もう一方では、「遠野物語」の柳田國男(やなぎたくにお 1875~1962)や博物学者南方熊楠(みなかたくまぐす 1867~1941)、国文学者で歌人の折口信夫(おりくちしのぶ 1887~1953)らが始めた「民俗学」における「妖怪・怪異」研究として展開された。
同じ頃、「霊感」について科学的な研究を開始した日本人は福来友吉(ふくらいともきち 1869~1952)であった。福来は東京帝国大学(現・東京大学)文学部心理学助教授として、催眠の研究から「千里眼」(透視)や「念写」の実験を行うようになったが、御船千鶴子ら「能力者」によるそれらの実験が物理学者などから詐欺呼ばわりされて、東京大学助教授の職を辞した。
福来は、『メンタル・ポッシビリチー』と題する講演録の中で「面白い心」について言及し、「千里眼」を「仏教でいふ根本識、自分は識原と名ける。吾々の五感はなくとも、識原にかへればちやんと見いもし、問いもする(原文ママ)」と述べている。根本識とは、世界を主観的に存在させている知覚・意識・無意識などを指す「識」の根本で、宇宙万物の展開を担うとされる「アーラヤ識(阿頼耶識)」を指す。福来はこれと「千里眼」を結びつけ、それを「識原」と名づけて、認識の根源と位置づけているのである。福来にとって「千里眼」とは、千里眼=透視能力の研究とは、認識の根源にあるものを探り、人間の潜在能力の可能性、すなわち「メンタル・ポッシビリチー」(「センチメンタル・ポシビリチー」とも表記)を探求することにほかならなかったのだ。
のちの「民藝運動」の提唱者柳宗悦(やなぎむねよし 1889~1961)も、福来の研究に魅かれて東京帝国大学に入学し、精神感応、透視力、予覚、自動記述、霊媒、心霊による物理現象や妖怪現象などの超常現象についての「変体(変態)心理学(parapsychology 現在でいう超心理学)」的実証研究をしようと思っていたが、福来の失脚で挫折を余儀なくされた。
1910年(明治43)、柳は自身も創刊に参加した文芸誌『白樺』に発表した「新しき科学」と題する論文の中で、「人生観上に影響す可き科学」として、「生物学に於ける人性の研究と、物理学に於ける電気物質論と変体心理学に於ける心霊現象の攻究」の3つを挙げている。そしてとりわけ、死後の霊魂の存在をも証明するという「変体心理学」による「心霊現象」の研究に、人間研究の未来の可能性を見た。戦後の日本では、超心理学者でインドのヨーガに造詣の深い本山博(もとやまひろし 1925~)や、ユング研究で知られる哲学者湯浅泰雄(ゆあさやすお 1925~2005)らの研究を受けて、1991年に人体科学会が設立され、今日に至っているが、「霊感」の研究はまだまだ途上にあると言ってよい。
参考文献
鎌田東二『神界のフィールドワーク――霊学と民俗学の生成』青弓社、1987年(99年に同名でちくま学芸文庫)
湯浅泰雄『身体――東洋的心身論と現代』講談社学術文庫、1990年
鎌田東二『身体の宇宙誌』講談社学術文庫、1994年
鎌田東二『呪殺・魔境論』集英社、2004年(13年『「呪い」を解く』と改題し文春文庫)
鎌田東二『聖地感覚』角川学芸出版、2008年(13年に同名で角川ソフィア文庫)
「身心変容技法研究会」HP:http://waza-sophia.la.coocan.jp/(2013年10月25日現在)
人体科学会HP:http://www.smbs.gr.jp/(2013年10月25日現在)