母子家庭に育ったある高校生の話です。その子は卒業後に就職が決まっていたのですが、「自分はこれからもずっとお母さんと同居して、面倒を見ていくつもりです」と言うんですね。さらに話を聞いたら、母親から離れて自分の将来を考えることに罪悪感がある、という言葉が出てきた。「なぜ?」と聞いたら、「今まで自分が出会ってきた人たちは、100人が100人みんな、『あなたがお母さんの面倒を見なきゃね、頑張ってね』という言葉をかけてきた」と言うんです。
日本の社会が貧困や福祉に対してどう向き合ってきたのか、この話に端的に表れていると感じました。困難が生じた時には家族が助けるべきという風潮の下、問題を当事者だけに押しつけて放置する。「家族で助け合うべき」という規範意識は一見美しいですが、そのために貧困という問題は解決されることなく、世代を超えて連鎖していきます。
この問題意識は、「家族」をテーマにした第三作、『助け合いたい』(2017年、秋田書店)にもつながっています。
「家族なんだから支え合わなくては」という思いが、逆に歯車を狂わせ、主人公一家をさらなる苦境に追い込んでいく
自分の中の矛盾や差別意識と向き合う
──『助け合いたい』では、貧困そのものだけではなく、過労死やジェンダー、非正規雇用、精神疾患など貧困とつながるさまざまな問題にも触れられていますね。
読者からの感想を見ていると、「ここが身につまされました」「この部分が心に刺さりました」と言っていただく部分が、本当にそれぞれ違うんですね。もともと、どんな人が読んでもどこか思い当たる節があるように描いたつもりではいましたが、結局、貧困やそれにつながる困難というのは、もはや世代とか性別といった属性にかかわらず誰も逃れられないことなんだな、と改めて感じさせられました。
また、こういった作品を発表するようになってから、周囲の人に「うちの息子がうつ病で……」とか、「実家の妹が引きこもりで……」とか、「実は自分の家族も苦しんでいる」とか打ち明けられたことが何度もあります。逆に言えば、今の社会がそういうことをいかに外に向かって話せないかということですよね。貧困や障害は「恥だ」という意識が強くて、家族の内だけに封じ込めてしまっている人が多いことの表れだと思います。
この国の社会保障制度がまだまだ不十分なのは、そうした不満や苦しみをみんなが家族だけで何とかしようとして、隠しているからという面もあるんじゃないでしょうか。「自分たちは困っているんだ」と声を上げる人がいないのに、行政の方から「あなたたちは大変そうだから助けてあげましょう」と動いてくれるなんていうことはまずありません。みんなが「困っている」ことを隠して、「いい家族」であるかのように取り繕っている間に、どんどん社会保障費は削られて、個人や家族の負担が増大していく。世の中はちっとも良くならない、という感じですよね。
だから、「実は……」ではなくてもっと普通の会話の中で、「うちも困っていて」「じゃあ、行政になんとかしてもらおう」という話をオープンにできるような空気があればいいな、とは思います。ただその一方で、当事者ではない人が「もっとオープンにしろ」とか「生活保護は恥ずかしいことじゃないんだから隠さないで」とか言うようなことがあってはならないとも思う。
オープンに話すかどうかは、あくまでそれぞれの個人の自由でなくてはならないはずです。 貧困や障害についてオープンに話せない原因は、周囲の人たち自身の中にもあるわけですから、「オープンにすべきだ」と当事者に迫るのではなくて、まずは自分の中にある矛盾や差別意識と向き合うことが重要ではないでしょうか。
もちろん、私自身の中にもさまざまな差別意識はあったし、今もあると思います。
たとえば昔、自閉症の子どもを育てる母親が主人公の漫画『光とともに… ~自閉症児を抱えて~』(戸部けいこ著、01年、秋田書店)を読んでいた時に、「子どもに障害あったら何もかも家族で引き受けなあかんの?」「どっかで勝手に苦しんでろって言われたみたいで」と主人公のママ友が泣くシーンがあったんです。でも、当時の私は「仕方ないよね、家族なんだから」って読み流してしまって……。この考え方は間違っているかもと考えるようになったのは、貧困についての漫画を描くようになってからです。
「家族だから仕方ない」「子どもに障害があるのは社会の責任ではないから、社会に負担を押し付けるのはおかしい」と考える人は多いと思います。だけど、もし自分や家族の誰かが事故や病気で障害を負ったら? 「社会の責任ではない」と言うけれど、じゃあ家族の責任なの? と、一歩踏み込んで考えてみると、見える景色は全く違ってくるのではないでしょうか。
漫画を通じて、その「一歩踏み込んだ」先にある景色を見せることができたら、少しは読んだ人の意識を変えることができるかもしれない。私自身が一歩踏み込むことで見えた景色は、とてもすがすがしいものでした。それを多くの人と共有したくて、描き続けているんだと思います。
「想像」の肩代わりをするのがフィクションの役割
──社会問題を取り上げた最初の作品『陽のあたる家』の発表から5年が経ちますが、社会の意識の変化は感じますか。
生活保護や貧困に対する理解はかなり広がってきたと感じます。
相対的貧困
食べ物や住居など最低限の生存条件を維持できない「絶対的貧困」に対し、その国・地域社会において「普通」「当たり前」とされる生活を営むことが難しい状態を「相対的貧困」という。例えば、日本においては高校への進学率は97%を超えているが、その中で「経済的な理由で高校に進学できない」という状況は相対的貧困に当たると考えられる。
女子高生がバッシングを受けた
2016年8月、子どもの貧困問題を扱ったNHKのニュース番組の中で、経済的な理由で専門学校への進学をあきらめたという女子高生の事例が紹介された。放映後、ネット上で「背景に映り込んでいた自宅の部屋に大量のアニメグッズがあった」「本人が『好きなバンドのライブに行った』とツイートしていた」などの理由による、「本当は貧困ではない」「ヤラセだ」などのバッシングが巻き起こった。
はく奪指標
一定水準の生活に必要とされる衣食住や教育、職業、健康、社会活動、制度などの項目を選び、その充足度を指標化したもの。貧困を測定する指標の一つとされている。