幻想の抜本改革議論から卒業せよ
前回でも述べたように、日本社会・経済は、貧困の拡大と社会保障制度の不安定化が最大の問題である。では、こうした問題にどのように対応すべきであろうか。そうした際に、社会保障制度の素人ほど簡単に「抜本改革」が必要だと主張する。多分、そう主張したほうが、格好いいからであろう。しかし、社会保障制度を調べれば調べるほど、抜本改革が困難なことがわかる。その理由は、高齢者にすでに約束した医療サービスや年金給付を行いながら改革するためには、選択肢がかなり制限されること、高齢社会ではすべての人が得をする制度がなく、政治的に実現の可能性が低いからである。実際に、1980年代以降、先進国で医療保障制度の抜本改革を行った国はない。年金においても、90年代後半いくつかの先進国で年金大改革が行われたが、よく調べてみると、実は国民への「見せ方」を変えただけのものであり、まったく異なるシステムを導入するといった改革を行った先進国はない。そして、そうした改革でも実現までにかなりの時間がかかっている。社会保障制度の改革は必要だが、明日からまったく異なった良い制度ができるといった幻想は捨て去るべきであり、無意味な抜本改革論はやめるべきである。
必要な改革は、優先順位を決めて、望ましい仕組みを目指して、確実に一歩一歩進めるべきである。ただ、日本は、少子化が深刻であり、高齢化が諸外国に比べて著しく速く進んでいるため、改革の時間が極めて少ないという問題がある。そこで、実現可能な所得保障・年金改革、医療・介護改革について必要なアイデアを提案しよう。
所得保障・年金改革
生活保護、雇用保険などの所得保障制度と年金改革は一体に考えるべきである。まず、現役世代にとっての所得保障の要である雇用保険の失業給付は、失業者の2割しかカバーしていない。失業保険が切れてしまい、その他に収入がなくなると、生活保護の利用になるが、この利用のためには、ほとんどの資産の保有が制限される。このため、実際に生活保護が定める貧困状態に該当する貧困者のうち、実際に生活保護を利用できる者は2割程度である。一方、年金も未納者の増加や低年金受給者の増加によって大きな穴が開いており、日本の所得保障制度は「スカスカ」の状態である。こうした所得保障の不安定性を克服するためには、現役世代に対しては下から生活保護、失業扶助、雇用保険、住宅手当・児童手当から構成され、高齢世帯については、下から生活保護、最低保障年金、新型厚生年金(所得比例年金)、住宅手当から構成される「重層型の所得保障制度」を提案する。生活保護や生活扶助については、失業前や現役時代の所得に関係なく保障し、年金は、所得に比例した額の保険料を支払い、所得に比例して年金を受け取る所得比例型に一本化する。この一方で、所得比例年金の水準は少しずつ低下することは避けられないので、低下分を補うための私的年金の税制上の優遇が必要になる。
医療・介護改革
医療については、国民健康保険の空洞化、医師不足と後期高齢者医療制度の導入で混乱している。医療保険は、サラリーマンが加入する健康保険と国民健康保険の区別をやめて、所得に比例した保険料徴収のシステムに統一する。実際の保険運営は、都道府県単位で行い、年齢構成や所得などの地域間の格差については、国と地域間で財政支援を行う。その一方、病院が多い、あるいは簡単に通院する人が多い地域では高い保険料にする。医療サービスの提供は、まず、住民は地元の好きな診療所(家庭医)に登録し、病気の際には、その診療所で最初の診察を受ける。そして、病状に応じて適切な病院を紹介してもらう仕組みにする。簡単な病気やけがは、診療所で対応してもらう。診療所は、登録した住民数に応じて保険から報酬を受け取る。住民は、適切な病院を紹介してもらえる一方で、これまでどおり、いつでも好きな病院に通える「アクセスフリー」という利便性は制限される。便利性をとるか、安全性をとるかという問題であるが、今後は安全性を重視する必要があるだろう。介護については、介護労働者の不足が深刻であるが、まず介護労働条件の引き上げによる労働力確保が重要である。そのためには、介護報酬を引き上げることになり、連動して介護保険料も上昇することになる。この場合、国民の負担も増えるが、介護サービスが良質なものであれば納得するだろう。問題は、現在の介護サービスの質が評価不可能な点である。介護労働は、単純労働ではなく、自立支援や認知症ケアなど極めて高度な知識を必要とする分野である。介護の質を引き上げ、それを国民が理解し、支援するシステムを作る必要がある。
医療も介護も次第に保険料が上昇するが、こうした負担増は、若い世代に回すのではなく、なるべく高齢者世代内で吸収すべきであろう。高所得の高齢者にはより多くの負担を求めるべきである。また、高齢者の健康寿命を長くすれば、それだけ医療や介護の財政負担は軽減する。高齢者の健康作りを支援する仕組みを導入する必要もあるだろう。例えば、運動量を測定し、それに比例して減税するなどの工夫である。健康作りで病気や要介護の期間を短縮できれば、減税分よりも財政にとってはメリットが大きくなる。
解決策にならない積立方式
こうした賦課方式を何とか続けようとする改革案とは別に、いまの賦課方式(世代送り方式)の公的年金や医療保障制度を廃止し、民営化して積立方式にすれば、高齢社会を乗り越えることができるという民営化・積立方式案への支持も根強くある。賦課方式とは、若い世代が支払った保険料を高齢者に年金として支払う仕組みで、積立方式とは、国民それぞれが、若い時から保険料を積み立てて、それを老後取り崩す仕組みである。積立方式にすれば、若い世代の人数が減少し、高齢者が増える高齢社会も乗り越えることができるし、支払った保険料に利子がついて、自分たちに返ってくるので、世代間での損得も発生しないという意見である。しかし、実は、この方法でも経済成長が高くならないと、高齢化社会を乗り切ることはできない。その理由は、次の通りである。
積立方式に切り替えても、経済成長が上昇しないと、次の2つの問題が発生する可能性がある。
まず、1)高齢者が保険料を積み立てて、それが国債・預貯金という資産になっている場合を考えてみよう。相対的に人口の多い世代が現役から一斉に退職すると、労働者ではなく、完全な消費者になり、高齢者グループの消費量は増え続ける。しかし、少子化で現役世代の労働者の数が減少し、資本蓄積も鈍化しているため、経済成長低いままだとこうして増加した人口の多い高齢者の需要をまかないきれなくなる。そうなると必然的に物不足となり、インフレが発生し、高齢期世代の実質年金額は低下し、年金の価値が低下する。
次に、2)高齢者が保険料を積み立てて、株式で資産を持っている場合はどうなるか。人口の多い高齢者世代が、それを現金化するために一斉に株式を売却する。もし、もし若い世代の経済力が伸びていれば、その株式を購入することもできるが、経済成長がなく、若い世代の経済力が伸びていないと株式を買い支えることはできない。結局、株価は下がり、資産価値は低下し、実質年金額は低下する。
このように、積立方式でも、経済成長が低い限りは、年金制度は高齢化社会を乗り切ることはできない。さらに、政治的決断の実現可能性としても積立方式に切り替えるための「政治的時間」はもうない。積立方式に短期で切り替えるためには、中高齢者が切り替えコストを引き受けることになるので、政治的に賛成しないであろう。中高年はすでに投票者の過半数を占め、2005年の衆議院総選挙の平均投票者年齢は52歳になっている。
さらに加えると、日本レベルまで社会保障制度が充実した国で、年金、医療などを積立方式に切り替えた国は世界にない。