がん医療になぜ哲学が必要?
がん哲学という言葉は、順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の樋野興夫(ひのおきお)先生の造語である。がんの研究者である樋野先生は、医療がどれだけ進んでも「人には最後に死ぬという大きな仕事が残っている」ということをあげ、がん医療には科学だけでなく、哲学的な考え方を採り入れる必要があることを指摘した。科学のような厳密な論理性はなくとも、人の生き方などの複雑な事象を、焦点をしぼって文脈を持った物語にして把握するという、柔軟性に富む考え方である。医療者の間では「病気を診ずして、病人を診よ」という言葉が、広く知られている。治る病気の診断、治療は医学だけで対応できる。しかし、治らない病気を抱えている人を診るには、医学だけでは不十分で、哲学的な対応も必要になる。この考えが「がん哲学」の始まりである。
がん医療において哲学的な考えが必要になるのは、死を意識したがん患者の心の苦痛=スピリチュアルペインへの対応である。どれだけ時代が進み科学が進歩しても、人の心の動きは100年や200年で変わるものではない。21世紀を生きる人であっても、病気になって自分の死を考えさせられる時には、明治時代や江戸時代の人と変わらない。科学的でも合理的でもなく、寂しく哀れな一個の人間である。
今も昔も、死ぬまで生きることは「大仕事」であることに変わりはない。その時に救いになるのは、頼れる良医がそばにいることである。しかし、現代の医療現場では、科学的な考えが多数を占めており、哲学的な考えを持つ医師は少なくなっている。これは医療現場の大きなすき間であった。
このすき間を埋める目的で、2007年に樋野先生は順天堂医院(東京都文京区)に初のがん哲学外来を開設した。医療者が患者やその家族の話を聴き、対話する場である。彼らが少しでも笑顔を取り戻し、がんであっても自分の人生を生ききることができるように支援する場である。
がん哲学外来を担当するには
がん哲学に携わる医療者は、がんに関する高度の専門知識の他に、幅広い教養を兼ね備えることが必要になる。とくに「人間とは何か」「人は死を前にしてどのように生きることができるか」を、時代や国境を超えて学び、そこから自分を含めた人間を鳥瞰的に見つめ直す視点が必要になる。樋野先生は、多くの人に共通する視点として、(1)人の生き方は複雑だが、焦点を絞り単純化すること、(2)本当に必要なものは多くなく、必要でないものに縛られないこと、(3)自分の足元をしっかり見つめて余計な物事に惑わされないこと、などを挙げている。
このような視点を基盤にすると、患者も担当医も腹を据えて人の生き方を考えられるようになる。そうして具体的に何が必要なのか、誰が大切なのかを患者本人が判断して行動する。死を前にして、こうした哲学的視点を持って日常生活を送ることは、とても勇気がいる行為である。だから担当医には患者の勇気に共感し、支援する役割が求められる。
現在では樋野先生の活動に影響を受け、全国に多くのがん哲学外来が開設され、多彩な活動が行われるようになっている。
私は麻酔科医としてモルヒネなどを使用した、がんの痛みの治療(ペインコントロール)を担当してきた。死を意識する中で自己の存在と意味が消滅するように感じられ、「何のために生きているのか」「生きる意味があるのか」と嘆く患者にも数多く出会ってきた。そうしたスピリチュアルペインは医学では解決できず、哲学的な考えによる対応が必要であることも強く感じていた。
そうした時に樋野先生の講演を聞き、がん哲学に取り組むようになった。また一方で、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルによる「人間とは何か」「人は死を前にしてどのように生きられるのか」についての考察にも大いに共感し、自分の哲学外来に採り入れることにしたのだ。
精神次元の力が心の苦痛を軽減
フランクルは、人は単に心と身体(心身態)からなる存在でなく、その上位に個人を超えて外界につながる「精神次元」を持つ、総合的な存在であると考えた。精神次元はほかの動物にはない人格(人間らしさ)であり、私たちの存在の中核である。人の精神次元には、2つの能力がある。心身態を超えて精神次元に意識を向ける「自己超越」能力と、精神次元から自身の心身態を客観的に見て対処する「自己距離化」能力である。自己超越により、与えられた状況で自分が何に対して責任を持っているのかを自覚し、自己距離化によりその責務をまっとうすることで自身の存在や意味を知ることができる。このように精神次元は、自分で自分を客観視する能力を持つのである。
日常生活の中でも、人はふとした時に心の不安を抱き、抑うつ的な気分に陥ることがある。不安と抑うつ気分は、自分が無意味で無価値な存在だと感じるスピリチュアルペインへと肥大化しやすく、心身態を乗っ取ってしまう。
生きている限り不安や抑うつ気分は必ず生じるので、スピリチュアルペインを元から絶つことはできない。しかし、精神次元の能力で軽減することはできる。こうした苦しみは時代や国境を超えて人間に共通するものだと認識し、自身を客観的に対処できれば、スピリチュアルペインは相対的に小さな存在になってゆく。要は総合的な存在としての、バランスを保つことが大切なのである。
死を前にして生きるうえでは、精神次元の能力の認識は非常に重要だ。がんを患うと身体が衰え、多かれ少なかれ心が不安定になりうる。しかし精神次元は衰えることがないので、その能力は常に働かせることができる。スピリチュアルペインを相対的に小さくして、押しつぶされずに生きることができる。
このように精神次元は、スピリチュアルペインに反抗して生きる力を持たせてくれるのである。しかし人は死を前にした苦境に陥ると、自分が持つ精神次元の能力をつい忘れてしまう。言いかえると、一人だけでは思い出すことができなくなってしまう。
そこでがん哲学外来では、患者に精神次元の能力を思い出させ、苦境にあっても自分の力で自己超越と自己距離化を行い、自身の存在に意味や価値を見いだし、スピリチュアルペインを軽減することを目標にしている。
実践されるがん哲学外来
金沢大学附属病院のがん哲学外来は、麻酔科蘇生科の診察室を利用して開設している。生と死を考える場であるから、普段の診察とは異なり、お茶を飲みながらお互いにリラックスして話をする。時間は1件あたり40~50分である。死を意識したがん患者のスピリチュアルペインは、担当医が何もせずにその話を聴くだけでは解決しない。私は患者が自分で対処できるよう、本人に考えを整理してもらう。すなわち自身の人生への想いと重ね合わせるように文脈をつけて、スピリチュアルペインの話をしてもらう。そうして私が話を聴き、文脈が曖昧に感じられた時には「なぜそう思うのか」「どうしたいのか」を問いかけ、文脈を補足して話しなおしてもらう。
スピリチュアルペインを含めた自身の想いを文脈を持った物語として話すうちに、その苦しみは昔から多くの人に共通したものであると気づくことが、精神次元の能力を思い出す第一歩になる。
樋野先生は話の文脈に沿って、いくつかの言葉を患者に伝えている。
「人生いばらの道、にもかかわらず宴会」「勇ましい高尚なる生涯」「あなたには死ぬという大切な仕事が残っている」などである。そこで私自身も「死に方は選べないが、生き方は選べる」「死ぬことは特別でない」「微力であるが無力ではない」「あったかい人間は、あったかく死んでいける」などを伝えることがある。これらの言葉も、精神次元の能力を思い出させる一助にしている。
がん患者のスピリチュアルペインは、患者が死を意識することで生じる。死を克服するには、逆説的であるが死を想い、死から逆算して現在の生を考えることが必要である。