できない人々が増えるようになった。こうした時にこそ、重要な役割を果たすのが社会保険であるが、これまでの社会保険は正規労働者をモデルに作られているので、非正規労働者をうまく救済することができない。弱体化した社会保険をしっかりと支えるには、政府がこれまで以上に支援しなければならないのに、政府は逆に社会保障予算を削減し続けてきた。だから普遍的な社会保障制度の網の目からこぼれ落ちる人々、すなわち生活保護を必要とする人々は確実に増えているはずである。
生活保護の申請を辞退させられ「オニギリ腹一杯食いたい」と日記に残して餓死する人(2007年北九州市)が出たり、生活苦から自殺する人が絶えない現状(自殺者は10年連続で3万人超)は、生活保護がセイフティーネットの機能を果たせていないことの現れであるといえる。
増え続ける生活保護の受給者
生活保護の費用は、国が4分の3を、自治体が4分の1を負担している。厳しい財政事情にある国も自治体も、社会保険などの普遍的な社会保障の費用を抑制するだけでなく、生活保護費も抑制してきた。人々に生活保護の申請を諦めさせたり、受けている保護を辞退させるなど、生活保護をめぐって厳しい取り扱いが問題となっている。不況が続く時期に、最後の安全網である生活保護も抑制するのでは、生存権をうたった憲法第25条が有名無実となりかねない。生活できないほどの低賃金が一般化する中では、生活保護の予算を十分に確保していくことが重要である。実際に生活保護を受けている人の数(保護実人員)は、1995年度の88.2万人に対し2006年度では151万人に達している。人口に占める被保護実人員の比率を保護率というが、保護率はその間に0.7%から1.2%に増加し、生活保護の総費用も、95年度の1.52兆円から05年度には2.63兆円に膨らんでいる。しかし、実際に生活保護を必要としている人はもっと多いはずなので、これでも足りないのかもしれない。そもそも日本では、生活保護を受ける人もこれにかかる費用も、先進諸国の中では最低なのである。
公的扶助の国際比較
公的扶助制度は、国によってその位置づけが大きく異なり、地方政府の責任としているところも多く、比較は難しいが、大きくは、できるだけ人々が生活困難に陥らないように「予防の」対策に力点を置く国と、予防にはあまり負担をかけないで生活困難に陥ってから救済することに重点を置く国とに分かれる。前者では、社会保障全体の規模は大きくなるが、公的扶助の規模は小さくなる。北欧やドイツなどヨーロッパの多くの国がこの部類に入る。後者の場合、社会保障の規模自体は大きくないが、公的扶助にはかなりの費用をかける。アメリカがその典型例であるが、イギリスもこの部類に入る。日本は普遍的な社会保険制度が整えられており、前者に属するが、日本の社会保障の規模は小さく、後者のイギリスをも下回っている。にもかかわらず、公的扶助の規模は厳しく抑えられ、それが少ないはずのスウェーデンやドイツをも下回っている。日本は、社会保障の規模もその中の公的扶助の規模も、ともに低い特異な国だということができる。