お金がなくても豊かに生きる仕組み
スペインの首都マドリードの小さなアパートで、7歳のランダルくんは近所に住む中学校教師のホルヘさんに算数を教わる。二人を見つめるランダルくんの父親が、うれしそうに言う。「この子は私の失業による生活の変化のせいで一時、ちゃんと勉強することができなくなっていたんです。ホルヘさんの助けで、ようやく授業に追いつけるようになりました」失業率が24%を超えるなか、彼らが暮らす地域の人々は「お金がなくても、より豊かな生活ができる環境を築こう」と、2011年に「時間銀行」を始めた。ホルヘさんたちもそのメンバーで、彼は無料で家庭教師をしている。
「時間銀行」とは一般に、「時間」を交換単位として、「銀行」に参加するメンバー間でサービスのやりとりをする仕組みだ。メンバーはあらかじめ、「銀行」に自分が提供できるサービスを登録。誰かから依頼されたサービスを提供すると、かけた時間分の「時間預金」ができ、依頼者は同じ時間数を自分の預金から差し引かれる。
例えばホルヘさんは、ランダルくんに1時間家庭教師をすると、1時間預金ができる。その預金で別のメンバーに1時間マッサージを頼むこともできる。一方、1時間の家庭教師を依頼したランダルくんの父親も、メンバーに依頼された引っ越しの手伝いを3時間すれば、差し引き2時間の預金ができる。そうやってメンバーが多方向的に助け合うのが、時間銀行の特徴だ。
仕組みの元祖は日本にあった!?
実はこうした仕組みを世界で最初に利用したのは、日本だった。1973年に水島照子氏が立ち上げた「ボランティア労力銀行(現「ボランティア労力ネットワーク」)」は、女性たちが時間を単位に、出産、子育て、家事などを補助し合う取り組みだ。日本ではその後、高齢者介護支援を主目的とした「ふれあい切符」という制度が92年に創設され、全国へ普及したが、2000年の公的介護保険制度の開始以降、有償ボランティアが広がるとともに縮小していった。そのほかの事例は大半が短期もしくは周知範囲が狭いために、「時間銀行」自体が一般にはほとんど知られていない。
それに比べて欧米では利用が活発だ。アメリカでは、1980年代からタイムバンク(最初タイムダラーと呼ばれた)がエドガー・カーン博士によって提案され、1時間=1タイムクレジットとして広範なサービス交換に利用される仕組みが、世界に広がっている。
スペインには現在400近い時間銀行が存在するが、ホルヘさんたちのケースのように一地区の住民有志が実施するものもあれば、市民団体と役所が共同運営するもの、病院など特定の場所で活用されているものもある。21世紀に入り、移民の増加などで社会が多様化し、また2008年のリーマンショックによる金融危機以降、人々が隣人同士の支え合いの大切さを再認識し始めたことが、その普及を後押ししたようだ。
気配り上手な「時間エージェント」が重要
マドリード郊外の町、リバス・バシアマドリードには、女性12人のグループが05年に市役所の協力を得て立ち上げた時間銀行がある。創設者の一人、ルイサさんは、ラジオでバルセロナにある時間銀行の話をきき、その発想に感動して自分たちもつくることにした。市の施設内に事務所を置き、メンバーの登録やサービスと時間のやりとりを管理する。最初は「時間クーポン」を発行し、それを使って時間預金の出し入れをしていたが、10年からはウェブサイトを通してメンバーが自由に取引をし、自分の「口座」の管理をすることも可能になった。登録者は200人を超える。「恥ずかしいのかサービスの依頼をせずに、提供ばかりする人がいることが悩みです。そういう人には私たちが仲介して何かサービスを利用してもらうか、時間を銀行に寄付してもらっています」
50時間以上預金のある人には一部を寄付してもらい、銀行が主催するセミナーの講師料などに使う。
「時間銀行」が活躍するには、ルイサさんたちのようなコーディネーター役の存在が不可欠だ。「時間エージェント」とも呼ばれる彼らの真の役割は、「銀行」を通してメンバー全員が知り合い、「銀行外」でも絆を深められるようにすること。彼らの気遣いがあってこそ、最初は知らない者同士でも信頼関係を築くことができる。そうした人間関係のある場は、居心地がいい。
障がいをもつ子が力を発揮する
「学校にも導入できないか? と考えたんです」。そう話すのは、同じ町にある中学校(日本でいう中学3年間プラス高校1年間)の教員、マイテさんだ。彼女は今、EU(欧州連合)の助成金を得て12カ国12校が共同実施する、2年間の時間銀行プロジェクト「ケアランドの市民」に取り組む。参加校で経験を共有し、人を思いやれる「世界市民」を育てるのが目的だ。取材の日、最初に訪ねた授業では、学習障がいの子どもと国語が得意な普通の子ども、ボランティアの母親がそれぞれ二人ずつ集まったグループで、母親が事前に読んできた「トム・ソーヤーの冒険」のストーリーを、子どもたちに紹介していた。場面ごとに母親が、「トムはどう思ったかしら? あなただったら?」などと問いかけると、子どもが自由に意見を述べる。
「この授業では、障がいをもつ子たちが驚くほどの集中力と学習力を発揮します」と、マイテさん。子どもたちも「みんなが話をちゃんときいて答えてくれるから、よくわかるし楽しい」「よく知らない子とも話せる」と評価する。
次は、数学プリントを解く授業。数学が得意な3、4年生が障がいのある2、3年生を指導する。自分がわかっていることをわからない後輩にいかに教えるか。指導役で悪戦苦闘する少年は、後輩がようやく全問解き終えたとき、「この授業は教わる側も教える側も皆、何かを得られるところがいいんです」と笑った。
この学校の時間銀行では、必ずしも時間預金をする必要はない。学校に関わる者が互いの時間を提供し合って交流し、理解と関係を深めることが目的だからだ。
一部のクラスでは月に一度、「時間銀行タイム」がある。各自があらかじめ特技を四つ書いた紙を作り、毎回違うクラスメートを相手に、その中から選んでもらったサービスを提供する。四つのうちの二つは教科、残りは趣味やスポーツなど何でもいい。「誰でも人の役に立てるとわかった」「お金がなくても、何かをしてもらったり、手に入れたりすることはできると知った」とは、参加者の感想だ。
国境を越えた国際ネットワークへ
「時間銀行は、お金に頼らないうえ、誰もがサービスの提供者と受理者の両方になります。だからこそ、相互扶助の精神や平等主義など、お金以外にも豊かさをもたらすものがあることを学ぶ機会になる。と同時に、誰もが他人や世界に提供できるものをもっているのだということに気づけます」。補完通貨などを紹介する本「雇用なしで生きる」の著者、フリオ・ヒスベールさんはそう言う。彼は今、時間銀行の国際ネットワークづくりに挑戦中だ。手始めに、数カ国にある複数の時間銀行の間で若者たちを派遣し合い、多国間で活動に協力し合う仕組みを立ち上げることを目指す。「現代社会には核家族、高齢者の一人暮らし、家族が離ればなれに暮らす移民の家庭、一人親家庭など、状況や文化の異なる人たちが暮らしています。そうした人々が、お金の有無にかかわらず安心して生活できるようにするには、時間銀行などを利用して、足りないものを補える関係、“大家族”をその社会や世界全体でつくることが大切なのです」