母と離れて暮らすことに僕は不安を抱いていましたが、母は別々に暮らし、僕が僕らしい人生を歩むことを応援してくれました。それまで、弱い存在だと思っていましたが、母は病気を抱えていても息子を想う温かい母親でした。
こうした経験を人に話せるようになったのは、ここ最近のことです。4年前に初めて精神疾患の親をもつ子どもの立場の話を聞いたことがきっかけとなりました。
僕は、自分の体験を語ることが、自分の人生を取り戻すリカバリーの一歩だと思っています。同じ立場の人との語り合いの中で、葛藤や辛さだけではなく、楽しかった思い出、どれだけ母親のことを好きなのかということ、いろいろなことを思い出すことができました。
「こどもぴあ」という存在が、子どもの立場の人たちにとってつながり合える場となればと思い、活動しています。
「自分はいつまでケアしていけばいいのだろう? と、最近よく考えます」・・・・・・・・・・・・
【高橋 唯さん】 21歳
父親は仕事中の事故で左腕を失くしたが、片手でも大抵のことはこなせている。母親は高校生のときに交通事故に遭い、片麻痺と高次脳機能障がいが残った。症状は認知症に近いイメージで、記憶力や注意力、判断力が低く、周囲への気遣いなどが難しい。歩く際に杖かシルバーカーが必要なので、高橋さんが実家にいた頃はケアを行う対象は主に母親だった。現在、大学4年生で一人暮らし中。
私が今とても強く感じているのは、「空しい」という気持ちです。最近ふいにそんな気持ちに襲われたのは、雑貨屋さんで買い物をしているときでした。「これ、お母さんも可愛いと思うだろうな」「一緒に来られたらな」と、私は出かけた先でいつも母を思い出してしまいます。
母と出かけることは私の憧れです。二人で洋服を選んだりお茶を飲みに行ったりしてみたいといつも思っています。でも、現実はうまくいきません。母と出かけると、公共の場でのマナーが守れず周りに迷惑をかけてしまったり、目を離すとどこかに行ってしまうことも多く、小さな子どもを連れているかのようです。気が抜けず、帰ってくると二人ともぐったりしてしまいます。
それでも外出や運動が母のためになるのではと思って誘うのですが、それも自己満足なのではないかと感じることが増えてきました。障がいと共に生きるつらさは母にしかわからないし、母には母の人生があります。それなのに、私は「お母さん、お母さん」と幼く、いつまでも母に理想の母親像を追い求め続けてしまう……。母を言い訳にして自分の人生をきちんと生きることができていないのではないか、と日々思っています。
就職後は実家に帰るつもりでいます。子どもの頃から、父と母が笑っている家庭をつくるのが夢だったからです。でも、そのために努力しても、親は年を取る一方で、どこかで必ず自分の人生と家族の人生の線引きが必要になります。自分はこの先どこまでケアをしていけばいいのだろうということを、最近よく考えるようになりました。
ケアラーは一人一人の状況が違うので、一概につらさを比べられるものではありませんが、今後私と同じような経験をもつ人たちの声を聞く機会があれば、「ケアラーはどこまでケアをすべきなのか?」といった悩みを共有できればと期待しています。
●澁谷智子さんに聞く:「ヤングケアラー」という言葉について
今回お話しいただいた内容は、沖さん、坂本さん、高橋さんが自分たちのこれまでの人生のどこに焦点を当てるのかを考えて、ご自身でまとめてくださったものです。若い方がヤングケアラーとしての体験を語るときには、私はどこまで語って大丈夫かと心配してしまうこともあるのですが、皆さん、しっかりとした考えに基づいて語っておられて、逆にそのように心配してしまう自分を恥ずかしいと感じるときもあります。
日本で「ヤングケアラー」という言葉が一般に知られ始めた2013年前後、まず語り出したのは祖父母をケアしている孫世代たちでした。ですから最初は、「ヤングケアラー=介護者」というイメージで捉えられがちでした。しかし、教育現場での調査が進むにつれ、子どもがケアしている対象は病気や障がいのある母親や兄弟姉妹が際立って多いことも明らかになってきました。ケアの内容は、「家事」「きょうだいの世話」「身の回りの世話(食事や着替え、移動介助など)」「感情面のサポート(精神状態の見守りや対応、元気づけなど)」と多岐にわたっています。沖さんのように、幼い頃からケアに携わることが日常で、「ヤングケアラー」という言葉に出会って初めて、自分の置かれている立場を知るという人は少なくないのです。
しかし、「ヤングケアラー」という言葉は、さまざまな側面をもつ親子関係の中で特に〈ケア〉という面に焦点を当て、さらに〈子どもから親へのケア〉だけをクローズアップしたものです。実際の生活においては、親に病気や障がいがあったとしても、〈親が子どもをケアする〉ことも当然存在しています。「ヤングケアラー」という言葉はそれを見えにくくしているのも確かです。
実際、子どもから親へのケアだけに焦点を当てているこの言葉を見聞きし、「ヤングケアラーはかわいそう」と捉えてしまう人もいます。高橋さんも以前は、「ヤングケアラー」と呼ばれることに抵抗があるとおっしゃっていました。「ヤングケアラー」という言葉では、親を尊敬している気持ちが感じにくくなってしまうという理由からでした。私たちは、この言葉が親子の関係の一面だけを切り出してそれを強調してしまう特徴をもっていることに留意し、ヤングケアラーであるという側面だけで子どもたちを見ることがないよう、この言葉を注意深く扱う必要があると考えています。