「あえて危険な場所で活動している」というイメージが先行する戦場ジャーナリスト。しかし彼らは真実を伝え、問題を明確にしていくという使命感を持って活動しており、その行動は決して「蛮勇」ではない。日本国内では批判を浴びることの多い彼らだが、その真の存在意義とは? 1987年に「アジアプレス・インターナショナル」を立ち上げ、アジアの戦場や紛争地を取材してきた、早稲田大学政治経済学術院の野中章弘教授が解説する。
ベトナム戦争の真実を伝えたジャーナリストたち
ベトナム戦争終結から40年――。
その40年目にあたる2015年の4月、東京で「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」という映画のリバイバル上映が始まった。この映画は1974年にアメリカで制作され、もっとも優れた戦争ドキュメンタリーのひとつとして高い評価を受けている作品であり、翌年、第47回アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。
ベトナム戦争では200万人とも言われるベトナムの人びとが犠牲となっており、この映画には戦場の悲惨な場面が何度も映し出されていた。銃撃や爆撃でボロボロに破壊された死体や、処刑や拷問の様子まで、これらの克明な映像は、すべて戦場ジャーナリストたちによって撮影、記録されたものである。40年経っても、私たちはこれらの映像のお陰で、ベトナム戦争がいかに悲惨な戦争であったのかを知ることができる。映像による歴史の証拠力、記録力には圧倒的なものがある。
ベトナム戦争では、アメリカ軍はジャーナリストの取材を自由に認めたため、多くの記者、カメラマンたちが競って戦闘の最前線へ足を踏み入れていった。血なまぐさい戦場からのリポートは、そのままメディアを通じて世界中に流され、社会に大きな衝撃を与えていた。
その一方、戦場を取材するジャーナリストの犠牲者も急激に増えていった。ピュリツァー賞をはじめ様々な賞を受賞した沢田教一、その人生が度々映画化されている一ノ瀬泰造など、10人を超える日本人記者、カメラマンも、取材中に命を落としている。それでも当時は、戦場取材を行うジャーナリストに対する批判はほとんど聞かれなかった。戦争を記録して伝えるのはジャーナリストの仕事であり、それに伴うリスクを十分に承知しながらも、マスメディアの特派員であれ、フリーであれ、多くのジャーナリストたちが自ら戦場へ向かっていった。
フリーの犠牲者が増えた理由
実は、ベトナム戦争以降、日本人ジャーナリストの犠牲者は急激に減っている。
私の調べた限り、この40年間、戦争取材で犠牲となった日本人ジャーナリストは、後藤健二さんを含めて8人である。そのうち、6人がフリーである。企業内ジャーナリストは、1979年、中越戦争(第三次インドシナ戦争)を取材中、中国兵に狙撃された「赤旗」の高野功特派員と、2010年、タイの首都バンコクで騒乱状態の最中に射殺されたロイター通信の村本博之カメラマンの2人である。
また、犠牲者はイラク戦争(03年)以降に集中している。イラクで襲撃された橋田信介、小川功太郎(04年)、ミャンマー(ビルマ)の民主化闘争を取材中に政府軍兵士に射殺された長井健司(07年)、前出の村本博之(10年)、シリア内戦の取材で武装グループに撃たれた山本美香(12年)、それに過激派組織「イスラム国」(IS)に処刑された後藤健二(15年)。
この6人は全員、ビデオ取材を行う映像ジャーナリストである。なぜ映像ジャーナリストのリスクが高いのか。その理由は、映像は現場に近づかなければ撮影できないという点にある。カメラマンはより迫力のある絵(画像)を求めて、一歩でも前に足を踏み出そうとする。ファインダーをのぞいていると撮影に集中するあまり、周りが見えなくなることがある。つまり、危険な状況であることを一瞬、忘れるときがある。それはカメラマンの本能とも言える。
また、フリーの犠牲者が増えてきた背景には、ジャーナリスト自身が武装勢力のターゲットになってきたということに加え、小型ビデオカメラの普及により、テレビのニュース取材をフリーが担うようになってきたという事情もある。
1990年代の初めまでは、テレビのニュースやドキュメンタリーは、数百万円もする高価なENG(Electronic News Gathering)カメラで撮影されており、撮影者はテレビ局や制作会社のプロのカメラマンに限られていた。しかし、90年代の半ば以降、ビデオカメラの性能が飛躍的に向上したため、戦争や紛争取材を行うフリーのジャーナリストの多くが、ビデオカメラを携えて行くことになった。彼らの発表媒体は、新聞、雑誌などの印刷メディアから、テレビへと移行していった。
後藤健二さんの死は、決して「蛮勇」ではない
ここ十数年、パレスチナ、中東関連では、古居みずえ、綿井健陽、玉本英子、坂本卓をはじめ、広河隆一、土井敏邦、佐藤和孝、安田純平、豊田直巳、藤原亮司、横田徹、志葉玲など、紛争地、戦場から生々しい映像リポートを伝えるフリーのジャーナリストの活躍が目立っている。彼らは紛争地における豊富な取材経験を持っており、企業内ジャーナリストの行かない現場からのリポートの中核的な役割を担うようになっている。
ただ、戦場取材が増えれば、必然的に事故も多くなる。どれほど経験を積んだプロでも、戦場取材のリスクをゼロにするわけにはいかない。プロはギリギリまでリスクの軽減を図っているが、ゼロにはできない。それは職業に付随するリスクであり、自衛隊員、警察官や消防士たちのリスクと同じ類のものである。
現場でのジャーナリストの死は、「殉職」と呼ぶべきものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
1936年に勃発したスペイン市民戦争や第二次世界大戦を記録した、世界でもっとも有名な戦争カメラマンであるロバート・キャパは、54年、ベトナムで地雷を踏んで亡くなった。沢田教一は、カンボジアで車の移動中に襲撃されて命を落としている。彼らに判断ミスがあったのは明らかだ。
ジャーナリストでなくても、プロの事故は起きる。例えば、日本でも最高の探検家として知られる植村直己は、84年、北米最高峰のマッキンリーで遭難している。訓練された熟練の登山家であっても、毎年事故は起きているのである。
後藤健二さんの事件では、自由民主党の高村正彦副総裁が「蛮勇と言わざるを得ない」と語ったという(2015年2月4日付「朝日新聞デジタル」)。ほかにも「使命感はわかるけれども、人質などになれば、自分の責任能力を超えてしまう」「政府や国民に迷惑をかける」「ジャーナリストといえども、そのような取材は行うべきではない」という声も多い。
こうした意見には同意しがたい。
戦争は世界の出来事の中でも、もっとも重要なテーマとなる。ひとたび戦争が起きれば、多くの人びとの命が奪われ、生活そのものが破壊されてしまう。ジャーナリストはそれを記録して伝えるのが仕事であり、たんに「危ないから行かない」という選択はない。
私自身、本格的な従軍取材を行ったのは1983年、内戦下のアフガニスタンだった。その後も様々な紛争地帯を取材してきた。
後藤さんもアフリカや中東で取材を重ね、彼のリポートからわれわれは多くのことを学んでいる。結果的に人質となって身代金を要求され、殺害されたからといって、彼の仕事の公共的な意義は損なわれるものではない。