心に吹き込まれる力
「霊感」(inspiration)とは何か?漢字を文字通りに読めば、「霊を感じる」とか「霊に感応する」と読むことができるが、それは、一般に、目には見えない不思議な力と作用によって、理性的・分析的な認識や判断を超える知や感覚を獲得することを意味している。英語の“inspiration”の方は、中へ(in)+息を吹き込む(spire)ことで、「霊」(spiritus)が吹き込まれることという含意を持っている。ギリシャ語で「霊魂」を表す「pneuma プネウマ」も、ラテン語の「スピリトゥス」も、ともに「呼吸・息・風」と関係しているので、「霊感」とは目に見えない力や情報が風や呼吸とともにどこからともなく心の内部に吹き込まれ、入り込んでくる様態を表していると言える。
それを少し専門的に、「超感覚的な知覚」(extrasensory perception;ESP)ということができるだろう。つまり、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚などの五感を超えた感覚、「第六感」。夢の知らせ(夢枕、正夢)、虫の知らせ、お告げ、啓示、神懸り、帰神、直観(直感・直覚)などもそれに類する語であり現象である。いわば、「不思議感覚」の源泉が「霊感」ということだ。
古代日本の霊感者たち
それでは、日本人で「霊感」に秀でていた人は誰であろうか? 最初に挙げなければならない人物は卑弥呼(ひみこ)である。卑弥呼は「鬼道」に通じていたという。『魏志倭人伝』の中に「事鬼道(きどうをこととし)、能惑衆(よくしゅうをまどわす)」とあるので、シャーマン的女王として人々に神託を告げ知らせて国を治めたが、それが中国の使節には民衆を惑わす迷信的な所業と映ったのだろうか。続いて、『古事記』の中に出てくる「霊感」の強い存在は、芸能の女神とされる天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と、応神天皇の母とされる神功皇后(じんぐうこうごう)である。アメノウズメノミコトは「神懸り」して胸乳と女陰をあらわにし、天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大御神(あまてらすおおみかみ)を再出現させる役割を果たした。これが「神楽(かぐら)」や「鎮魂」の起源「わざをぎ」(魂を招き寄せる呪術的ワザ)とされる。神功皇后も「帰神」(神と一体化)して神託を宣(の)べ伝えたと記されている。
一方、『日本書紀』には、予知能力を持った「霊感者」が2人登場してくる。孝霊天皇の皇女で卑弥呼に比定する説もある倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)と、上宮厩戸豊聡耳太子(かみつみやうまやどのとよとみみのひつぎのみこ)、すなわち聖徳太子である。ヤマトトトヒモモソヒメノミコトは「聡明叡智(そうめいえいち)」を持ち、「能識未然」(よくゆくさきのことをしる)の予知能力を持っていた。それに対して、聖徳太子もきわめつけの超能力の持ち主で、生まれながらにして言葉を話し、「聖智」があって、一度に10人の訴えも聞き分け、加えて「兼知未然」(かねてゆくさきのことをしる)とされ、こちらも予知能力を持っていたと記載されている。
このような女神や女王や姫や太子が、日本古代史を彩る「霊感者」(「霊能者」)である。
宗教と霊感
日本に道教や仏教が入ってくると、大峰修験道(おおみねしゅげんどう)を開いたとされる役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)や、白山を開いたという泰澄(たいちょう)、日光を開いたという勝道(しょうどう)、高野山を開いた弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)や、陰陽道(おんみょうどう)の安倍晴明(あべのせいめい)、唯一宗源神道(ゆいいつそうげんしんとう)の大成者、吉田兼倶(よしだかねとも)などの、修行者的霊感者も多数出現することになる。世界に目を転じると、神の声を聞いたノアやアブラハム、モーゼ(モーセ)、サムエル、イザヤなど旧約聖書の預言者たちも「霊感者」であると言えるし、啓示を受けたイエスやムハンマドも「霊感者」である。もちろん、神の独り子として神が人に受肉(肉体をまとうこと)したとされるイエス・キリストは、単なる人間ではないという信仰上・神学上のキリスト論的位置づけはあるが、究極の「霊感」に満たされた神人と言うこともできるだろう。
キリスト教神秘主義の伝統の中では、世界創造以前の神は無であるとする「神性の無」を説いたドイツの神学者エックハルト(1260頃~1328頃)や、キリスト教と錬金術の融合を図ったドイツの思想家ヤーコブ・ベーメ(1575~1624)が挙げられる。
また神との神秘的合一を目指すイスラーム神秘主義のスーフィズムでは、存在を神自身の顕現ととらえる「存在一性論」を唱えた哲学者イブン・アラビー(1165~1240)などが神の「霊感」に満たされた人たちであった。
日本の霊感研究
「霊感」についての実証的研究は、日本では近世の国学者平田篤胤(ひらたあつたね 1776~1843)に始まる。膨大なその著書の中では、密教研究書『密法修事部類稿(みっぽうしゅうじぶるいこう)』や、異界や妖怪について取材・考察した『仙境異聞(せんきょういぶん)』『勝五郎再生記聞(かつごろうさいせいきぶん)』『古今妖魅考(ここんようみこう)』『稲生物怪録(いのうもののけろく)』などを挙げることができる。それが明治になると、一方で神道霊学の祖とされる本田親徳(ほんだちかあつ 1822~89)や、その流れをくむ大本教(おおもときょう)の教祖出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう 1871~1948)、英文学者で大本を経て心霊科学研究会を創設した浅野和三郎(あさのわさぶろう1874~1937)、同じく大本に入信し、のちに宗教団体神道天行居(しんどうてんこうきょ)を興した友清歓真(ともきよよしさね 1888~1952)といった人々により、「霊学」や「心霊研究」として展開された。