日本の公共放送であるNHKの使命とは?
公共放送といえば、日本ではNHKであるわけですが、基本的なことからお話しすると、NHKの最高意思決定機関は、外部の有識者12人で構成される経営委員会です。その委員は、衆議院と参議院の両本会議で同意を得て総理大臣が任命します。そして、経営委員会のメンバーがNHK会長を選出(9人以上の賛成が必要)し、選出された会長がNHKを統治する。こうした構造から、経営委員会やNHK会長の人事には政権の意向が反映されやすいことが分かります。また、NHKは視聴者の方々から徴収する受信料によって支えられています。国会でNHKのことが審議されているのを見て、税金が使われている「国営放送」と勘違いしている人もいるかもしれません。しかし、海外向けの放送の制作費用などごく一部を除き、基本的には収入は受信料に頼っており、国会で議論しているのはあくまで予算、つまりどう使うのかについてです。
放送法では、放送一般の目的が第1条に明記されています。
もちろん番組づくりにもこれらが反映されなければいけません。民間放送(民放)の場合、利益追求が求められることもあり、視聴率を優先した番組づくりが要求されるという側面があります。民放に比べ、公共放送であるNHKにとって、国民の生命や財産を守るため、民主主義文化の発展に貢献するという使命が大きいことは明白です。しかし、その運用の仕方や機能がじゅうぶんに果たされているとはいえないのが実情です。
たとえば、今年(2016年)3月にベルギーでテロがあったとき、日本では夕方の時間帯でしたが、NHKはニュースを時間通りに終わり、その後音楽番組を放送しました。音楽番組の出演者の方はなにも悪くないのですが、やはりあれだけの大きな事件の場合、特別番組を組むなどして対応することが、公共放送の役割だと思います。あるいは、地上波に24時間のニュース専門チャンネルがあれば、対応ができたはずです。
進歩的なBBCにも課題が
BBCは、NHK同様、主な財源を受信料に頼る公共放送ですが、市民が取材し撮影した映像が流れる「Open Space(開かれた場所)」という番組があり、市民の要請があればカメラマンを現場に送り込むサービスも行っています。03年のイラク開戦の際には、開戦理由を巡って、BBCはブレア政権(当時)と対立しました。引責辞任者まで出しましたが、その後BBCの報道は間違っていなかったことが、ほぼ証明されています。そこには公共放送として真実を伝えなければならないという強い意志がうかがえます。
ただし、公共放送として進歩的なBBCにも問題はあります。
10年後ごとの組織改編によって、今年度でBBCの業務全般を監督する第三者機関「BBCトラスト」が見直され、今年の3月に廃止されました。BBCトラストは、委員長も含め公募による市民の代表が参画した組織でしたが、放送内容に注文をつけられることで放送の現場がだんだん不自由になった、発信の自由が制限されるようになったことが廃止の理由と伝えられています。
4月からはBBCトラストの役割を「オフコム(Ofcom ; Office of Communications)」が引き継いだものの、その構成メンバーの半数を政府が任命していることから、批判も出ています。
15年10月、日本でBBCの日本向けニュースサービスが開始されたのにあわせて、BBCグローバル部門のトップであるティム・ウィンガー氏が来日しました。彼にインタビューした際、BBCトラストの話題も出ましたが、「問題はあるが、10年ごとに組織改編できるBBCは民主的だし、健全だと思う」とおっしゃっていました。
何事においても変化の早い時代に、「これが100%良い」といえることはないでしょう。試行錯誤を重ねて、見直しができることが大切だと、僕も思います。
海外のメディア事情
BBCをはじめ海外では、インターネットで24時間体制のライブ配信をしている放送局は数多くあります。現地のテレビ局の映像をYouTubeライブ経由で見ることも可能で、日本にいても、世界のニュースを瞬時に見られるようになりました。「KBS(Korean Broadcasting System)」は韓国の公共放送局です。韓国では第二次世界大戦後も、長きにわたり軍部政権が続いていました。それに対する民主化運動が起こったときに、メディアも開かれたものとして大きく変化したと聞いています。権力に対してのストレートな物言いができるのは、権力と対峙するのがメディアの役割だという自負があるからでしょう。それでもやはり、人事面で政府の影響力があるという問題点は、KBSにもあります。
アメリカには大きな公共放送局というのはありませんが、「PBS(Public Broadcasting Service)」という公共放送局のネットワークがあります。こちらはNHKやBBCとは違い、政府や州の交付金、寄付金、広告などを収入源とする小さな放送局を数多く有するネットワークです。
海外と比べて、日本では地上波チャンネルが少ないこともネックになっていると思います。少ない放送局で、同じような内容の番組を作っていて、地方ではさらにチャンネルが減ることで番組の内容が限定されてしまいます。多くのチャンネルがあれば、それだけ内容も多様化し、視聴者の選択の幅も広がります。
僕がメインキャスターをつとめる「モーニングCROSS」という朝のニュース番組は、14年のスタート当初、「TOKYO MX」というローカル局のため、視聴できる地域が限定されていました。その後、「エムキャス」という無料アプリによって、パソコンやスマートフォンで全国どこでも見られるようになりました。こうした取り組みが今後増えていくと思います。
電波も公共物であるべき
地上波という点でお話しすると、日本では電波事業は認可事業であり、ある種独占に近い状況が続いています。電波事業の認可は総務省が行っていることから、所管する省庁のもののような印象の発言をする人がいます。しかし僕は、電波もまた国あるいは国民の、つまり公共の財産だと考えます。そして、多くの人々が電波をより使いやすくするための環境整備が必要です。これには「パブリックアクセス」という概念を説明すると分かりやすいと思います。パブリックアクセスとは、市民が自分たちの財産である電波にアクセスして、自分が撮った映像を流してもらったり、テレビ局が持っている情報を共有したりすることができる権利のことです。海外では多チャンネル化に伴って整備されており、アメリカやイギリス、韓国などではすでに浸透している権利です。
「日本でも、テレビで視聴者の映像を流しているじゃないか」という人がいるかもしれません。
確かに、テレビで視聴者提供の映像が使われたり、ネットのアクセスランキングを紹介したりするようになりました。しかし、視聴者提供の映像に関して言えば、事故や事件に偶然遭遇しただけであって、当事者ではありません。自分が個人的に、あるいは企業や地域社会で向き合っている問題について発信することが必要であり、そうした発信に人は心を動かされ、一緒に考えようとします。
ひと昔前までは、「素人の映像がテレビで使えるか」とか「インターネットに書いていることなんかテレビで流せるか」と否定的な見方をされていました。僕がNHKを辞めた頃、パブリックアクセスの重要性を説いても批判されることが多かったです。
現在はどうでしょう。多くの番組で投稿された動画が使われているのは、誰もが知るところです。