家庭教育支援法・青少年健全育成基本法がもたらす「家族」と「教育」(前編)からの続き。
現代の子育て事情にひそむ被抑圧感の大きさ
「親学」を勧められる立場にある、現在子育て中の保護者は果たして「親学」のようなものを学びたいと思うだろうか。
一人暮らししてたの おかあさんになる前
ヒールはいて ネイルして 立派に働けるって強がってた
今は爪切るわ 子供と遊ぶため 走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから
(作詞:のぶみ〈絵本作家〉)
こうしたフレーズで始まる歌「あたし おかあさんだから」の炎上事件は、テレビや新聞でもさかんに取り上げられた。この歌詞、あなたはどう感じた/感じるだろうか(歌の動画はすでに削除されているが、歌詞は全文ネット上に残存。外部サイトに接続します)。
この歌は、18年2月2日にネット動画サービスで、NHK「おかあさんといっしょ」11代目「うたのおにいさん」として知られる横山だいすけ氏が、〈お母さんへの応援歌〉として披露したものである。
動画が流れた直後から、まずツイッターなどインターネット上で、この歌詞は、母親を応援するというよりも、母たるものは子育てのためには自己犠牲して当然と受け取れると、批判が湧き起こった。まさに子育て中の女性や子育てを経験した女性たちの多くから、父親不在の「ワンオペ(ワンオペレーション)育児」が前提なのはおかしい、母親の自己犠牲を賞賛するな、母親の自己犠牲アピールは子どもにとっても負担だ、子育ては我慢ばかりではない、などの声が相次いだのだ。
その後数日間のツイッターは、「#あたし おかあさんだけど」(自己犠牲しない、完璧な母親ではないという内容が続く)、「#おまえ おとうさんなのに」(家事育児を手伝わず自分勝手に振る舞っているといった内容が続く)などの、この歌詞を批判的にパロディ化するハッシュタグが次々と立ち上げられ、大喜利状態のような様相を呈した。
一方で、この歌詞に励まされたと擁護する意見もあったのだが、印象的だったのは、批判の中に、辛くて泣いてしまった、怒りが抑えられない、子育てをバカにしないでほしいといった、切迫感あふれる感情を示すものが多かったことである。歌詞の是非はさておき、この歌詞が「炎上」したという事実は、現在の女性や家族の置かれている状況を象徴していることは確かだ。
広がり続ける「#MeToo」運動のように、ひと昔前であれば許されたこと、当事者が仕方ないと諦めていたことに、NOの声を上げる人たちが増えている。2016年の一般市民女性のブログでの「保育園落ちた日本死ね」(2016年流行語大賞トップテンに選ばれるほど社会的注目を集めた)という書き込みについて、最初は表現が乱暴すぎて驚くとの声もあったが、この文章に賛同・共感する声が隆盛、「保活」についての専門家の解説もなされ、結果的には国会で待機児童問題解決の必要性を示す文脈で取り上げられることとなった。
賃金上昇率の伸び悩みや非典型雇用(いわゆる正規雇用〈正社員〉以外の有期雇用を指す)の増加の下、典型雇用(正社員)の労働者も「自分の椅子」を守るために長時間労働せざるを得なくなっている。共働き家族が増え、子育て世代は仕事と子育ての両立に四苦八苦している。にもかかわらず、保育料は高い、保育所も学童保育も不足、児童手当は少ない。将来の教育費を家計でまかなえるのか、学校で子どもがいじめられないか、など、心配は尽きない。必死で生活している状況に、「おかあさんだから○○」といった規範的な文言が、〈お母さん応援歌〉として聴かされたときに、怒りや悲しみが「爆発」してしまうのは当然かもしれない。子育て世代は今、さまざまな面でプレッシャーを抱え、被抑圧状態にある。
そんな状態にある現役子育て世代に、「あるべき親」を説法する「親学」が歓迎されることはないだろう。
「子育て世代を応援」するための「家庭教育支援法」?
「親学」はさておき、「家庭教育支援法」そのものは、ぎりぎりで頑張っている子育て家庭を本当にサポートするような内容なのだろうか。筆者の答えは否である。
「家庭教育支援法案」は、子育てを支援するための経済的支援やルールづくりなどの社会の制度設計より、国家が地方自治体や学校、近隣住民の囲い込みを通じて、個々の家庭の子育てを管理統制しようとするねらいが色濃く感じられる。現在の安倍政権の子育て支援政策もアドバルーンは派手に揚がるが、内実は実に不十分だ。
安倍政権は「待機児童ゼロ」を提唱し、多くの子育て中の家庭はその達成を心待ちにしただろうが、今もまだ、いわゆる「待機児童」は全国で例年2万数千人を超える。しかも、各自治体による内訳データの公表などから、保護者がやむなく育休を延長したり求職活動を停止したりするなどして、厚労省の定義から外れている、潜在的な「待機児童」数は7万人近くに上ると推定されている(2017年9月2日付東京新聞朝刊)。
政府の男女共同参画施策も産業界も、男性の育児休暇取得率を上昇させようとしているとか、育児に参加する男性のことを「イクメン」と推奨するといった動きを見せているが、これだけ雇用が不安定化し、長時間労働も増えている中で、個々の父親、個々の家庭の努力でまかなえることは限られている。
こうした状況下で、家庭教育の重要性を保護者や近隣住民に押しつけられても、わたしたちはただ困るだけだ。家庭教育を支援するなら、まずは労働条件の改善や、子育てのための施設や予算の確保が何よりも重要となる。