大震災を乗り越えてなお伸長
いま、日本酒が海外で大売れしているのをご存じだろうか。財務省の貿易統計によると、2011年の日本酒輸出量および輸出額は、ともに過去最高を更新。3月11日に起きた東日本大震災、それに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、輸出が一時ストップしたり、円高の逆境にもさらされたものの、輸出量は前年比1.7%増の1万4013キロリットル、輸出額も3.2%増の87億7000万円に達した。最も多く輸出している国はアメリカで、最近はカナダやオーストラリア、シンガポールなどへも広がりをみせている。ヨーロッパでは、イギリスやドイツで人気が高い。一方で、アジアに目を向けると、ここ数年は韓国での販売量の伸びが著しい。その背景には、日本で韓流が流行するのと同じように韓国でわき起こっている日流ブームにのって、刺し身や焼き鳥など日本食を提供する居酒屋が急激に増えたことが挙げられる。観光で日本を訪れ、日本酒のおいしさに魅せられた人も多いと聞く。台湾や香港においても好調だ。
国内消費が伸び悩んでいる一方、欧米やアジア諸国では、日本人も驚くほどの日本酒ブームが起きているのだ。
アメリカで始まった日本酒ブーム
私の蔵は岩手県二戸市で1905年に創業した「南部美人」という、年間生産量約2500石(1升瓶25万本=450キロリットル)の造り酒屋である。海外への輸出は、98年から始めた。現在は、アメリカをはじめ21カ国と取引を行い、海外販売は全売り上げの約10%におよんでいる。とはいえ、最初から受け入れられたわけでは、もちろんなかった。
たとえばアメリカの場合、70年代からSUSHIレストランに代表される日本食のレストランが徐々に増え始めていた。が、そこで飲まれていたのは、カリフォルニアなど現地の清酒工場で生産された経済酒と呼ばれるもの。お世辞にも「おいしい」とは言えない酒である。しかし多くのアメリカ人は、これを熱燗(あつかん)にしたHOT SAKEを日本酒だと思っていた。
より本格的な日本酒を飲もうと思えば、観光客や駐在員など、アメリカに滞在する日本人向けのレストランに行かねばならず、そこはサービスも営業スタイルも日本式で、一般のアメリカ人には利用しにくい場所だった。しかも、日本酒を高い値段で売るため、「八海山」「久保田」など名の通った有名銘柄しかおかない。客のほうも、無名の銘柄には手を出したがらない。だから当時、私たちのような地方の酒蔵が入り込む余地は少なかった。
そうした中、2000年代前半からニューヨークやロサンゼルスに、「ノブ(NOBU)」や「メグ(MEGU)」といった、ウエーティングバーやコートクロークを備え、メニューなども英語でわかりやすく書かれた高級日本食レストランが相次いでオープンした。もともと健康志向の高いアメリカでは、低カロリーでヘルシーな日本食が関心を集めていたこともあって、人気は上昇。と同時に、このころからホンモノの日本酒が急速に売れ出したのだ。
愛称が生んだ思わぬヒット
そもそも海外での日本酒ブームは、日本食人気が大きな追い風になっていることは言うまでもない。フランス料理にワイン、中国料理に紹興酒というように、料理が浸透して初めてその国の酒が支持されるのだ。新しく誕生した、アメリカ人が行きやすい高級日本食レストランでは、来店する客は日本酒に対する先入観がないので、有名無名にかかわらず飲んでおいしいと思えばファンになってくれる。そこで私たちは、こうした店をターゲットに大吟醸や純米酒を積極的に売り込んでいった。
まずは自分の蔵の吟醸酒を持ち込み、白ワインのように冷やしてグラスで提供してみた。すると皆一様に、「今まで飲んでいた日本酒とは全然違う!」「米で造った酒なのに、なんでフルーツのようなフレッシュで華やかな香りがするの!?」と、そのおいしさに感嘆してくれたのだ。
これなら商売になる。だが、もうひとつ大きなハードルがあった。アメリカ人はそもそも日本語の発音が苦手である。私たちが提供している「南部美人(Nanbu-Bijin)」という酒も、うまく発音できないのだ。発音できなければ注文してもらえない。
そこで考えた。アメリカ人はニックネームが好きだ。それならば「南部美人」のラベルネームを「サザン・ビューティー(Southern Beauty)」という愛称に改め、呼びやすくしてみたのだ。
自社の名前を捨てるという決断を強いられたわけだが、結果的にアメリカではこれが成功した。以来、Premium Sakeと呼ばれる1本720ミリリットル5000円程度の吟醸酒が売れ出し、1本1万~2万円の銘柄が飛ぶように売れる店も出始めた。
貴重なガラパゴス文化「日本酒」
海外における日本酒消費の9割は、日本食レストランでのもの。食文化と酒は、どこの国に行っても切っても切れない縁にある。そこで私たちは現地のレストランに足を運び、スタッフを対象に日本酒セミナーを開催。ソムリエのように、接客を通して、客に酒の説明や造り手の思いを伝えてもらうための活動を行ってきた。01年に全米最大の利き酒イベント「ジョイ・オブ・サケ(Joy of Sake)」が始まり、酒販店や飲食店などが主催する試飲会やセミナーも数多く開催されるようになった。私たちの活動が、その草分けを担ったと思う。さらに近年、日本酒人気を受けて、国際的な酒の品評会に日本酒部門が設けられるようになった。イギリスのロンドンで、毎年4月に開催される世界最大規模・最高権威の国際ワインコンクール(International Wine Challenge ; IWC)では、07年よりSAKE部門を創設。11年は205蔵468銘柄が出品した。世界16カ国のワイナリーがエントリーするWINE部門に対し、SAKE部門にエントリーしたのは日本の酒蔵のみ。つまり日本酒は、他の国にはない固有の飲み物として、世界に華々しくアピールできたのだ。
外務省も、日本酒のPRに向けて本格的に動き出している。世界中の日本大使館や総領事館などで行われる天皇誕生日のレセプションで、乾杯にワインではなく日本酒を出してもらえるようになった。
今後、日本酒の海外需要は、ますます拡大していくだろう。