このように、ルールが無意味、非論理的、理不尽であっても子どもたちが一方的に従わされ、それを正す仕組みがないという点は、中学校・高校などで問題化している「ブラック校則」と共通しています。過剰な業務と上からのプレッシャーによって現場の教員が疲弊している中で、なぜそうなっているのかよくわからないルールがいつのまにかトップダウンで決められ、習慣的に守られていくというところもよく似ていると言えるでしょう。
子どものために大人がするべきこと
世界各国と比べ、日本の教員は労働時間が長い一方で授業時間が短く、また十分に教材研究をする時間も少ないという課題があります。根本的な改善には、人員の育成や確保など財源的手当が不可欠とはいえ、残念ながら今すぐ解決できるようなことではありません。国や行政に頼らない工夫も考えることが現実的には必要だと思います。
「スタンダード」が子どもの学びのため、授業のために導入された制度であるというのは重要なポイントです。授業は教員の仕事の中核であり、教員の裁量がかなり大きい領域です。ある程度は「スタンダード」を守りながらも、教員ひとりひとりの意欲や工夫が反映される余地は十分にあります。「スタンダード」に頼り切らず、内容の妥当性について教員自身も考え、「スタンダード」を超える授業を行うにはどうしたらいいか、現場で模索していってほしいと思います。それが子どもの多様性、主体性を育てることにもなるはずです。
また、教員にばかり努力を求めるのではなく、保護者や地域住民という「外側」の立場から働きかけることで、閉鎖的になりがちな学校をオープンにしていくことも大切です。例えば、保護者の立場から疑問に思う「スタンダード」や「ブラック校則」があったとします。「決まっていることだからしょうがない」と受け入れ、子どもにもそれを強いるのではなく、まず「本人はどう感じているのか」「大人として自分はどう考えるのか」、子どもと話し合うことが大切です。そのうえで、やはりおかしいと思うのであれば、「ちょっと行き過ぎではないか」「どういう理屈で決まっているのかわからない」などと申し入れ、学校側と意見をすりあわせていくべきでしょう。
教育委員会や学校の側も、保護者をいわゆる「モンスターペアレンツ」のように扱い、「うちのやり方はこうです」と押し通すのではなく、「スタンダード」の意味がどこにあり、何をもって子どもの成長のためになると考えているのか、保護者に説明する責任があります。「スタンダード」が単に教師や子どもたちを縛るためのものではなく、真に子どもたちの力を伸ばすことに役立つものとなるよう、子どもの周囲にいる大人たちが連携していくことも必要ではないでしょうか。それには、学校や教育行政が、保護者や地域に対してきちんと説明をして納得を得るような努力をしていくことが大切であると思います。
「ブラック校則」
「下着の色は白」「髪の色は黒のみ」など、過度に細かく非常識な校則のこと。