医療事故が社会問題化した
医療事故とは、医療に関する場所で行われる全医療行為において、過誤過失の有無は問わず、人身に何らかの傷害が生じた事故を指す。例えば、診察に訪れた患者が院内で転んで負傷しても、医師が誤って自分の腕に注射針を刺しても、医療事故として扱われる。そのうち、医療ミス(医療過誤)と規定されるのが、思い込みや不注意で起こる人身事故である。薬剤投与の指示間違い、患者取り違えなどの人為的ミスから、チーム医療の連携のほつれ、医療機器の故障や不具合、医療現場の疲弊や衰微といったシステム面のエラーまで、様々な因子が存在する。医療ミスの多くは、これらの因子が複雑に絡み合って起こるため、一つに原因を分析して特定することが困難なのである。以前は、それを理由に真実を公表せず、カルテの改ざんや隠ぺい等を行って、責任逃れをする医療機関もあった。今でこそそのような不正はなくなったが、残念なことに、国民の目は依然厳しく、不安や不信感もいまだに拭い去られていない。
そんな風潮の中で問題化したのが、2004年の福島県立大野病院事件である。同病院で帝王切開中の妊婦が胎盤剥離処置で失血死し、2年後、担当医が業務上過失致死罪、および医師法21条(異状死の届出義務)の違反容疑で逮捕された。最終的には処置の正当性が裁判で認められ、09年8月に無罪判決で結審。しかし、本件をきっかけに「医療ミスの原因を裁判で明らかにするのは困難」と言及されるようになったこと、一方では警察による医療従事者の不当逮捕を牽制(けんせい)したいという思惑を受けて、厚生労働省と医師会が中心となり、医療安全調査委員会(医療事故調)設置の検討を始めたのである。
医療安全調査委員会の落とし穴
当初、医療安全調査委員会は、事故原因を究明して遺族に説明を行い、調査内容は医療現場にフィードバックして、再発を防止させる第三者機関として構想されていた。ところがその後、事故原因に故意や重大な過失が認められた場合、委員会は警察へ届け出なければならない、という役目が盛り込まれた。そこで通常の医療行為を、大きく逸脱した行為が明るみに出れば、当事者は逮捕・起訴され、相応の刑事罰に処されることになる。医療従事者の責任糺弾を叫ぶ人は、「タクシーやトラックの運転手が、事故で人を死なせれば業務上過失致死罪に問われるのに、医者や看護師だけが免責なのはおかしい」と主張されるだろう。かといって、責任追及を柱とした医療安全調査委員会が発足すれば、医師や看護師は、自らの不利益になろうとも、真実を供述しなければならない。つまり法律で保障された黙秘権さえ、与えられないおそれがある。そうした不利の中で、本当のことを話す人は果たしてどれだけいるだろうか。かえって証拠隠匿を助長させ、本来の目的である原因究明と再発防止がおろそかになるのではないだろうか。
医療は人の生死に大きく関わる仕事なので、他のどんな職種よりも、過誤過失が深刻化しやすい。しかし、一般の人が考えている以上に医療にも不確実性や限界があり、患者の体質や疾患の状態で生じる合併症まで、全部予見して治療を進めることは不可能なのだ。もしも過失責任の追求が、そうした点を無視して行われるなら、危険を伴う医療現場には、やがて一人の従事者もいなくなってしまうだろう。
医療事故防止のためのヒント
1999年、アメリカの医療の質委員会は、数多くの医療事故を分析し、報告書『To Err is Human(人は誰でも間違える)』をまとめた。その冒頭で、委員長のウイリアム・C・リチャードソンは、以下のように述べている。「人間はどんな仕事でも間違いを犯す。間違うことが難しく、正しく行うことがやさしいといった設計をしておけば、間違いは防げる。自動車は後ろ向きには発進できないよう設計してある。だから事故が防げるのである。パイロットの飛行時間は、休みなく、連続して何時間も飛べないように組まれている。(中略)…医療システムが複雑になるに従って、エラーが生じる機会も増える。これをただすには、医療従事者、医療機関、医療サービス購入者(保険加入者)、医療消費者、法律家、為政者などが共に努力する必要がある。伝統的な医療の壁や、当事者を非難する文化を壊さなければならない。最も大切なのは、安全の観点から、プロセスを組織的に設計し直すことである」(日本評論社『人は誰でも間違える~より安全な医療システムを目指して』より引用、医学ジャーナリスト協会訳)
こうした認識の下、アメリカの病院には、日本の数倍に及ぶ数の医師や看護師が配置され、医療秘書、ナースプラクティショナー(NP)、フィジシャンアシスタント(PA)等の専門職が、チーム体制で安全対策を講じている。しかし日本では、貧弱な医療現場の改善努力は放棄され、事故が起きた場合に当事者の責任を追及するシステム作りに労力が費やされている。このままで、本当に医療はよくなるのだろうか。本来なら、医療事故を起こさないための教育や体制作り、万一事故が起きても、遺族に十分な補償ができる制度等を導入する、といった対策を優先すべきではないだろうか。医療崩壊阻止のため、今こそ国民一人ひとりが正しい情報を得て、建設的な判断を下す時が近づいていると思う。