お店には危険がいっぱい?
「オルレアンのうわさ」をご存じだろうか。1969年、フランスの都市オルレアンにある婦人服店の試着室から、何人もの女性が消え、組織に誘拐されたという話である。このうわさは多くの市民に信じられたのだが、実際には、だれ一人として行方不明になったという届など警察には出されていなかった。それから約40年後の2007年秋、「スーパーのトイレに子どもが連れ込まれていたずらされる」というメールが日本各地に出回った。メールには地域のスーパー名が記入されており、「犯人はまだつかまっていない、たくさんメールを回して子どもを守ろう」などという内容が記入されている。ところが、警察や教育委員会に確認すると、そのような事実は一切なかった。このようなメールは、この数年、日本のどこかで毎年のように出回り、騒動を引き起こしている。
うわさとは何か?
これらの「うわさ」に共通するのは、「ホントかウソかどうか分からないにもかかわらず、『ホント』と思われ、流されている情報」であり、「人から人へ、主としてパーソナルな手段により伝えられる」ということだ。「うわさ」には「流言」「都市伝説」など似た意味を持つことばがたくさんあり、区別がしにくい。「流言」ということばが使われる場合は、その情報内容が重要とされる。例えば、何月何日に地震が起きるといったようなものだ。一方、「都市伝説」は、話がもっともらしいものであること、そしていくらかの期間をおいて同じような話が繰り返されるという特徴を持っている場合に使う。「ドラえもん」や「サザエさん」など、有名なマンガの最終回にまつわるようなものは都市伝説とされる。このほか、「デマ」という場合は、意図的な情報操作を指し、わざと誤った情報を流すことをいう。ただ、これらを厳密に区別することは難しい。最初にあげた「オルレアンのうわさ」や「スーパーのトイレ」は、流言、都市伝説双方の特徴を持っている。うわさには法則がある
では、どのようなうわさが広まるのか。アメリカの社会心理学者のG.W.オルポートとL.ポストマンは、うわさの流通量は、その重要性とあいまいさに比例するという、有名な公式を提出した。つまり、うわさを受け取る人々にとって重要なうわさほど、流れやすいのである。「スーパーのトイレ」の例でいえば、子どもを持った女性にとっては、子どもの安全にかかわる情報、しかも地域のこととあれば、重要度は高い。また、犯人がつかまったかどうかは、分かりにくく、あいまいであるため、広まりやすい。
その後のうわさ研究者たちは、不安が、うわさを広める要因のひとつになっていることも明らかにしている。「スーパーのトイレ」は、新たなスーパーが開店することによる不安、また、“スーパーのトイレで子どもにいたずら”という事件が実際に存在することによる不安が、うわさの広まりを引き起こしたと考えられる。
ネットが広めるうわさ
このようなうわさの伝播(でんぱ)は、ネットや携帯電話が広まったことによってどう変化しただろうか。うわさが短期間に大量に流布するようになり、その結果、うわさの影響が増幅される可能性が高まった。1970年代に愛知県の信用金庫で、女子高生のうわさがもとになって取りつけ騒ぎが起きたが、パニックが生じるまで数日かかっている。ところが、2003年に佐賀県で起きた同じような事例では、携帯メールやネットが利用された結果、うわさの発生からパニックに至るまでに1日もかかっていない。短期間に簡単に流布することから、ひとりの受け手が同じ情報を複数回受け取る可能性も高まる。短期間に何度も受け取ったりすると、最初のうちはウソだと思っていた情報を信用するようになってしまうかもしれない。また、ネット上の掲示板に投稿されることによって、多くの人が知ることができるようにもなった。
被害を防ぐには
このようなメールを受け取った場合、即座に転送をするのは不要な混乱を招くもとになる。今ならネットを調べれば、そのような話が「うわさ」であることが分かるだろう。心配ならば警察や教育委員会に確認すればよい。自分の手元に集まってきた情報だけから判断するのではなく、あわてずに情報の正しさを確認してみよう。転送するのは、それからでも遅くはない。