新黄金世代の登場
2007年の最大の成果は、各種の日本代表が「世界」に向けステップアップしたことだ。男子では、U-20日本代表(吉田靖監督)とU-17日本代表(城福浩監督)がそれぞれにFIFAの年代別ワールドカップに出場し、日本の力を示した。
FIFA U-20ワールドカップ(7月、カナダ)では、スコットランドを3-1、コスタリカを1-0で下し、ナイジェリアとは0-0で引き分けてグループ首位で決勝トーナメント進出を果たした。その1回戦では強豪チェコを相手に互角以上と言ってよい試合を見せたが前半の2-0のリードを守りきれず、2-2からPK戦3-4で敗れた。そのチェコが準優勝を飾ったことを考えれば、「ベスト16」という結果以上の評価がなされるべきだろう。
U-20ワールドカップでは、1999年に準優勝という快挙を成し遂げている。小野伸二、高原直泰、稲本潤一、遠藤保仁など、その後の日本代表の中核をなす選手たちが活躍した大会だ。07年のU-20日本代表も、FW森島康仁、MF柏木陽介、梅崎司、DF安田理大、内田篤人など、将来性豊かな選手が多く、「新黄金世代」と言われている。
FIFA U-17ワールドカップ(8~9月、韓国)では、残念ながらグループ3位に終わった。初戦でハイチを3-1で下したが、ナイジェリアに0-3、フランスに1-2と連敗した。強靱なフィジカルをもったナイジェリア(優勝)のようなチームに勝つためにこれから選手たちがどんな努力をしなければならないのかを学ぶとともに、日本が互角の試合をしたフランスが、決勝トーナメントでは準優勝のスペインとPK戦にもつれ込む接戦を演じたことなどから自信を得た大会でもあった。
男子と同じようにU-20とU-17の世界大会が整備された女子。日本は、ともにアジア予選を突破し、2008年の世界大会へのコマを進めた。U-16日本女子代表(吉田弘監督)はアジアのU-16選手権で準優勝を飾り、08年10月30日から11月16日にニュージーランドで開催される「第1回FIFA U-17女子ワールドカップ」への出場権を獲得した。U-19日本女子代表(佐々木則夫監督)も、10月に中国で開催されたアジア予選を突破し、08年の「FIFA U-20女子ワールドカップ」への出場権を得た。
なでしこジャパンの成長
07年はオリンピック予選の年。男子はU-22日本代表(反町康治監督)が出場し、最終予選が11月まで続くためまだ結論は出ないが、女子(なでしこジャパン=大橋浩司監督)は無敗で出場権を確定した。女子日本代表、なでしこジャパンは、07年3月にメキシコとの過酷なプレーオフを勝ち抜いてFIFA女子ワールドカップに5大会連続出場を果たした。9月に中国で開催された女子ワールドカップでは、イングランドと2-2、アルゼンチンと1-0、ドイツと0-2と、内容のある戦いを見せた。決勝トーナメント出場はならなかったが、なでしこジャパンが確実に世界との距離を詰めたことを示す戦いだった。
男子日本代表の話の前に、もう2つの「日本代表」に触れておこう。フットサル日本代表(サッポ監督)は、5月に大阪と兵庫で開催されたアジア選手権に出場、ライバルのイランに決勝戦で1-4の敗戦を喫したものの準優勝。国内ではプロを含む全国リーグの「Fリーグ」もスタート、08年のFIFAフットサルワールドカップ出場に向けて着実に力をつけていることを示した。そしてビーチサッカー日本代表(ネネン監督)も、アジア予選を準優勝で突破、11月にリオデジャネイロ(ブラジル)で開催されるFIFAビーチサッカー・ワールドカップへの3大会連続出場を果たした()。
FIFAランキングがアップ
イビチャ・オシム監督率いる男子日本代表は、3連覇を目指したアジアカップ(7月、東南アジア4カ国)では4位に終わった。しかししっかりとしたパスで試合を支配するサッカーはすべての対戦相手を圧倒し、1カ月間をいっしょに過ごしたことでチームの相互理解も深まった。そのなかで、06年には招集を見送られていた「ヨーロッパ組」が徐々にチームに加わり、しっかりと「オシムのサッカー」に適応できたことは非常に大きな意味がある。MF中村俊輔、FW高原直泰、MF稲本潤一、MF松井大輔らの活躍でチーム内の競争が激化し、選手層は一挙に厚くなった。
9月にはオーストリアで行われた「3大陸大会」に出場、オーストリアには決定力不足で0-0の引き分けに終わったものの、スイスとは0-2の劣勢から4-3で逆転勝ちし、優勝を飾った。「もっと果敢なチャレンジが必要」と言われていた攻撃も、スイス戦の後半には見違えるように良くなり、日本代表の力が一段階上がったことを証明した。
06年のワールドカップ終了後に新基準がつくられた「FIFAランキング」でワールドカップ前の18位から49位へと急降下した日本だったが、その後着実に順位を上げ、07年6月にはアジアで首位に浮上、9月には34位にまで上がった()。
クラブワールドカップへのチャレンジ
クラブの活躍も目立った年だった。これまでAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でいちどもグループステージを突破できなかったJリーグ勢が、07年は出場した2クラブがそろってグループを勝ち抜き、決勝トーナメントに進出、川崎フロンターレは準々決勝で涙をのんだが、浦和レッズは初優勝を目指して準決勝を戦っている。この大会で浦和が優勝すればもちろん、仮に優勝できなくても、日本から1チームが12月のFIFAクラブワールドカップ(FCWC)に出場することになっている。ACLで日本以外のチームが優勝した場合には、「出場国枠」でJリーグの優勝チームがFCWCに出場できることになったからだ。
アジアの舞台で力を示せるようになったJリーグ・クラブ。12月には、日本のサッカーとして07年最後の「世界へのチャレンジ」が行われる。
日本代表の試合の入場券が売れ残るなど、「人気低下」がささやかれている日本のサッカー。しかし各種日本代表やクラブの成績や戦いぶりに見るように、確実に実力は上がっている。07年は、日本のサッカーが総合的に「世界」を視野にとらえた年だったと言えるだろう。