「万が一、まさか、自分が逮捕されたら」「ここまで誓約を守り続けてきたものが、一度の気の緩みで自分のバンドマンとしての人生が終わってしまったら」「メンバーやスタッフに迷惑をかけてしまったら」。一種の洗脳に近い状態の中で自ら進んで精神的にも肉体的にも孤立していっていた。
 疑念を持ちつつも詐欺だと確信できなかったのは、金銭的な要求がなかったからだ。行動や時間の制限であれば、自分の中でどうにか耐えて処理ができると思っていた。しかし、お金というキーワードが僕の中のトリガーになっていた。
■「そんなん絶対詐欺やん」って一言目でいう自信がある話
仙台から東京に向かう機材車の中で1カ月ぶりに「Google検索」を行った。魔法が解けるように類似した事件の警鐘を鳴らす情報が飛び込んできた。それでも僕は道中2時間おきに織田刑事に行動連絡を行っている。
 16:00。東京に到着し事務所でメンバーと別れた。僕は「東京に到着しました。夜にスタッフの誕生日会があるので渋谷へ向かいます。それまでは渋谷の喫茶店で仕事をしています」と織田刑事に連絡を入れ、その足で渋谷警察署へと向かった。
 受付で相談すると、すぐに特殊詐欺の担当課の窓口に案内された。現れた警察官は言葉数少なく、この1カ月コミュニケーションを取ってきた織田刑事よりかなり高圧的な印象を受けたが、開口一番「間違いなく詐欺です。お金は振り込みましたか」と言うので「振り込んでないです」と伝えると、「良かったです。はじめにあなたの資産を聞き出しているので身ぐるみ全部取られていますよ。犯人達はいくらか残しといてやろうなんて思わないですから。今すぐ全ての連絡先をブロックして削除してください」と告げた。
 僕はこれまで詐欺にあった経験がないので、いきなり連絡を切るような真似をしたら個人情報を知られている以上何らかの報復をしてくるのではという不安があることを伝えたが、こういった詐欺ではとにかくリストの電話番号に片っ端から連絡をかけ相手を拘束し続けて振り込みをさせていく。それ以上の接触をするとそこから足がついてしまうことを恐れているので、ほぼその可能性はないとのことだった。
 毎日行ってきた僕の行動連絡は、8月4日16:00を最後に終わった。
 1カ月間にわたり行動を縛り続け、信頼関係を築き上げたところで、最終段階「優先調査」のためという名目での振り込みの指示が出たのだろう。
 警察から言われたとおり織田刑事からの電話番号、アドレスは全てブロックした。
 はずだったが、別のPC端末に同期されているショートメッセージアプリに18:27織田刑事からメールが届いていた。
「シラミズさん。今まだ喫茶店ですか?」
*
 特殊詐欺の中の特殊詐欺の話。織田刑事も白川検事も台本があるのだとしたら、とんでもない役者だと思う。見事な演技だった。
 取材が行われていれば出ることのなかった電話。普段ならば面倒くさくって適当にあしらっていた電話。人の話だったら「そんなん絶対詐欺やん」って一言目でいう自信がある話。まさか自分の身に起きるなんて思いもしなかった話。
 思い返せば、いくつもの落とし穴があった。身の潔白を証明する自信があるが故に、自ら個人情報を曝け出してしまったこと。メンバーや多くのスタッフとスケジュールを共にしている中で余裕のない生活。いただいた大先輩からの声掛けに応えようとするプレッシャー。心の中にある「これは詐欺では」という疑念を自ら否定してしまう不思議な心理。
 けれど、すんでのところで踏みとどまれたのもメンバー、スタッフのおかげである。メンバーと夢のために立ち上げた会社。代表として鍵を預かる資産は僕個人の理由で手をつけて良いものではないという強い意志が、最悪の結末から回避させてくれたのだ。
偶然が重なり合ったドラマのような話はやっぱり架空の世界だったけれど、大きな嘘の中に小さな本当があったりするとそこから全てを信じてしまうような、とても怖い経験をした。