決定的な不足は「人」と「金」
今般、日本は未曾有の少子高齢化社会に突入しようとしている。万人に手厚い医療が、今までにも増して求められる時代になってきた。しかし、その担い手である全国の公立病院や大学病院では、医師不足が深刻化しており、勤務医や看護師の疲弊、救急患者のたらい回しなどを助長。さらに経営赤字を悪化させ、やむなく廃業に追い込まれる病院も出てきている。医療崩壊の危機がニュースなどで騒がれ始めてから久しいが、一向に回復の兆しは見えてこない。もちろん、それには原因がある。ひと言でいえば、政治家や官僚が経済最優先で、医療の現状を正確に把握せず、「医師は将来余る、医療費には無駄がある」など甘い見通しで立てた政策を、かたくなに引きずってきたことだ。ただ時すでに遅く、誰かの責任さえ問えばすむ状況ではなくなってきている。一刻も早く、即効性のある処方箋が必要といえるだろう。
私は、今の医療現場に決定的に足りないものは「人」と「金」であると、以前から訴えてきた。これらは戦いでいえば「弾」と「食糧」にあたるが、長年の低医療費と医師養成抑制策のツケが噴出している現状からすれば、もはやちょっとやそっとの補充ではすまされない。
医師の早期育成と補助職の採用
まずは人材。現在、日本の常勤医数は推定26万~27万人である。それを経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均なみにするなら、最低14万人、高齢医師や女性医師の職場環境も考慮すると20万人は増やさなければならない。医師の教育には、時間と人手が必要だ。そこで、各大学医学部の定員を50%増加する、年1回の医師国家試験を増やして医学部の予備校化をなくし、卒後研修生を増加させる、などの方法はどうか。欧米にならって、学士入学者を対象に4年間で卒後研修までの医師教育を行うメディカルスクールを導入してもよい。
将来的に医師が過剰にならないよう、実働医師の数を調査し、各地域で必要な医師数の試算を行う。同時に医師不足が最も深刻化している外科、救急、小児科などについては、第三者機関を立て、相応の報酬をもって医師を再配置・分配することも検討すべきだろう。
一方で、現在、働いている医師に職場放棄させないための対策も重要である。例えば医療秘書など、コメディカルと呼ばれるスタッフの導入、看護師に一定の医療行為を分担してもらうナースプラクティショナー制度(NP)、手術や患者説明といった医師の業務補助を行うフィジシャンアシスタント制度(PA)など、海外で効果が認められている制度を、柔軟かつ大胆に採用する。これで中堅医師も雑務から解放され、働きやすい環境整備ができるので、若手医師が育つまでの間も十分に持ちこたえられる。
それらの実現のため、医療政策を管轄する厚生労働省、医療教育を管轄する文部科学省、予算を管理する財務省、各大学医学部、日本医師会や病院会からもメンバーを集めた医療再生緊急会議を内閣府に設置することを提案したい。現場から乖離(かいり)している厚生労働省の医系技官に代わり、政府の中枢にいる人たちが、現場の正確な情報を共有し、すばやく大胆に施策を講じていくことが望まれるからだ。
総医療費をGDPの10%に
公立病院、大学病院をはじめ、日本の多くの病院の経営赤字は、医療費を早急に見直して解消させることが必要になってくる。先ごろ厚生労働省が、2007年度の日本の国民医療費が、総額34兆1360億円で過去最高を更新したと発表した。確かにこの数字は私たち一般人から見ればすごい金額だ。だが実際には、日本のGDPあたりの医療費は世界の主要7カ国(G7)の中で、常に最低レベルなのをご存じだろうか。仮に虫垂炎(盲腸)の手術を行い、日本の病院が受け取れる医療費は、例えば済生会栗橋病院なら約35万円である。しかし、ニューヨークやロサンゼルスの病院は200万~240万円、香港で約150万円、ロンドンでは約115万円という高額な医療費を受け取れる。これほど日本は医療費を抑えているのに、「医療費が高すぎる」「病院は儲けすぎる」という説明は、おかしくないか。今こそ早急にG7諸国なみに、総医療費をGDPの10%(現在より16兆円増)とし、医療提供体制を充実させるべきだろう。
高福祉・高負担といえば、「結局はそこか、財源はどうする」との声も出る。しかし経済が低迷を続ける昨今、日本の健康保険制度は風前のともしびだ。高齢化が止められない以上、せめて医療費の公的負担を先進国なみに増やすべきではないだろうか。もちろん、それを支える人たちの痛みを少しでも軽減できるよう、国民一人ひとりが健康への意識を高め、救急車や救急病院の乱用を自重するなど、医療費膨張に歯止めをかける協力も必要となる。
医療機関自体にも、自立をうながす改革が必要だ。かかりつけ医や病院、高度先進医療を担う病院等は、連携を取りつつ役割を分担。とくに地域医療を担う中核病院は、市民が自発的に「小児科を守る会」を立ち上げて話題になった兵庫県立柏原病院のように、情報交換で住民と密接につながる取り組みを行う。それには医療の透明性を確保し、医療の量と質の向上に、今まで以上に力を注ぐことだ。地域住民の力を借りて若手医師を育て守る、医師育成サポーター制度を積極的に採用するのもよい。
以前、ある講演で「アメリカの医療が高い質を保つ理由は、いかによい臨床医を作るかに腐心した結果である」という話を聞いた。よき臨床医をきちんと育てられれば、おのずと医療はよくなる、その制度さえ確立できれば、すべては自然にできあがる…と説いており、とても感心させられた。日本でも、そこにこそ医療崩壊から医療再生への糸口があるように思う。