行財政がダメなら医療を削れ
1980年代初頭、第4代経団連会長の土光敏夫が牽引する第二次臨時行政調査会で、自由民主党の鈴木善幸内閣が掲げた、「増税なき財政再建」実現のため、徹底した行財政改革と健康保険の黒字化等が検討された。結局、行財政改革はほとんど手つかずで、そのツケは医療に向けられた。臨調答申を受けて、当時の厚生省保険局長が、自らの論文の中で「医療費亡国論」を訴えている。つまり医療にお金(税金)をかけることは、経済発展を妨げるので、抑制すべきだというのである。そうして考えられたのが、無医村解消などを目的として全国に設立されていた医科大学(一県一医大)の定員削減である。医療技術の高度複雑化、スタッフの専業化など、将来を予想しない机上の計算で、確かに医療費は節約できただろうが、それと引き換えに命の安全保障である病院の疲弊が始まった。
さらに今から10年ほど前、橋本龍太郎内閣は、「日本は高齢社会を迎え、国民医療費が増大するので、削減の必要がある」という医療制度改革方針を打ち出した。また、「聖域なき改革」と呼ばれた小泉純一郎内閣の構造改革でも、高齢化による社会保障費の年間約8000億円の自然増分を、毎年2200億円ずつ2011年まで5年間抑制するという方針が打ち出され、その政策は全国で医療崩壊がドミノ倒しとなっている現在も堅持されている。
世界最低の報酬と高額出費
病院が行う検査・手術・投薬などに対する診療報酬は、厚生労働省の中医協(中央社会保険医療協議会)が2年ごとに改定して決定するシステムで、政治家さえも関与できない公定価格となっている。政府は医師数に加え、この中医協を使って医療費についても抑制路線を貫いてきたが、2002年度からは、さらなる診療報酬の切り下げが実施され、病院の経営を圧迫している。いかに診療報酬を抑制してきたのか、人手を要する手術料を世界と比較すれば一目瞭然だ。例えば今の日本では、盲腸になった人を入院させ、手術して、病院が受け取れる診療報酬は、患者負担と保険負担を合わせても30万円程度である。この金額は欧米はもとより、アジアのどの国と比較しても低い。一方で、日本の医療技術が高度になった結果、病院では医療機器や薬剤に莫大な経費を積むようになった。OECD(経済協力開発機構)のヘルスデータを見ると、1億円以上するCT(コンピューター断層撮影装置)やMRI(磁気共鳴画像診断装置)の設置率は、加盟30カ国の中で日本がダントツである。しかも日本では法律による規制があって、こうした医療機器を海外から安く個人輸入することはできず、高額の購入費を払わざるを得ない。東京女子医科大学の上塚芳郎教授(医療・病院管理学)によると、メーカー元売り価格(輸入原価)29万円の心臓ペースメーカーが、日本に輸入された時点で72万円、それを病院が購入する頃には100万円に跳ね上がるという。
今の医療政策は政府に好都合
世界の経済大国であり、物価も高い日本において、世界一高額の医療機器や薬剤をどんどん買わされ、それを使用した医療行為でもらえる診療報酬は、先進国で最低レベルなのである。ちなみに政府は、医療にかかる税負担を抑制するため、国民の窓口負担割合を先進国最高レベルの1~3割に設定している。これでは日本の病院が赤字なのはあたり前で、行政が後押しする公的病院であろうと、いずれは赤字で破たんしてしまうカラクリだ。歴史書をひもとけば、明治維新後、政府は「殖産興業・富国強兵」政策は導入したものの、近代医療を実践する病院は民間まかせで、国家として医療体制を整備する意思を日本はもたなかった。しかも当時すでに財政赤字を理由に、当時やっとできた公的病院を簡単に切り捨てていた。今も昔も、国民の命より経済が最優先なのだ。
そして現在、国民医療費は十分抑制されているのに、国民は病院窓口での自己負担額をつり上げられているため、事情を知らず医療費増に反対する。医療政策は政府にとって、まことに都合のいい構図となっている。
今まで病院経営者は、勤務医を含めた職員の“聖職者意識”にすがり、低賃金・過重労働で、どうにか乗り切ってきた。しかし、すでにそれも臨界点に達している。どこかで負のスパイラルを抜け出さなければ、日本の医療崩壊は止まらないだろう。地域の学校や警察、消防が、赤字を理由に廃止されたら、生活は成り立たなくなる。命の安全保障である医療提供体制についても、どう守るか、国民一人ひとりが考える時ではないだろうか。