牛の命の明暗を分けた福島第一原発半径20キロ
11年3月11日に起こった巨大地震と大津波の影響で発生した、東京電力福島第一原子力発電所事故。チェルノブイリ事故以来の深刻な事態に発展したこの事故によって、多くの人が自宅を追われ、今なお不自由な避難生活を余儀なくされている。人の管理下にあった動物も被災し、多くのペットは命を救うための手が差しのべられたが、家畜の中には生きることを否定されたものがいる。
事故発生後、一刻を争う避難勧告が出たとき、飼育農家の多くは一時的な避難のつもりで家畜を畜舎に残して政府の指示に従った。その結果、取り残された家畜の多くが畜舎で餓死し、長期化を懸念した一部の農家が放した牛や豚は、野良と化して町をさまよった。身の危険を承知の上で、避難所から世話に戻る人や支援に来た動物ボランティアもいたが、4月22日、福島第一原発から半径20キロ圏内が警戒区域に設定され、罰則付きで立ち入りが制限されたことで家畜の世話は困難となり、事態はさらに悪化した。
そして、5月12日、原子力災害対策本部と農林水産省は、警戒区域内の家畜の取り扱いについて、生存している家畜の区域外移動の禁止と、所有者の同意を得て安楽死処分の方針を公示、原子力災害対策特別措置法に基づき、福島県知事に対して安楽死処分を指示した。
一方、20キロ圏外の計画的避難区域には立ち入り制限はなく、牛も移動できた。この区域の中には警戒区域よりも放射線量が高い場所が多数あったにもかかわらず、人間が決めた半径20キロという境界線だけで、牛の命が線引きされたのである。
なぜ移動が許されなかったのか
そもそも、なぜ警戒区域内の牛は移動そのものが禁止されたのか。牛の移動禁止と殺処分と聞くと、10年に宮崎県で発生した口蹄疫の際の対処を思い出す方も多いだろう。家畜の感染症である口蹄疫は感染力が強く、感染拡大防止のためには家畜伝染病予防法に則ったやむを得ない措置だったと言える。
しかし、今回は感染症ではなく放射性物質である。牛の移動による放射性物質の拡散を懸念するのであれば、警戒区域から救出された犬や猫がスクリーニング(必要であれば除染)を受けて区域外へ出たように、牛にもその対応はできたのではないか。内部被ばくした牛の肉や牛乳が市場に出回ることを懸念するのであれば、その規制を徹底すればよいことだ。農水省は、警戒区域内では十分な飼養管理ができないため、動物が衰弱するのを回避することを安楽死処分の理由としているが、区域外に移動すれば世話もできるはずだ。
私が代表世話人を務めるNGO農業と動物福祉の研究会では、11年4月14日に農林水産大臣宛てに、被災家畜の救護と家畜公衆衛生対策についての要望書を送り、瀕死の家畜の安楽死と、飼育管理できない家畜の救護移送を提言した。日本には受け入れ先になりそうな国営、県営などの公共育成牧場がたくさんある。実際に事故発生直後に、農水省がアンケートをとったところ、24都道府県で受け入れ可能の回答があったという。にもかかわらず2カ月間何の動きもなく、出した結論が安楽死処分とは、家畜の救護政策を放棄し、安易に安楽死の方針に走ったと言わざるを得ない。
畜産業は命を育てる仕事という誇りと安楽死
事故以前にはおよそ3500頭いた牛は多くが餓死し、これまでに約1500頭が安楽死処分された。しかし、安楽死は「所有者の同意を得て行う」とされ強制ではないため、拒否する農家も多い。野生化した放れ牛も含めると、現在も約850~900頭の牛が旧警戒区域内に生存している。ちなみに、野生化した豚も一部いるが、大半の豚とニワトリは餓死したため、安楽死処分は11年8月で終了したとされる。
内部被ばくした牛の肉や牛乳は市場に出荷することはできないため、もはや経済的価値はない。それでも安楽死に応じないのは、「自分が育てた牛を意味なく殺せない」という思いがある。「命を奪って肉にするのに、どうして安楽死はだめなのか」という世間の声を耳にすると、飼育者の思いとの大きな温度差を感じる。消費者にとって牛は肉や牛乳など畜産物にしかすぎないだろう。しかし、飼育農家には「畜産業は命を育てる仕事」だという哲学があり、それが牛飼いとしての誇りでもある。
安楽死に応じた農家にしても苦渋の選択であり、やすやすと受け入れたわけではないし、拒否している農家とのわだかまりもないとは言えない。2年間がんばったが、体力の限界や家庭の事情で安楽死処分に応じる人も出てきている。そして、出荷できない牛を目的もなく飼い続けることへのジレンマもある。しかし、被ばくしながら生き続けている牛たちは、原発事故の生き証人であり、その生命価値はとても貴重だ。この命を今後どのように生かしていくかは、これからの課題でもある。
廃業宣言は出さない
もちろん、理不尽な現状の原因をつくった東京電力に対する怒り、警戒区域という一方的な線引きで安楽死を迫る国や県に対する不信感、言いなりにはならないという反発心も安楽死を拒否し続ける原動力となっている。
第一原発から14キロの浪江町にある「希望の牧場・ふくしま」では、もともと飼育していた牛以外に、放れ牛を保護したり、他の飼育農家が飼えなくなった牛を預かったりして、350頭以上を飼育。生命存続の危機にある牛の現状を知ってほしいと、積極的に活動を行う。飼育作業のサポートやエサの供給、資金面などを支援する市民グループに支えられて、仮設住宅から自分の牧場へ通う人も多い。60代以上の高齢者も多いが、いずれは復活させるという思いから廃業宣言は出さないという。
そもそもこういう事態を招いたのは誰か
警戒区域が解消された今も、牛の安楽死処分の方針は変わらない。放れ牛と自動車の交通事故や民家を荒らすなどの事態も生じ、飼育農家に非難の目が向けられることもある。けれども、そもそもこういう事態を招いたのは誰かということを忘れてはならない。
私からの提案は、今からでも遅くはないので避難指示区域(旧警戒区域)から牛を移動させること。まず第1弾として区域内の低線量地に移動させ、最終的には県外の公共牧場に移動させるのが、現時点での最良の選択だろう。
生きている牛が900頭もいて、安楽死に応じない農家が多数いるという現実を前にして、政府も農水省も福島県も思考停止状態に陥っており、新たな策を見いだそうとはしない。だが、牛を安楽死させることですべてを解決できたと錯覚してはいけない。なかったことにしてはならないのだ。原発事故の対応はこの先何十年も続く。