梅毒のとてもやっかいな素性
梅毒は、梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum ; TP)という細菌の感染によって発症する病気です。この菌はらせん形をしているので、ラテン語で「らせん状の髪」を意味するスピロヘータとも呼ばれています。代表的な性感染症の一つとして知られるように、主に梅毒に感染している人との性交渉(オーラルセックス、腟・肛門性交)によって感染し、潜伏期間は10~90日と人によって差はありますが、おおむね感染後3週間で症状が出ます。TPは粘膜面や皮膚の小さな傷から体内に侵入し、皮下や粘膜下の組織内で増殖、血液やリンパ液の流れに乗って全身に広がります。小動物による実験では感染して2日後には、体のすみずみにまで到達することがわかっています。しかも粘膜や皮膚に付着したTPは、10個体もあれば感染できるほど感染力が強いのです。
梅毒のかかり始めを第1期梅毒といいます。まずTPの侵入部位に赤いしこりができ、それがつぶれて無痛性の潰瘍(かいよう)となります。この潰瘍を「硬性下疳」(こうせいげかん)と呼びます。口の周囲や陰部にできることが多いですが、不顕性の場合があり、必ずできるわけでもありません。また腟や直腸内の病変では、できていても発見が困難です。
同時に、頸部や鼠径(そけい)部(足の付け根)のリンパ節が腫れます。近年の研究によれば、この時点ですでに脳や脊髄など、中枢神経を含むあらゆる臓器に病原体が広がっていることが明らかになっています。かといって、頸部のリンパ節はかぜなどによっても腫れますし、ここで医師が梅毒を疑うのは容易ではありません。
硬性下疳は1カ月程度で自然治癒しますが、今度は全身に症状が出ます。これを第2期梅毒といいます。特徴的なのは「バラ疹」と呼ばれるかゆみのない赤い発疹で、特に手のひらや足のうらに強く出ます。この時点で異常に気づき、医療機関を受診する人が大半です。バラ疹直下の皮膚組織内には多数のTPが存在しており、性交渉の際の接触で少し皮膚がこすれて傷つくだけでも、容易に梅毒が他者に感染してしまいます。
そして第3期梅毒は、感染してから 10~20年後に脳や神経、骨髄などに臓器障害が起こり、手足のまひや痴ほう、貧血などを引き起こします。こうなると梅毒の治療をしても治りません。最悪は死に至ることもあります。
若い女性の間で急増している
医学が進んだ現代では、梅毒は多くの先進諸国同様、日本でも減少傾向にあったため昔の病気と考えられていました。ところが国立感染症研究所が行った近年の発生動向調査では、2013年に前年比1.4倍の報告数が確認され、この増加傾向は14年に入っても続いていることが判明。14年10月1日時点で報告数は1275例となり、前年を上回りました。このうち性別では、男性が前年同時期の1.3倍の1010例、女性は1.5倍の265例でした。翌年の15年には、10月28日時点で報告数が2037例に達し、前年同時期のさらに1.5倍となりました。これは感染症法によって医師に届け出が義務づけられた1999年以降、過去最多の報告数です。性別では男性が1463例で前年同時期比1.4倍、女性が574例で同2.0倍。新たに梅毒にかかった20~24歳の女性は、前年の2.7倍にあたる144人となりました。このことから、若年女性患者の急増が目立っていることがわかります。
では一体なぜ、若年女性の梅毒患者が増えているのでしょうか?
これは、そもそもの感染源である男性梅毒患者の増加が、いちばんの原因と考えられます。最近の日本の若い女性が、みだらになったかのような印象をもつのは誤りです。
若年女性における梅毒患者の増加は、日本だけでなく、世界中で同様のことが起きています。その中でも共通しているのは、男性と性交をする男性(men who have sex with men ; MSM)の間で梅毒の感染が広がり、それを追うように女性の梅毒患者が増加する、というパターンです。MSMは男性だけでなく女性とも性交渉をしますから、そこで異性間の感染が起こるのです。
また、一般的に成人男性は女性よりも医療機関受診が少ない、という受療行動の特徴もあげられます。梅毒は治療をしなくても、第1期・第2期ともに時間がたつと自然に病変が治ってしまうので、梅毒と診断されず当人も気づかぬうちに同性や異性に感染を拡大させていると考えられます。
原因は男性の無知・無関心に
梅毒は、予防に有効なワクチンがありません。治療にはペニシリン系の抗生剤を用いますが、第3期梅毒にいたると手遅れです。また、特に妊娠可能年齢の女性の感染については、仮に第3期症状が出なくても特有の問題があるので注意しなければなりません。女性の体に潜伏したTPは、将来的にその女性が妊娠して16週めごろに胎盤が完成すると、胎盤を通じて胎児に感染し、死産を招いたり先天的障害を起こさせることがあります。これを「先天梅毒」と呼びます。そこで妊娠中の女性が受ける妊婦健診では、梅毒感染の有無を血液検査でチェックします。早期発見のためには、妊娠以前に夫婦そろって検査しておくのが一番よいでしょう。
妊娠中に梅毒と診断された場合は、すぐに薬物治療を行います。ペニシリン系列抗生剤は胎盤を通過して胎児にも作用するので、母子ともに治療することができます。また、妊娠中に検査を受けていない母体から生まれた乳児が梅毒感染を疑われた場合も、すぐに抗生剤による治療を行います。近年、さまざまな細菌やウイルスで薬剤耐性菌が問題となっていますが、幸いTPではペニシリン耐性菌はまだ報告されていません。
ただ、困ったこともあります。妊娠中の検査ではSTS法、TP抗原法という2種類の検査をペアで実施するのですが、TP抗原法は一度梅毒に感染するとその後も長期にわたって陽性反応が現れるので、病歴を隠していてもわかってしまうのです。といって、STS法のみだと梅毒に無感染でも自己免疫疾患や妊娠の作用で偽陽性反応が出ることがあるため、TP抗原法は必須です。女性にとっては、こちらも無視できない問題といえるでしょう。
梅毒に感染しないためには、オーラルセックスも含め、すべての性行為をコンドーム装着後に行うなど、粘膜と粘膜が接触しないようにする必要があります。しかし、それでも完全に防ぐことはできません。最もよいのはパートナーが変わった時に血液検査で感染症の有無をチェックしておくこと、そして決まったパートナー以外との性交渉を避けることです。
女性の梅毒感染は、乳児の先天梅毒を考慮すれば由々しき問題です。そしてその原因は、自らの無知、無関心、自分勝手にあることを認識し、男性も行動を改める必要があります。