今回の特殊詐欺事件は銀行の支店長代理を務める「齊藤礼二」が72名分の個人情報を200万~300万円で買い取り、勤務先で口座を不正に開設、詐欺の振込先として使用したというものだった。総被害額39億円。そのうち3.5億円が僕の名義の口座に振り込まれているという。シラミズタクマ宛に被害届が30通。1通につき22日間、合計660日間の拘留になるという内容だった。
「齊藤礼二」という人物はもちろん電話帳にも登録されていないが、ひょっとしたら引退したバンドマンの本名なのかもなどと思案をめぐらせる。とにかく身に覚えのない状況の中で僕は否認を続けながらも事情聴取に応じていた。僕がいくら口頭でやっていないと言ってもシラミズタクマ名義の口座があること、そこが詐欺の振込先に使用されている事実がある以上、逮捕ができる十分な理由になると織田刑事から告げられた。
じつはこのとき、当面のスケジュールがかなり立て込んでいた。週末に控えた弾き語りでのソロライブ、7月から始まるPsycho le Cémuのツアー、そして同7月から初めて参加させていただくmachineの現場スケジュールなどである。machineのツアーに呼ばれたことは大抜擢であり、絶対に穴をあけるわけにはいかないという重責を担っていた。だからこそ、万が一のことが頭をよぎり、かなり動揺していた。今の状況をどこから誰に伝えていかなければいけないのかを考えていた。
 事情聴取はさらに続いたが、織田刑事からの提案があった。
「今回の事件、シラミズさんは容疑者になっていますが、ここまで話してきて僕はシラミズさんの事件への関与の可能性は低いのではと思っています。もし仮に不当逮捕となった場合、警察側も大きな問題になります。通常逮捕となった場合、当然身柄を拘束されるのですが、身体的な問題などを理由に拘束をせずに調査する“優先調査”というものがあります。こちらは今回の事件を担当する検事の承諾が得られないと行われないのですが、僕のほうからも掛け合ってみますので検事に話してみませんか」。
 これからのスケジュールのことも考えると、藁にも縋る思いでその提案を受け入れた。「検事との面談をとりつけるまでの間に自宅に帰っておいてください」と言われ、その日夕食を約束していたバンドマンの友人にキャンセルの連絡入れカラオケ店を出た。自宅に帰るまでの間も逃亡しないようにと、ビデオ通話は繋いだままだった。
 19:00。織田刑事が回線を繋いでくれて、白川学を名乗る司法検察官との面談がビデオ通話で行われた。厳格な口調で話す白川検事は「これは織田刑事の個人的な判断によるもので特別扱いはできない」の一点張りだった。「まもなく拘束されることになるので、今の間に荷物をまとめておくなど身辺の整理をしておきなさい」という白川検事に、「なんとか優先調査をお願いします」と繰り返した。
 熱意が通じたのか、はたまたあまりのしつこさに根負けしたのかはわからなかったが、「身体的な理由がないものに優先調査をすることはできないが、今日から2日間猶予期間を与える。その間は身柄を拘束しないが三つの誓約を守って行動しなさい。万が一その一つでも守れない場合、即刻身柄を拘束します」ということになった。2日間という猶予期間ではあるが少しだけ安堵した自分がいた。三つの誓約は主に次のとおりだ。
 1.守秘義務:親族を含む第三者に一切口外してはならない
 2.行動連絡:2時間に一度、状況をメッセージで送る。就寝、起床の連絡をする
 3.インターネット規制:検索エンジンを使用しない。テレビを見ない
“優先調査”のために結んだ「守秘義務誓約書」(著者提供。一部加工済み)
■ 誓約下の孤独な生活
 ここから誰にも言えない一人だけの生活がスタートする。
 帰宅して、7月1週目のスケジュール、7月の公演スケジュールをまとめて織田刑事に報告する。2時間おきの行動連絡といえど具体的にどういった内容、どのタイミングというものがわからないので、報告数が多い分には問題ないのかもしれないとこれから行う仕事の内容を逐一報告する。インターネット規制もどこまでシビアなのかわからないが、一般の人と比べるとSNSの更新なども含めてインターネットを使用する機会も多い。予めSNSのアカウントも全て報告した。SNSの更新に関しては事前に内容を報告するという条件付きで許可がもらえた。
 そして、こんな状況の中で白川検事に取り次いでくれた織田刑事にお礼文を送る。織田刑事から「優先調査をしてもらうために一緒に頑張っていきましょう。わからないことがあれば、なんでも相談してください」という言葉をかけてもらう。
 就寝報告をするも眠れない。テレビの警察密着番組でよく見る「容疑者が確実に自宅にいる早朝に連行しにくる」というイメージがあって、「ひょっとしたら寝ている間に状況が変わって、朝方逮捕ということになってしまったらどうしよう」という考えがめぐって尚更眠れなくなる。今の間に誰かにこの状況だけでも伝えておくべきではという考えと、とにかくこの2日間は守秘義務を全うしなければという考えで気持ちが揺れ動く。結局眠れないまま朝を迎えた。警察は来なかった。
 猶予期間1日目。誓約の中での生活、仕事が始まった。
 仕事に向かう交通手段、食事の報告や各所仕事の連絡をする際も必ず行動連絡を行っていた。11月のイベントに向けての座談会の最中も、「もし自分が逮捕されてしまったらこのイベントにも迷惑をかけてしまう」、そんなことを考えながら平静を装い取材を受ける。
 その後Psycho le Cémuのスタジオへ。いつもと変わらないメンバーといつもと変わらないフリをしてリハーサルを行う。26年共にしてきたメンバーに隠し事をしている。長年演奏してきた曲をみんなで合わせながら、心が苦しかった。
 猶予期間2日目。Psycho le Cému新曲のプロモーションでボーカルのDAISHI(ダイシ)と二人でラジオの生放送に出演。サテライトでの公開生放送ということでファンの方も沢山観覧にきてくれている。この状況になって初めてファンの方の前に出る。やはり心穏やかではいられない。なかなかこの生活に慣れていくことができない。
 この日、織田刑事にこの事件について気になっていることをまとめて質問してみた。
 ・口座開設に必要な個人情報がどのようにして齋藤容疑者に渡ったのか
 ・齋藤容疑者の供述書の不明点