ほぼ100%死に至る病気
狂犬病は、動物が媒介する狂犬病ウイルスの感染によってかかり、最終的に脳炎を起こしてほぼ100%死にいたる感染症である。過去においては犬がウイルスを媒介することが多かったため、狂犬病という命名がなされている。感染した動物にかまれたり、濃厚な吐息を吸うことでも感染し、多くは3カ月以内に発病する。1年以上の潜伏期間を経て発病する例が1%あり、7年後に発病したという報告もある。
症状は、かぜのような発熱、頭痛、倦怠感で始まり、かまれた部位の痛みや周囲の筋肉の痙攣(けいれん)を呈する。やがて興奮や不安狂躁(ふあんきょうそう)、錯乱、幻覚などの症状が現れ、最終的には意識を失い、呼吸が止まって死亡する。有効な治療法はなく、これまで世界で数例の治療成功例の報告があるが、基本的には必ず死亡すると考えてよい。
日本国内では 1957年以降、狂犬病は発生していない。最近では、2006年にフィリピンで犬にかまれて感染し、帰国後に発症して死亡した輸入狂犬病2例のみである。日本で発生しなくなったのは、1950年に制定された狂犬病予防法により、捕獲した野犬は抑留所と呼ばれる施設に収容し、ペットとして犬を飼う場合も地元の役所や保健所への登録、年1回の狂犬病ワクチン接種を義務付けたことによる。なお飼い犬を登録しなかったり、ワクチン接種を受けさせないとその犬は捕獲収容され、飼い主は20万円以下の罰金刑に処せられる。
犬での狂犬病コントロールがなされたことにより、国内での発生はなくなった。さらに、海外から犬など動物が狂犬病を持ち込まないよう、動物を輸入する際には狂犬病に感染していないかチェックする動物検疫がなされ、今のところ防がれている。
世界での狂犬病の現状
一方、世界では狂犬病は多数発生し、年間5万5000人が亡くなっていると推定されている。狂犬病による死亡の95%はアジア、アフリカで起きているが、先進国も無縁ではない。アメリカでもたくさんの人が動物にかまれ、年間約4万人が狂犬病の緊急予防処置として、かまれた後にワクチン接種を受けているのが現状だ。2009年には、ニューヨーク市のセントラルパークで30匹以上のアライグマが狂犬病に集団感染していることが判明し、園内のアライグマをすべて捕獲してワクチン接種を行う騒動になったことは記憶に新しい。感染源としては、野生動物よりも犬や猫などペットとして飼育される動物の影響が大きい。狂犬病という名に反するようだが、アメリカでは狂犬病に感染した猫が毎年200~300匹報告されており、犬の感染報告数の3倍以上となっている。狂犬病を媒介するのは、犬ばかりではない。
狂犬病がコントロールされている日本にいると、平和ボケするのは致し方ないが、世界は狂犬病感染の恐怖に満ちている。
では日本は安全なのだろうか? 日本ペットフード協会によると、日本には1100万頭ほどの犬が飼われていると推定されている。しかし厚生労働省のデータによると、畜犬登録数は670万頭で、うち狂犬病ワクチン接種を受けているのは490万余頭。つまり、日本で飼われている犬の半分以上は、狂犬病ワクチン接種をきちんと受けていないことになる。
犬よりも脅威になるかも知れない猫に関して言えば、まったくの野放しである。犬と異なり、野良猫もたくさんいる。
動物検疫にも限界はある。フェレット、モモンガ、ハリネズミなどの陸生ほ乳類、ハムスター、リス、モルモット、チンチラなどのげっ歯目は、動物検疫の対象外である。もっとも、フェレットでの狂犬病感染の報告はあるが、わずかである。ハムスターなどの小動物が、人に狂犬病を媒介する可能性は極めて低いと考えられている。
一方で日本に寄港した船から、船員や船客がペット犬を一時的に上陸させるケースがあり、狂犬病持ち込みのリスクがあると考えられている。
台湾では52年間、狂犬病感染動物は発見されていなかったが、13年に狂犬病に感染したシナイタチアナグマが発見された。同じ島国である日本も、今のところはコントロールされているが、いつでもウイルスは侵入しうる状態にあると考えられる。
ワクチンの不足が心配
したがって私たちは、狂犬病はいつか再び日本に入ってくる、という前提で準備しておく必要がある。狂犬病を予防するには、動物も人もワクチンを接種するしかない。日本では一般財団法人化学及血清療法研究所(化血研)が、ヒト用の狂犬病ワクチンを製造している。しかし年間約4万5000本の生産量しかなく、かまれた人に緊急的な予防接種を行う場合、抗体ができるまで5回の接種が必要として、9000人分しか供給されないことになる。狂犬病流行地帯であるアジア諸国へ年間数百万人が渡航する日本で、これははなはだ不安である。
今後、化血研はスイスの製薬会社ノバルティス社の「Rabipur」(ラビプール)というワクチンを国内に導入する予定である。すでに国内での第III相臨床試験は終了しており、数年以内に販売されると予想される。これまでよりも安定した供給が望まれる。
しかしながら「Rabipur」を個人輸入している経験から、ワクチン供給について懸念が払拭(ふっしょく)できない。全世界的に狂犬病ワクチンは品薄であり、入荷が遅れることはしばしばである。いつか日本に狂犬病が侵入し、多くの人がワクチン接種を求める際、速やかにワクチンが供給される体制であってほしいものだ。
一部の島国と、オーストラリアを除いて、世界のどこでも狂犬病は発生している。すぐに医療機関が受診できる状態でないならば、事前に狂犬病ワクチン接種を受けておくべきだ。
「Rabipur」や「VERORAB」(ヴェロラブ)といったワクチンは世界的にも有名で、予防用としてはWHO(世界保健機関)方式と呼ばれる初回、1週間後、3~4週間後の3回接種を行う。さらに、動物にかまれて狂犬病感染のおそれがある場合に限って、受傷当日と3日目に追加接種を実施する。
それに対し現在、化血研が製造しているワクチンは初回、4週間後、180日後の3回接種が指示されており、すべて打ち終わるまでには半年間かかる。これでは不便なので、私のクリニックではほとんど用いていない。
もし、事前にワクチン接種を受けずに渡航し、現地で動物にかまれたり、引っかかれて傷を負った場合、すみやかに病院を受診して、狂犬病と破傷風のワクチンを受けるべきだ。そのためにも、海外旅行保険には加入することをおすすめする。ほとんどの費用や医療救援費用を負担してくれる。海外旅行保険は、たいていの空港に窓口があり、すぐに加入できる。
狂犬病が流行している国の多くは貧しい。したがって、ペットもワクチン接種を受けていない場合がほとんどである。知人の犬であっても、ワクチン接種歴が明らかでなければ、触れるべきでない。野生動物はもってのほか。野良猫などに食べ物を与えることも、受傷リスクを高めるので絶対にしてはならない。
狂犬病予防法
狂犬病の発生を予防し、まん延防止および撲滅することを目的とした法律。政令で定められた動物(犬、猫、アライグマ、キツネ、スカンク)を輸出入する際の検疫義務、飼い犬の登録と鑑札交付および年1回の予防接種の義務、予防員による野犬等の捕獲抑留、狂犬病発生時における獣医師や地方自治体の措置などが定められている。検疫を受けずに犬を輸入したり、狂犬病発生時に届け出や隔離を怠った場合は30万円以下の罰金、ペット犬の登録や予防接種、まん延予防措置などに関する違反には20万円以下の罰金、拘留、科料などの罰則がある。
動物検疫
外来動物による病気の侵入を防ぐため、世界各国で実施される検査制度。特定の空港や港に動物検疫所が設置されている。日本での対象動物は、牛、豚、ヤギ、ヒツジなどの偶蹄類動物、馬、ニワトリ、ウズラ、キジ、ダチョウ、ホロホロ鳥、七面鳥、アヒルやガチョウなど鴨目の鳥類、ウサギ、ミツバチ、犬、猫、アライグマ、キツネ、スカンク、サルなど。犬、猫を輸入する際には、狂犬病やレプトスピラ病(犬のみ)について、抗体価確認などの検査を受けなければならない。