横田は「青い芝の会」(前出)に属した伝説的な障害者運動家。重度脳性マヒ者で、立つことも歩くこともできず、発語障害もあった。
私見では、横田は「障害者差別に対して史上最も熱く怒った人物」だ。「障害者なんていなくなればいい」という植松被告の価値観を「優生思想」に基づくものだとして批判する論調が目立ったが、そもそも「優生思想」が障害者差別なのだと告発したのも横田と彼の仲間たちだった。
横田は運動に関わった40年間、ずっと怒り続けていた。「障害者のためを思って」という「健全者」の一方的な「愛と正義」が障害者を街から排除し、時には殺すことにつながるのだと怒り続けた。
そんな横田や、彼が属した「青い芝の会」が再注目されている。それは何を意味するのか。
横田弘の「怒り」にヒントを求める
私なりに解説すると、横田の「怒り」には二つの特徴がある。一つは「共生のために怒ったこと」だ。障害者も街で暮らしたい。親や施設職員に人生を決められたくない。隣近所の子と同じ学校に行きたい。恋もしたいし、結婚もしたいし、子どもも育てたい。皆が「普通」にしていることから障害者を排除するな。一緒に生きさせろ。横田の怒りは単純明快だった。
「怒り」と「憎悪」は違う。「怒り」は相手の存在を認め、自分と相手がつながっていることを前提とした感情だが、「憎悪」は相手の存在を拒絶する感情だ。「怒り」には葛藤があるが「憎悪」に葛藤はない。
横田は差別に無自覚な「健全者」に怒ったが、「健全者なんかいなくなればいい」とは言わなかった。彼は自分たちの尊厳を傷つけた者に対して怒ったが、その者と生きていくために怒っていた。
もう一つの特徴は「空気を読まなかったこと」だ。車椅子がバスの乗車拒否にあえば、抗議のために仲間とバスを占拠した。「養護学校」(現・特別支援学校)の義務化に反対して、デモや座り込みを強行した。そんな横田らの主張は嫌われた。「過激派」「エゴイスト」「生意気」「恩知らず」と罵られた。それでも横田らは街に出て、差別するなと訴えた。
横田も、彼の仲間も、元々は「普通の障害者」だった。幼い頃から「愛される障害者」であれと教えられ、世間に迷惑をかけまいと生きてきた。しかし、どれだけ努力しても、社会は障害者を受け入れないことに絶望して「闘う障害者」になった。
弱い立場の者は、どれだけ緻密に「空気」を読んでも苦しめられるだけ。だとしたら、虐げられている者は、自分の生命と尊厳を守るために怒らねばらない。横田の「怒り」は痛快だった。
いま、横田弘や「青い芝の会」が再注目されているのは、そんな「怒り」へのある種の“憧れ”があるのではないか。自分よりも圧倒的に力ある者に立ち向かった横田たちに、「怒り」へのヒントを求めている人たちがいるように思えるのだ(注2)。
数十年後の社会のために
私たちの社会は、いま、かなり不気味な状態にある。困窮者へのバッシングにせよ、マイノリティーへのヘイトせよ、人が人の尊厳を傷つけることへの心理的なハードルは確実に低下している。「相模原事件」も、このような文脈の中で受け止めなければならない。ただ、そういった状況に「怒りたい人」や「怒りをわかちあいたい人」も、やはり一定数いる。その「怒り」を孤立させてはいけない。
数十年後の社会がどんな姿形をしているかは、いま私たちがどういった言動を積み重ねるかによって決まる。だとしたら、「相模原事件」に怒らなくてよいのか。私たちの次の世代が「障害者の生命と尊厳のため」にまっとうに怒れるかどうかは、いまの私たちにかかっている。
(注1)以下の記述に関して、詳細や具体的な事例に関心のある人は、拙著『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(11年、現代書館)を参照してほしい。
(注2)横田弘に興味のある人は、次の拙著も参照してほしい。『差別されてる自覚はあるか――横田弘と「青い芝の会」行動綱領』(17年、現代書館)。