貧困社会への序曲か-深刻な世界経済の状況
2008年9月のリーマンショック以来、世界は100年に一度ともいわれる深刻な経済危機を迎えており、世界経済は、第二次世界大戦後初めてのマイナス成長に陥るという予想も出てきている。各国とも景気刺激のための金融緩和政策をとっているが、ゼロ金利に近づいていくと、それ以上引き下げること、つまりマイナス金利にはできないので、金融政策による対応も限界に近づいている。そこで、政府による財政政策・需要拡大政策(公共需要に内需拡大)が期待されるが、一国だけの財政政策では円高を引き起こし、需要拡大効果は相殺されてしまう(これを説明する理論がマンデル・フレミング・モデルという)。こうした状況から脱却するには、先進各国が連携して財政拡大政策を行う必要があり、09年4月2日にロンドンで開かれたG20金融サミットで各国間の政策協調が協議されたが、各国の思惑が異なり、なかなか足並みがそろわなかった。最終的には、引き続き各国が財政や金融上の処置を最大限に行うこと、金融規制の対象をヘッジファンドにまで拡大・強化すること、保護主義的な行動をとらないことなどの内容で合意に至ったわけだが、もちろんこれだけで危機が回避されたわけではない。たとえば、自国の産業・労働者だけを守ろうとするあまり、輸入を抑制し、自国製品だけを優遇するという保護主義を例にとっても、今回のG20金融サミットで歯止めがかけられたとはいえ、今後、その台頭の危険性は皆無ではないのである。各国が保護主義に走ると世界の貿易は縮小し、経済はさらに悪化するという悪循環に陥る。実際、1929年の大不況(世界恐慌)をきっかけに各国が保護主義に走り、結局はこれが第二次世界大戦につながってしまった。
今回の経済危機の震源地であり、世界経済を牽引することが期待されているアメリカを見てみると、財政支出を急拡大しているが、その結果、財政赤字も過去最大の180兆円に達するという見込みも出ている。問題は、その財源確保のために発行されたアメリカ国債を誰が買うのかという点である。買い取りを期待されている国は、日本と中国である。したたかな中国はさまざまな外交手段を通じて、アメリカに圧力をかけているが、日本は従順に受け入れるようである。
追い打ちをかけられた日本経済
一方、日本も当然ながら、09年度は深刻なマイナス経済成長が見込まれている。現時点は、失業率の急上昇は見られないが、派遣切りが拡大しており、年度の後半には失業率は5~6%を超えるという見方も強まっている。すでに、製造業によって支えられていた地方では、生活保護の申請が急増している。かつて生活保護といえば、一家の担い手である世帯主が病気などの理由で働けないといったケースが多かったが、現在では健康で働ける状態にあるにもかかわらず、働く場所がないという深刻な状況である。政府は、雇用の悪化を防ぐために、追加の経済対策として15.4兆円の財政支出を行う予定だが、財源の裏付けはなく、大半は国債によって賄われることになる。これは、さらに財政赤字を膨らますことにほかならない。
実は、日本は今回の経済危機の前から多くのハンディを抱えていた。リーマンショック以前の世界各国は、比較的高い経済成長を達成していたが、日本はいざなぎ越えともいわれる長期の景気拡大はあったものの、賃金の上昇は少なく、労働者には景気回復の実感はなかった。むしろ、この間に雇用の不安定化は高まっていた。91年のバブル崩壊や97年のアジア通貨危機などによる日本経済の悪化、派遣の製造業務への拡大などから、日本の雇用形態は激変し、非正規労働者が急増していったのである。一方で、企業は労働者を非正規労働者に切り替えることにより、社会保険の企業負担をどんどん下げることができた。
多くの非正規労働者は、年金や医療などの社会保険と、雇用保険や労災保険などの労働保険で保護されていない。失業者のうち雇用保険から求職者手当を受けている割合はどんどん下がっており、現在では20%程度となっている。このことからも、セーフティーネットがない労働者が増加していることがわかるだろう。こうした状況下で起きた今回の経済危機は、非正規労働者の生活状況の悪化を加速させることになった。
さらに日本はすでに、国と地方を合計すると債務の総計は1000兆円という深刻な財政債務を抱えている、という点でもハンディを負っている。国債発行で賄われている財政赤字の累積は、1)日本政府が国債(借金)を返済できなくなるのではないかという不安が投資家に広まれば、国債価格は暴落し、国債を多く抱えている金融機関、そして最終的には国民は大損害を受けることになる。また、暴落を回避できたとしても、2)利払い費が増加すると、政府が政策のために使える資金が減少し、政策自体を思うように行うことができなくなるというリスクを抱えている。
こうしたなか、どうにか国債価格が安定している理由は、A)小泉改革など、政府が財政健全化の努力を見せていたこと、B)まだ消費税が低く、その引き上げ余力があること、C)国民が膨大な金融資産を持っており、しかも安全資産への志向が強いことなどが挙げられる。しかし、当然ながら、こうした状況がいつまで持つかは不確実である。景気回復後は、増税などにより財政赤字の解消、財政再建に努める必要があり、すでに政府は、今後の増税計画を示した「中期プログラム」を提示している。
深刻な高齢化と人口減少
加えて、日本経済・社会の長期的な動向としてもっとも重要なのが、高齢化と人口減少である。すでに日本の高齢化率は20%を超えており、先進国最高となっている。高齢者向けの社会保障給付は今後も急速に増えていくため、財政負担がますます大きくなること避けられない。また、総人口もピークを過ぎて、今後は減少の一途をたどることが予想されている。一部の地域では超高齢、超過疎という状態は避けられない。こうしたなか、医療や介護、福祉などの基本的な公共サービスを全国民に提供することは、ますます困難になっていくであろう。また、日本経済の頼みの綱である貯蓄率も高齢化により低下傾向にある。そして、輸出の不振などにより、経常収支の黒字幅は縮小し、09年3月には13年ぶりに赤字に転落している。このように今回の経済危機は、衰退に向かいつつある日本社会・経済のだめ押しになる可能性もある。
こうして、日本はバブル崩壊以来、貧困スパイラルから回復できない状態で、世界経済危機に巻き込まれてしまった。経済対策のための国債発行により、さらに財政赤字が膨らむという状況下で、対応策はあり得るのだろうか。次回は、日本の社会保障制度の現状を踏まえながら、年金や医療など個々の問題についてどのような改革が必要なのかを具体的に考えてみよう。
マンデル・フレミング・モデル
開放経済(外国と金融や貿易取引を行っている経済)において、金融・財政政策の効果を分析するための経済モデル。変動相場制の国の場合、金融緩和を行うと金利が低下して資本が流出、為替レートが下落する。これによって純輸出が増加するのでGDPが拡大し、金融政策は有効になる。一方、金融政策が中立的な場合に積極的に財政政策を行うと、GDPが拡大して金利が上昇し、資本が流入して為替レートが上昇する。その結果、純輸出が減少してGDPの拡大を相殺してしまい、財政政策は無効になる。
中期プログラム
2008年12月に閣議決定された「持続可能な社会保障構築とその安定財源確保に向けた中期プログラム」のこと。「中福祉・中負担」の社会保障制度を構築するための中長期的な改革プログラム。
高齢化率
全人口に占める高齢人口(65歳以上)の比率。