「優秀さ」が使い捨てにされている?
そもそも、この「能力」というものについて、「身に付けることができるようにするのは社会の責任」という意識が、日本社会には非常に乏しいといえます。
社会がうまく機能していくためには、仕事に必要な具体的な「能力」を身に付ける機会が誰にでも「きちんと」あって、その「能力」を発揮できる場が「きちんと」用意されていて、その「能力」に応じて「きちんと」報酬が得られるという三つの「きちんと」が非常に大事なはずです。日本ではそこの仕組みがまったくと言っていいほど成り立っていない。結果として、人によって偶然うまくいって「能力」があると評価してもらえることもあるし、逆にまったくうまくいかないこともあるという、まるで博打のような状況になっています。
こう言うと、日本の教育は充実しているはずでは? 「能力」は高いのでは? と思う方も多いでしょうし、部分的にはそのとおりだともいえます。OECD加盟国の16~65歳までの男女を対象にした国際成人力調査(PIAAC、2011年)の結果を見ると、読解力、数的思考力、ITを通じた問題解決力のいずれにおいても、日本は世界1位。つまり、ジェネラルな「能力」では非常に優れているといえるでしょう。
ところが、その一方で大きく欠けている部分もあります。グラフ2は、『日本労働研究雑誌』(2014年9月号、深町珠由「PIAACから読み解く近年の職業能力評価の動向」)に掲載されたもので、やはりPIAACでの調査をもとにした分析結果です。「[1]現在の職務よりもっと高度な職務をこなすことができる技能を持っていると感じますか」「[2]現在の職務を十分にこなすには、さらなる訓練や研修が必要だと感じますか」という二つの質問への答えの組み合わせを国際比較しているのですが、日本では[1]にノーと答え、[2]にイエスと答えた人の割合が異様に高いことが分かります。
つまり、今自分が担当している仕事に対してももっと力を付けないと危ういし、今以上に高度な仕事は自分にはできないと考えている人の割合が非常に高いということになります。ジェネラルな意味では非常に優秀な人が多いはずなのに、なぜかそれがまったく活かされていない。せっかくの優秀さがいわば「使い捨て」になっているわけで、これが昨今指摘されている日本の労働生産性の低さの一因でもあるのではないかと思います。
日本特有の「働かせ方」とは
では、なぜこのような状況になっているのか。一つは、大学などの教育機関の中には学生の卒業後の仕事を意識した教育を行っていない場合も多く、企業のほうも社員に十分な教育訓練をする余裕がなくなっているということ。そしてもう一つ大きな要因になっているのが、日本独特の「働かせ方」の問題だと思います。
これは、いわゆる「メンバーシップ型雇用」といわれるもので、職務に就くというよりは、会社という共同体の「メンバーになる」という考え方。
日本の労働生産性の低さ
公益財団法人日本生産性本部の調査「労働生産性の国際比較 2017年版」によると、日本は2016年に20位(1人あたり生産性は21位)。http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001524.html