高松塚古墳ってこんなにすごい!
1972年、奈良県明日香村で、奈良県立橿原考古学研究所によって、高松塚古墳が発掘された。この古墳は7世紀末から8世紀初めのころ、すなわち日本古代国家の成立期に、当時の高い身分の人が葬られた墓である。その石室の壁には漆喰を塗った上に、極彩色の、方位の神である四神図、星座を描いた星宿図、人物群像図などの壁画が描かれているが、それらは思想・天文学・装いなどの各分野において、当時の東アジアの最先端の情報が日本にもたらされたことを示している。
またGPS(全地球測位システム)で高松塚古墳の位置を測ると、7世紀末の天武・持統合葬陵から、南に正しく1800高麗尺(当時の1高麗尺は35cm強)の場所にあることが分かる。当時の人々は、最新情報を得ただけではなく、高度な測量技術まで実際に使いこなしたのである。この距離と方位の測量技術は、藤原京や平城京のような古代都市建設の技術的基盤になったものである。
このように高松塚古墳は、飛鳥・奈良時代の日本国家形成や、それを可能にした東アジア諸国との国際交流を考えるうえでの第一級資料であり、高松塚古墳は特別史跡に、古墳の壁画は国宝に指定されている。なお、この古墳に葬られた人については、皇子・大臣クラスの有力者や渡来系有力者など諸説があるが、私は百済王族とする説をとっている。
壁画・石室はこうして劣化していった
高松塚古墳の発掘後、文化庁は1974、75年に、石室の前に前室とその空調施設を設置して保存措置を講じたが、2004年に壁画の劣化が進んでいることを公表した。その原因として、石室内の強制空調機能がなく、外気の環境変化に応じて石室内にカビなどが発生しやすい条件が生まれたこと、また防護服を着ないで作業するなどの、人為的な原因でカビが持ち込まれたことなどがあげられている。
この件で最も問題なのは、1978~81年ごろにすでに大量のカビの発生があり、壁画の劣化が始まっていたのに、長年、このことが公表されず、抜本的な対策がとられなかったことである。現在、石室解体までの臨時の措置としてなされている、古墳全体の温度・湿度の管理と監視とをもっと早く実施していたら、石室解体・保存処理よりも、はるかに少ない予算で現地保存を続けることができたであろう。
このような事態が生まれた背景には、在任期間中に問題が表面化しなければ当事者責任を回避できるという、日本の役所独特の仕組みがあったと思う。それは日本古代の官僚制度の成立以来のものであり、古代国家形成に貢献した高松塚に葬られた人にも、いささかの責任があるかもしれない。ただ、ここでは高松塚古墳の例は氷山の一角であり、高松塚古墳やキトラ古墳のような、壁画古墳に準じた歴史的意義をもつ装飾古墳をはじめとして、他の多くの重要な遺跡で、同じ事態が繰り返されないことを切望する。
いったいどうしたらいいのか
日本では壁画古墳は2例しか知られていない。その一つである、同じく明日香村のキトラ古墳でも壁画の劣化が進行して、はぎ取り・保存処理が実施された。そして高松塚古墳については、文化庁は石室・壁画の現状から、石室解体措置を決定して、本稿を執筆している2007年4月時点でその作業が進行している。ただし今の状況で、高松塚古墳に対してどのような措置をとるべきか、考古学界でも判断が分かれている。ここでは何人かの仮想の考古学者に、率直に意見を言ってもらうことにした。考古学者A:解体なんてとんでもない。遺跡は現地で保存すべきものだ。解体は遺跡破壊と同じであり、現地保存の可能性を徹底的に検討するべきだ。
考古学者B:解体しない方がよい。石室の石材も劣化していて、解体のリスクはかえって高い。壁画はぎ取り保存を実施して、石室は保存するべきだ。
考古学者C:解体はやむを得ない。解体で多少のダメージを受けても、実験室で保存処理した方が良い。保存処理してから環境を整えた現地に戻そう。
考古学者D:解体した方が良い。万物は経年変化・劣化する。貴重な文化財は回収して最善の保存処理をしよう。現地に返してまた劣化する可能性があるなら、精巧な複製品を置こう。
考古学者だけでも、最低これくらいの意見がある。地元の人や高松塚古墳にかかわりをもつ、いろいろな立場にいる人であれば、さらに多くの意見をもっていることと思う。それらは、どれが正しいという性質のものではなく、すべて尊重されるべきものである。
高松塚古墳に限らず、国内外で貴重な文化財が危機に瀕した時、どのような判断をするべきであろうか。おそらく、上の考古学者A→B→C→Dの考えの順に、技術的・予算的な実現性が検討されるであろう。Aが実現したらベストであり、最悪でもDを行い、最低限貴重な文化財が無に帰すことだけは避けたい、というのが多くの考古学者の希望であると思う。上の考古学者A~Dは、実はすべて私である。
高松塚古墳の今とるべき措置については、どの意見がいちばん正しいかと考えるよりも、最悪の状況の中で、どの措置がベストであるかということの判断が分かれていると理解すべきであろう。皆さんは、どのように考えられるだろうか。もし私が当事者であれば、「現状では」Dが最善と思いつつ、A・B・Cを実現できないものかと、ぎりぎりまで検討するであろう。そして高松塚古墳について、もっと早くに対策を立てていたら、もう数十年はAでいられたと思う。もしそうであったなら数十年後に劣化が進んでも、今より進んだ保存技術で早期の対応ができるであろう。
高松塚古墳は、貴重な文化財を適切に保存するには先手必勝、転ばぬ先のつえがいちばん大切であることを教えているのである。