2022年6月11日、映画『スープとイデオロギー』 https://soupandideology.jp/ が公開された。監督のヤン ヨンヒ氏はこれまでも、ドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(2005年)、フィクション映画『かぞくのくに』(2012年)などで、自身の家族を通して、朝鮮半島と日本の歴史、それらに翻弄されながら生きる在日コリアンの姿を捉えてきた。今作は、ヤン監督の母を主人公に据えた、これまでの「家族」の物語に連なるドキュメンタリーである。作品の冒頭で母の口から語られるのは「済州島四・三事件」の記憶。当時、18歳の彼女は事件の体験者であったことを語り始め、娘も知らなかった母の人生が明かされてゆく。
この「済州島四・三事件」をテーマに、20年以上かけて1万1000枚にも及ぶ長編小説『火山島』(1967~95年)を執筆したのが作家の金石範(キム・ソクポム)氏。
2018年に行われた四・三事件70周年追悼式典におけるスピーチで、当時の韓国大統領・文在寅は、事件の解決に向けては、事件をテーマに作品を発表した在日の作家の功績も大きかったと語り、金氏の名前と「鴉の死」(1957年)、『火山島』の2つの作品名を挙げた。韓国でタブー視されていた頃から事件を作品化していた金氏に本作を観てもらいたかったというヤン氏。
金氏は、今作をどう観たのだろうか。
「大河」のような大きな作品
――金石範さんは、映画が完成する4年前から、仮でつけられていた『スープとイデオロギー』というタイトルがいいとおっしゃっていましたよね。
金 そうでした。タイトルにユーモアがありますよ。「スープ」と「イデオロギー」という対照的な二つの言葉を並べていてね。こんなタイトルつける人はいないんじゃないの。あんまりカッコいいタイトルとは思わんけどね(笑)。
ヤン 最近の映画は、短く一つの言葉で表しているタイトルが多いですね。そっちのほうがカッコいいし、覚えやすいんですけど。
金 4年前は、まだ内容について知らないで、タイトルだけほめていたわけや。それで今回、映画を観たけど私にとっては非常につらいものでした。たとえば、済州島の四・三事件のこととかね。観ていて本当につらい……。事件を体験した金時鐘(キム・シジョン)なんかは、私よりもっとつらいんじゃないかな。
この映画を観て思い出したのは、クロード・ランズマン監督の『SHOAH ショア』(1985年)という映画です。ナチスドイツが行ったユダヤ人のジェノサイドに関するドキュメンタリー映画。あれは上演時間9時間半でしたね。私は日本で公開された95年に日仏学院に行って、朝から晩まで観た記憶があります。あの映画は、虐殺の被害者、加害者、傍観者、当事者たちのインタビューで構成されていて、ドラマも何もない。その映画に近い印象を持ちました。もちろん内容は違いますよ。
私は『スープとイデオロギー』を2回観たけど、1回観ただけでわかる映画じゃない。四・三事件のことなど、歴史的なことも出てくるからね。比喩的に言えば、この映画は一見、日常を切り取っているだけの小さな作品のようで、いろんなところに流れがつながってゆく「大河」のような大きな作品ですよ。「小川」じゃないんだ。だから2回、3回と観るといいと思う。考えることが多いから、飽きないですよ。
――石範さんが特に印象に残っているシーンはありますか?
金 ヨンヒと婚約者の荒井さんが、実家にある金日成と金正日の写真を部屋から片づけるシーンがあるでしょう。映画のクライマックスのほうにあるシーンだけど、あのシーンは印象的でした。何げなく描かれているけど、あの場面は痛烈な歴史批判になっていますよ。
ヤン 試写会で「なんで肖像画を下ろすシーンをわざわざ入れたの」と言われたことがありました。もちろん意図して入れたシーンなんですけどね。
金 あとアルツハイマーで記憶を失ってゆくヨンヒのお母さんが、最後まで北朝鮮の歌を唄うでしょう。あの場面も印象的でした。私にはある種〝洗脳〟されているようにも見えたけど、あれはヨンヒのお母さんだけの問題じゃないですね。あのシーンは、在日の歴史に関わる問題です。
いろんな歴史や、背景が入り込んだ作品なんだけど、映画の中には、はっきりと映っていない。観た人が情報を読み取らないといけない。いわば〝沈黙の映画〟ですよ。
ヤン そうなんです。まだまだ語れないことはたくさんあって、〝沈黙〟として表現せざるを得ない場面があるんです。
「済州島四・三事件」
「コレクション 戦争と文学 12 戦争の深淵」(集英社)所収 金石範「乳房のない女」註の記述によると――【済州島四・三武装蜂起】 一九八四年四月三日、アメリカが行おうとした南朝鮮単独選挙に対し、朝鮮半島を南北に分断する選挙だとして済州島で武装蜂起が起きた。前年から左翼勢力封じ込めの名目で米軍政が警察や右翼団体を使い島民を弾圧していたことへの不満も引きがねとなった。この蜂起を武力鎮圧する過程で数万人の島民が無差別虐殺された。
金時鐘(キム・シジョン)
1929年朝鮮釜山に生まれ、元山市の祖父のもとに一時預けられる。済州島で育つ。48年の「済州島四・三事件」に関わり来日。50年頃から日本語で詩作を始める。在日朝鮮人団体の文化関係の活動に携わるが、運動の路線転換以降、組織批判を受け、組織運動から離れる。兵庫県立湊川高等学校教員(1973-88年)。大阪文学学校特別アドバイザー。詩人。主な作品として、詩集に『金時鐘詩集選 境界の詩――猪飼野詩集/光州詩片』(藤原書店、2005)『四時詩集 失くした季節』(藤原書店、2010、第41回高見順賞)『背中の地図』(河出書房新社、2018)他。評論集に『「在日」のはざまで』(立風書房、1986、第40回毎日出版文化賞。平凡社ライブラリー、2001)他。エッセーに『草むらの時――小文集』(海風社、1997)『わが生と詩』(岩波書店、2004)『朝鮮と日本に生きる』(岩波書店、2015、大佛次郎賞)他多数。金石範氏との対談した『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(平凡社、2015年 増補版)において四・三事件を体験した記憶を語っている。
朝鮮総連
朝鮮総連(在日日本朝鮮人総聯合会)――北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の在日本公民団体。終戦直後の1945年10月15日に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝連)や在日朝鮮統一民主戦線(民戦、1951年1月結成)を前身とする。1948年の大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の樹立後、朝鮮戦争(1950~1953年)を経て南北分断が決定的となるなかで、在日コリアンの北朝鮮の共和国公民(国民)としての帰属を明確に打ち出して1955年5月に結成された。民団(在日本大韓民国民団)は、こうした北朝鮮系の団体に対抗する在日コリアンによって1946年10月に結成され、韓国を支持している。朝鮮総連は、東京都に中央本部を置き、各道府県に本部と下部組織をもつ。民族学校を運営したり、朝鮮人が経営する企業に融資するほか、北朝鮮の窓口としてビザやパスポートの発行業務も行なっている。ヤン ヨンヒの父コンソンは、朝鮮総連大阪府本部の副委員長を務めたあと、大阪朝鮮学園の理事長を務めた。(映画『スープとイデオロギー』公式パンフレット 「キーワード解説」(監修 文京洙)より)
帰国事業
帰国事業(帰還事業)1959年12月から二十数年間にわたって続いた北朝鮮への集団移住であり、日本と北朝鮮政府と両国の赤十字によって推進された。朝鮮総連だけではなく、日本のメディアさえも「地上の楽園への民族の大移動」と称賛した。日本社会で差別と貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが、新潟港からの船で未知の国=北朝鮮に渡った。そのほとんどは“南”(韓国)出身者であり、いわゆる「日本人妻」と呼ばれる日本国籍保持者も含まれた。当時、韓国政府は在日コリアンに対して事実上の棄民政策を採っており、経済的にも貧しかった。一方、旧ソ連の後押しもあって経済復興を果たした北朝鮮に人々は希望を託した。日本と北朝鮮の間にはまだ国交が樹立されていないことや、北朝鮮住民の海外渡航の制限もあり、「帰国者」たちの日本への再入国はほとんど許されていない。ヤン ヨンヒの兄3人は、帰国事業によって北朝鮮に渡った。(映画『スープとイデオロギー』公式パンフレット「キーワード解説」(監修 文京洙)より)