実は高い日本の子どもの貧困率
2008年は、日本における「貧困の再発見」の年であった。08年秋以降の経済危機は、派遣労働者を始めとする非正規労働者の労働条件の悪さを浮き彫りにし、マスメディアはそろって「貧困襲来」などショッキングな見出しを付けた報道を始めた。加えて、08年末には、派遣切りなどによって住居を失った人々のための短期宿泊施設「派遣村」が、霞が関省庁の目と鼻の先にある日比谷公園に支援団体によって開設され、連日のようにその映像がテレビをにぎわせた。貧困という事象が現代日本の中にも存在するという認識は、確実に広がっている。それまで、「格差」という言葉でひとまとめにされてきた社会の「不公平」が、「貧困」という言葉で表されるようになってきたのである。これは、ある程度の格差はいたしかたがない、社会の活力を保つための必要悪である、という格差肯定論に対する強烈なカウンターパンチであった。しかし、日本においても貧困が広がりつつあるという認識がほぼ共有化されてきた現在においても、日本の子どもの貧困率が13.7%(2000年代中頃、OECD調査)、約7人に1人の子どもが貧困状態にあると言うと驚く人が多い。13.7%というのは、貧困大国と言われるアメリカ(20.6%)や、ドイツ(16.3%)などに比べると低いものの、デンマーク(2.7%)、フィンランド(4.2%)などの北欧諸国、フランス(8.0%)、イギリス(10.1%)などに比べると高く、OECDの30カ国の中では上から12番目の数値である。
実は、日本の貧困は、08年のリーマン・ショック以降に突如として発現した問題ではない。上記のOECDデータは04年の調査に基づくものであるし、もっと長期のデータを見ても、子どもの貧困率は過去20年間、好景気・不況にかかわらず上昇してきている。OECDの推計によると、1990年代半ばの日本の子どもの貧困率はすでに12%であり、この時でさえ8人に1人の子どもが貧困状態であった。日本の子どもの貧困率が北欧並みに低かったことは、少なくとも過去20年間の間、一度もなかったのである。しかし、日本の社会や行政が、子どもの貧困を社会問題として認識してきたことはほとんどなかったと言ってよい。
相対的貧困とは
なぜ、日本の社会は子どもの貧困に対してここまで無関心だったのだろうか。その理由の1つは、日本の多くの人が持っている「貧困」のイメージは、食べ物にも事欠いている、衣服もボロボロである、といった生存さえ危うい状況であることがある。具体的には、発展途上国の難民や、第二次世界大戦直後の日本の状況を思い浮かべる人が多い。このような状況は、一般的に「絶対的貧困」と呼ばれる。しかし、現在、国際機関や先進諸国の大多数が用いている貧困の概念は「相対的貧困」と呼ばれるものである。「相対的貧困」とは、人がある社会の中で生活するためには、その社会のほとんどの人々が享受している「普通」の習慣や行為を行うことができない状態であると定義する。人が社会の一員として生きていくためには、働いたり、結婚したり、友人や親せきと交流したりすることが可能でなければならず、そのためには、ただ単に寒さをしのぐだけの衣服ではなく、人前にでて恥ずかしくない程度の衣服が必要であろうし、電話などの通信手段や、職場にいくための交通費なども必要であろう。これらの費用は、社会で「当たり前」とされている生活がどの程度のものであるのかによって相対的に決定されるというのが相対的貧困の概念である。先に挙げたOECD調査による子どもの貧困率は、この相対的貧困の割合である。OECDによる貧困の定義では、世帯所得を世帯人数で調整し、その中央値の50%を貧困線として算出している。つまり、所得を多い順(または少ない順)に並べて、その中央に位置する値(中央値)の半分以下しか所得のない世帯の比率が相対的貧困率である。
しかしながら、政治家やジャーナリスト、研究者にいたっても、日本人の多くは今でも、「絶対的貧困」のイメージしか持っていないのが現状である。確かに、今の日本の子どもたちの中で、餓えたり、凍死したりするケースはほとんどないかもしれない。しかし、教育の現場からは、夏休みが終わるとやせて登校する子(給食がないため)、体操着が肌が透けるほどボロボロの子、就学旅行やクラブ活動ができない子、授業料を滞納しているため卒業式に出させてもらえない子など、悲惨なケースが多々報告されている。これが、「相対的貧困」の現実である。日本の人々が、このような状況を「多少の格差はしかたがない」とか「親の努力が足りない」「少々がまんすることは必要だ」などというような考えで、それを社会問題と認識しないこと、それが冒頭に述べた「貧困に対する無頓着」な対応につながっているのである。
しわ寄せは子どもに
なぜ子どもが相対的貧困状況にあることが問題なのか? 子どもの成長や発育が、子どもの置かれている経済状況によって大きく異なることを示すデータは枚挙にいとまがない。例えば、すでに、義務教育の段階から、親の経済状況と子どもの学力には相関がある。そして結果として、子どもの高等教育への進学率も親の所得によって左右される部分が大きい。学力ばかりではない。親と一緒に過ごす時間など情操教育を受ける環境や、子どもの心理状況や考え方も、世帯の経済状況によって異なる。世帯所得が低いほど、「子どものことで相談相手がいない」「休日に子どもと十分に遊んでいない」などと訴える親が多く、子どもは「学校は居心地が悪い」と考え、「たいていの先生は私を公平に扱ってくれる」と思う率が少ない。家庭の経済的ストレスは、最悪の場合、非行や児童虐待にもつながっている。児童虐待を受けたり、非行に走ってしまう子どもたちの中に、貧困世帯の子どもたちが多く含まれていることも事実なのである。
(後編へ続く)