「家庭教育支援」が旗印となれば、すべての国民が第二条「基本理念」を実現すべく協力しなければならない。地域コミュニティは、住民の自発性を基礎とし、コミュニティへの関わりの度合いや内容が個人にとって選択可能な限りにおいて、その充実に意義がある。しかし、家庭と地域住民の責務や役割が国家の基本法で制定されてしまうと、第二次大戦中の隣組のように、個々の家庭や個人に国策協力を強制したり、相互監視するような抑圧的な状況が生まれ得る。
「改正」教育基本法との関係
再度上記の「家庭教育支援法案」の第二条を見ていただきたい。2017年2月の修正で、第二条から「家庭教育の自主性を尊重し」という文言が消えている。
「家庭教育支援法案」は、第一次安倍政権時の2006年に「改正」された教育基本法に依拠している。教育基本法「改正」当時、「教育基本法案」に対して巻き起こった重要な批判の一つが、その第二条「教育の目標」の設定にあった。「豊かな情操と道徳心」「健やかな身体」「自律の精神」「公共の精神」「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する」など、議論を呼ぶ新たなキーワードがちりばめられた5項目にわたる条文が「教育の目標」として掲げられた。それらは〈のぞまれる国民〉を規定するものであり、家庭も学校も〈子どもをそのように育てる〉責務を、子どもの側は〈そのように育たねばならない〉という課題を負わされたことになる。
「改正」教育基本法は、第十条「家庭教育」や第十一条「幼児期の教育」を新設したことでも批判を受けたが、これらが現在の「家庭教育支援法案」へとつながっている。ただ、「家庭教育の自主性を尊重し」という文言は、問題含みの「改正」教育基本法にすら書かれているのだ。「家庭教育の自主性を尊重しつつ」という文言が削除されれば、家庭に関わる基本的人権を国家による干渉から守る根拠がなくなってしまう。「自主性を尊重」の削除は、今回の「家庭教育支援法案」が「改正」教育基本法以上に、わたしたちの内面の自由を脅かし管理統制するステップを上ろうとしている証左でもある。
家庭教育の内容が法律で定められ責務化されるということは、わたしたちが直面する新たな事態である。学校教育については、学習指導要領とそれに従う検定教科書によって内容が規制され、義務教育に就学させる義務は保護者に課せられている。現在、学校教育は相当程度国家の管理下にある。多くの人々はそのことに合理性を見出し納得もしているが、しかし、教科書裁判、学習指導要領そのものの法的拘束性をめぐる議論、道徳教育批判など、学校教育に対する国家の管理統制の程度や方法、方向性の是非は、戦後ずっと議論されてきたことだ。今や学校のみならず、家庭教育もまた国家によって管理統制される道が拓かれつつあるのだ。
国家によって管理統制された家庭教育がその責務を果たすために、「家庭教育支援法案」は第二条3項で次のように定める。「父母その他の保護者」は「子育ての意義についての理解を深め」なければならないと。今や大きな流れを持つ「親学」(親学については後述)の登場だ。
「家庭教育支援法案」とセットの「青少年健全育成基本法案」
教育基本法が「改正」された流れは、「家庭教育支援法案」だけでなく、「青少年健全育成基本法案」にもつながっている。この二つはセットで早期制定が目指されている模様だ。「青少年健全育成」といえば、「有害図書」やインターネットの「有害情報」から子どもを守るという観点、それに対し、表現の自由の観点から議論があることなどを思い浮かべるだろう。一見、バラバラの文脈で目にすることが多かったであろうこの二つの法律は、セットで成立することで、「子ども/青少年のために」を合い言葉として、表現の自由の問題のみならず、すべての人々の思想・信条の自由や、子ども・青少年の人権を、国家が制限することを可能にする。
「青少年健全育成基本法案」(以下、青少年法案)は、2009年に制定された「子ども・若者育成支援推進法」(以下、子ども・若者法)の改正としての位置づけで提案されている。「青少年法案」は「子ども・若者法」から多くの条項や文言を引き継いでいるが、「子ども・若者法」の第二条「基本理念」に明記されていた、「子ども・若者について、個人としての尊厳が重んぜられ、不当な差別的取扱いを受けることがないようにするとともに、その意見を十分に尊重しつつ、その最善の利益を考慮すること」(第二条2項)、「当該子ども・若者の意思を十分に尊重しつつ、必要な支援を行う」(第二条7項)などの、子ども・若者の人権に関わる重要な文言は、すべて消えている。
現行の「子ども・若者法」では、国と地方公共団体の責務が定められているのみで、国民の責務といった発想は見られない。むしろ、国民主権や子どもの権利を意識して、「広く国民一般の関心を高め、その理解と協力を得る」「多様な主体の参加による自主的な活動に資する」(子ども・若者法:第十条)、「子ども・若者を含めた国民の意見をその施策に反映させるために必要な措置を講ずる」(同第十二条)といった文言が、国や地方公共団体の「暴走」を防ぐことができるように明記されている。
それに対して、新しい「青少年法案」は、「青少年の健全な育成」のために、国や地方公共団体のみならず、保護者、国民、事業者に「責務」があると、それぞれ別個の条項を立てて規定している。国による「健全育成」の定義や基準があり(すなわち「不健全」の定義や基準もあることになる)、それが一般の国民の責務とされたときに、個人の内面の自由は侵されていく。「青少年法案」には、子どもや青少年自身の権利という発想もない。
「青少年健全育成基本法案」はそういう意味で、「家庭教育支援法案」と極めて似通った危険性をはらんでいる。保護者、近隣住民、国民すべてが、「健全」に子どもを育てる責務を負うという意味では、「家庭教育支援法案」と「青少年健全育成基本法」がセットで成立すれば、強力な拘束力を発揮することになる。
「家庭教育支援法」「青少年健全育成基本法」制定に向けての「国民運動」
国のレベルでは「家庭教育支援法」も「青少年健全育成基本法」もまだ成立していないが(2018年3月時点)、すでに多くの自治体が、国の法律を先取りした「家庭教育支援条例」や「青少年健全育成条例/青少年保護条例」を制定している。
「家庭教育支援条例」は2013年の熊本県が最初の例だが、「青少年健全育成条例/青少年保護条例」の制定運動は1990年代から始まった。いわゆる「有害図書」の規制について「表現の自由」や「子どもの人権」の観点から賛否の議論を巻き起こしつつ、メディアや青少年の行動への規制を強化した条例が全国に広がり、現在では全都道府県が制定するに至っている。
「家庭教育支援条例」制定も「青少年健全育成/青少年保護条例」と同じく、自民党や日本会議において重要なミッションとして位置づけられ、署名請願運動や地方議会から国会への請願提出などを組織的にリードしている可能性が高く、そうした動きによって、今後さらに増えることが推測される。