「女子アナ」という存在
放送番組は全体として娯楽化している。そうしたなかで「女子アナ」は「女性アナウンサー」の短縮形として定着しつつある。ただし男性のアナウンサーを男子アナとはいわない。テレビで活躍し、人気を得るアナウンサーは、多くの若い女性たちが憧れる職業だ。
しかし、放送局の正社員(局アナ)から嘱託や契約まで、女子アナにもさまざまな立場があり、表面的な華やかさとは裏腹の厳しさもある。アナウンサーとして就職した後、自らも取材をして原稿を書き、映像編集を経験するなど、ジャーナリストとしてのキャリアを積み上げて、看板番組のキャスターになった女性、番組編成などの決定権を持つ管理職になる女性がいる。その一方で、タレントと同様にクイズやバラエティー番組に出演するものの、アナウンサーとしてのキャリアは積めないまま、退職するケースもある。
プロデューサーやディレクターは、基本的には音声や画面には姿を現さないので、番組内容の伝え手として画面に登場して語りかけるアナウンサーは、放送局の、あるいはその番組の「顔」として一番目に付きやすい。音声メディアであるラジオでも、当初は原稿の「読み手」として個性が要求されなかったアナウンサーに、次第に個人的なコメントを加える「パーソナリティー」の側面が期待されるようになった。
女子アナは「商品」!?
映像中心のテレビでも、アナウンサーに期待される役割は変化している。ニュースも含めてバラエティー化する放送番組のなかで、出演者としてのアナウンサーには個性が強く求められる。アナウンサーの個性を通じて、番組だけでなく、放送局の特色をアピールできるからだ。放送局は、新人女性アナウンサーをタレントとして扱い、視聴率獲得の有効な手段にしている。最近では女子アナという呼称が、女性アナウンサーをアイドル化する風潮とともに定着し、ベテランも含めた女性アナウンサー全体をも指している場合がある。「女性アナ」ではなく、「女子アナ」が広がった背景には、この呼称が便利な短縮形というだけでなく、アナウンサー職に求められる仕事内容の変化、数の増加と多様化がある。アナウンサーの商品化は女性に著しい。
ラジオ時代の「婦人アナウンサー第1号」
「放送ウーマンの70年」(日本女性放送者懇談会編 講談社)で歴史をたどろう。社団法人東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局(1926年に合同して日本放送協会(NHK)となる)が開局したのが1925年(大正14)。女性アナウンサー第1号は、翠川秋子(みどりかわあきこ)である。当時の新聞は「放送局に婦人アナウンサー」という見出しで伝えた。ただしアナウンサーとしての採用ではなく、雑誌編集などの職を経て、当初は制作スタッフとして働いていた、3人の子どもを持つ30代の女性であった。
翠川のアナウンサーとしての在職はわずか8カ月。出演男性との関係での誹謗中傷がかなり激しかったようだ。当時はセクシュアルハラスメントという言葉や概念自体がなかった。アナウンス内容についての男性上司からの注意をきかず、げんこつで殴られたことをきっかけに、辞表を書いたという(殴った男性は一度はクビになったが、翠川の退職後に復職している)。
アナウンサーは当時も人気の職業だった。1932年(昭和7)のNHK東京中央放送局の公募には1000人を超える応募があり、9人が採用されている。女性の採用は1名のみ。しかし第二次世界大戦中、男性が戦地に赴き不在となった放送局では、技術職も含めて女性が担った。アナウンサーも大半が女性だった。ところが男性が復職すると、女性たちは退職を強いられた。「放送の職場は男性のもの」という考えが強かったのだ。その後1987年まで、NHKでは女性技術職の正式採用はなかった。
ラジオの商業放送開始は1951年(昭和26)。女性アナウンサーの活躍の場が広がった。ただし「ニュースは男性のもの」だった。女性の読むニュースでは信頼を得られない、という理由が通る時代だった。女性が読むのは子どもニュースや婦人ニュースだけで、定時のニュースは男性アナウンサー限定という時期が続いた。初めての女性アナウンサーによる定時ニュースは、TBSラジオが1979年(昭和54)に開始した。
テレビ時代のアナウンサー
テレビの普及が加速したのは1959年(昭和34)。60年代には家にいる女性を主なターゲットにしたワイドショーが盛んになる。しかし、そこでの女性アナウンサーは「アシスタント」の位置づけであった。また、容姿や若さ偏重があり、女性アナウンサーのみに若年定年制をとる放送局もあった。女性たちは差別と闘い、仕事を確保してきた。NHKニュースは、男性のみから男性と女性が並んで伝えるスタイルになり、その後、男性と同様に女性が1人で伝える形もとるようになった。
「女子アナ」と「キャスター」の二極化
男女雇用機会均等法の施行(1986年4月1日)により、放送局での女性採用も進んだ80年代の後半からは、民放で、安藤優子、井田由美、久和ひとみ、田丸美寿々らが、報道番組のメーンキャスターとなっていく。80年代後半は「女性の時代」といわれ、女性アナウンサーの活躍はそれを印象づけた。しかしその一方で、「女子大生ブーム」など、テレビ画面上にトレーニングを受けない素人の女性を登場させ、人気を得る手法も取り込まれ、同様の流れのなかで「女子アナ」もまたブームになっていく。それは若者のテレビ離れの進行を食い止めるための戦略でもあった。
「ドジ」で「可愛い」女子アナである限り、活躍時期は短い。つまり、実際のところ女子アナは、女性アナウンサーの短縮形ではないのである。「男性アナ」は一生の職業、「女子アナ」は「若い女性のお仕事」という暗黙のルールがある。放送業界における女性の立場をはっきりと示す「女子アナ」は、キャリア志向で就職を目指す女子学生にとっては魅力をもたない。ただし、いずれは鑑賞用の「男子アナ」も登場してくるのかもしれない。