そもそも憲法とは何か?
憲法とは、立憲主義すなわち「権力を法で拘束し、権力濫用(らんよう)を防止する構想」を実現するための法である。ここでいう権力濫用とは、国家が持つ暴力性を、理不尽にぶつけること。つまり国際平和をかく乱したり、国民の人権を侵害したりすることである。したがって憲法は、平和や人権の尊重を、国家に義務づけることが目的になる。また権力の濫用は、とりわけ権力独占(独裁)の状況で生じやすい。そのため憲法には、権力分立を義務づける内容も盛り込まれている。このように憲法とは、平和や人権を尊重し、権力分立を実現するための法なのである。
もちろん憲法も法典の一つであるから、立憲主義の実現により適切な規定の仕方があるなら、改められるべきだろう。例えば、近年の貧困拡大に対応するため、生存権を保障する憲法25条1項を、より具体的な規定に改めるべきだ、という改憲論はあり得る。
大切なのは、立憲主義に照らして、現状どういう問題があり、その解決のためにどのような対策が必要なのかを具体的に考え、十分な検証のうえで国民の納得を得ることである。
漂流する自民党改憲草案
この点、自民党改憲草案は、何を実現したいのか不明確な点が多い。例えば天皇を「元首」とするかどうかは、法的には実益の乏しい議論である。国旗国歌条項も、すでに国旗国歌法で明確に定められた内容を、わざわざ憲法典に盛り込む必要がどこまであるのか、よく分からない。
さらに不明確なだけでなく、人権保障の理念に逆行するような規定もある。
しばしば話題になる、公益や公の秩序を尊重する義務(憲法12条、21条2項)や、家族が互いに助け合う義務(憲法24条)は、文字通りに読めば、その義務の範囲では、憲法で国民に与えられた権利を国家は保障しなくてもよい、という規定になる。
家族の助け合い義務を規定すれば、そのぶん国家は介護や生活保護などの社会保障を減らしてもよい、という議論にもなり得る。もしも権利保障の水準を下げることを目指しているのだとすれば、自民党改憲草案は国民の生活を脅かす、極めて危険な内容である。
もっとも自民党の議員は、しばしば、これらの規定は「訓示規定」であり、人権制約を正当化するものではない、と説明している。しかし、そうなると今度は、これらの規定を導入する意味が分からなくなる。
結局、自民党改憲草案の目標は不明確であり、改憲それ自体が目的となっているのではないか、という疑念を禁じ得ない。実際、改憲を強く主張する自民党の議員は、改憲の理由として「日本国憲法の制定過程」を挙げる。
しかし、制定過程を理由にするということは、逆に言えば「内容には文句がない」ということである。そして、内容と無関係な、感情的わだかまりの解消を目的に改憲を提案するから、目標が不明で不毛な議論になってしまうのである。
96条改正論議は疑問だらけ
憲法改正手続きを規定した憲法96条の改正論議についても、やはり改憲それ自体が目的となっているのではないか、という疑問がある。憲法96条は、改憲発議に衆参両院の総議員の「3分の2」以上の賛成を要求している。安倍晋三首相らは、この数字を「過半数」に引き下げるべきだ、と主張した。その理由は、(1)国民は信頼できるから大丈夫だ、(2)諸外国、特にフランスでは過半数で改憲発議ができるのだから、日本もそれに合わせるべきだ、(3)国民が望む改正を、3分の1をチョット超える国会議員の反対で阻止できるのはおかしい、といったものだった。
しかし、いずれも「過半数」改憲の理由としては、あまりに浅薄である。
まず、(1)国民は信頼できるから大丈夫だ、という主張は、要するに「過半数になるとおかしな提案も出るだろうが、国民投票が否決してくれるから大丈夫だ」というものである。しかし、国民が否決してくれることは、おかしな提案をしてよい理由にはならない。
また、(2)のフランスとの比較も恣意的である。
フランス第五共和政憲法では、徹底した共和制原理に基づいており、国王を置く制度は採用できない。しかもこの共和制原理は、憲法改正手続きを経ても改正できない事項とされている。フランス憲法を真摯(しんし)にまねるなら、天皇制を廃止し、その復活を禁じてから、改憲要件を過半数まで下げる必要がある。しかしそのような提案は、ほとんど聞かれない。
外国憲法の一部だけを切り取り、比較するのは、フェアな態度とはとうてい言えない。
さらに、(3)国民の望む改憲を、国会議員が阻止するのはおかしい、というのなら、その数が「過半数」であっても、議員が改憲を阻止できるのもおかしいことになる。国民の望む改憲を、かたっぱしから実現すべきだというなら、発議に必要な賛成数を「3分の1」や「4分の1」に緩和して、野党にも改憲発議権を認めたり、国民発案(人口の1%の署名で発議できるようにする)の導入を提案したりすべきだろう。
「過半数」提案は、自分の思い通りにならないことへの不満以外に、建設的な目標のない主張であったからこそ、強い批判が集中した。
とにかく改憲しやすい手続きにしたい、というのは本末転倒な議論である。憲法改正手続きは、よい改憲案を作るにはどのような手続きがよいのか、という観点からデザインされるべきだろう。
まず深呼吸してから再議論を
自民党は、2013年の参議院選挙期間中、その報道姿勢への不満を理由に、TBSの取材を一切拒否するという強硬な姿勢を打ち出した。ここに自民党の立憲主義への理解の低さが、集約されているように思われる。確かに厳しい政治の世界で、メディアに不信感を持ってしまうことはあるだろう。
しかし、自分たちの気にくわないメディア、その背後にいる国民を排除しようという姿勢は、多様な個性の尊重という憲法の基本価値を無視するものである。まず深呼吸して、われわれは皆、異なる個性を持っており、互いに尊重し合わなければならないことを思い出してほしい。そうすれば、落ち着いた気持ちになって、適切に憲法について考えることができるだろう。
憲法は、多様な個性が共存するための知恵である。
日本国憲法の制定過程
現行憲法の制定には、ポツダム宣言の執行機関である連合国最高司令官総司令部(GHQ)が大きく関与した。そうした史実から「アメリカの押し付け憲法であって自主憲法とは言えない」との意見が、改憲理由としてしばしば議論されている。一方で、国民はこの憲法の登場を歓迎し、その支持の下で自主的に作られたため問題はない、との意見もある