自ら「伝統芸能の道具ラボ」を立ち上げ、道具の維持、復元に取り組む田村民子さんが選んだ道は、「新素材」×「新技術」。伝統芸能の世界と、異なる業種をつなぐ田村さんの挑戦を紹介する。
歌舞伎は手仕事の宝庫
「花魁の櫛」というちょっと珍しいアイテムを道しるべとして、これから伝統芸能の「道具」の世界へご案内したいと思う。まずは歌舞伎とは何かからはじめよう。歌舞伎は、江戸時代初期に生まれた芸能である。文化というものは上流階級によって育まれることが多いが、歌舞伎は徳川の長い治世でゆとりを持ち始めた庶民に支えられて発展した。
演劇という俯瞰(ふかん)の目から歌舞伎を見ると、ユニークな特徴がいろいろある。他の演劇と比べてストーリーよりも「役者を楽しむ」要素が強いこと。それから、精緻(せいち)な衣裳や小道具、大道具などのステージクラフトによって作り上げられる絢爛(けんらん)豪華で古色あふれる舞台空間も歌舞伎の大きな魅力であり特徴である。
歌舞伎の舞台には、遠く失われてしまった江戸の町並みや吉原の風景、武士の凛々しい姿や町娘のつつましやかな仕草などが次々と表出する。江戸の文化風俗を生きた状態でとどめているともいわれ、噺家(はなしか)も勉強のために観劇するという話を聞いたことがある。そういう風情や空気感を作り出しているのが「道具」なのである。
それから歌舞伎は、お客を驚かせようという精神が強い。江戸時代から道具もお客の目を楽しませようと多くの工夫が凝らされ、俳優の芸と同じように磨き上げられていった。
現代において、それらの道具を作っているのは「裏方」と呼ばれる人たちだ。彼らが仕事をする上で一番大切にしているのは、舞台上の俳優が魅力的に見えること。ライターとして彼らの現場を取材していて、思わず道具をほめると、決まって「裏方の仕事をほめられては失敗。役者がよく見えなきゃ」と言い返されてしまう。
余談になるが、私がどうして伝統芸能の道具というマニアックな世界に深入りすることになったかを少しだけお話ししよう。
はじめは趣味のお稽古事として能や長唄三味線に親しんでいたのだが、ひょんなことから歌舞伎の仕事に関わるようになった。もともとものづくりの現場を取材することが好きだったのだが、そこに「裏方」という超日本的な手仕事ワールドが広がっていた。働く人たちも人間臭くて魅力的。いっぺんで惚れ込んでしまったのだ。
取材を重ねると裏方の世界にも顔なじみが増え、つっこんだ話もできるようになった。だがそれにつれて、小さな不安が生まれてきた。どのジャンルの裏方も、多種多様な道具や用具、素材を扱うが、それらのなかで作り手がいないものや、調達できない素材が増えてきているようなのである。
たとえば衣裳に使う特殊な布地や針。昔の雨具の蓑(みの)も歌舞伎ではよく登場するが、その作り手がいないなど。しかも、そうした問題に具体的な対処がなされていない。
せっかく現代まで高い質の道具が受け継がれてきたのに、なくなってしまう道具が出てきたり、質の落ちた代用品にとってかわったりしかねない。このままでは、まずい。そう感じて、2009年より道具の復元や調査を行う非営利活動「伝統芸能の道具ラボ」(以下、道具ラボ)をはじめた。
櫛の作り手がいなくなった
歌舞伎は女性の役も男性によって演じられる。男が女に変身するにあたってなくてはならない道具のひとつに「かつら」がある。たとえば花魁の役では、たくさんの飾りのついた独特のかつらをかぶる。歌舞伎のかつら、つまり髪型の種類は驚くほど多く、1000種類以上ある。そして「この演目のこの役は、この髪型」といった具合に細かな決まり事があり、それに従って公演ごとに新たに作られている。かつらの髪は主に人毛。これを床山(とこやま)という裏方が結い上げ、かんざしなどを飾って、かつらが完成する。
それらの飾り物の使い方にも細かな約束事がある。写真1の花魁のかつらの場合は、大きな櫛が3枚、かんざし類が17本もつけられている。櫛やかんざしは、役によって微妙に形や大きさが異なるため、床山はたくさんの種類を用意しておかなくてはならない。
櫛やかんざしの素材は、木や金属などいろいろあるが、花魁のかつらには黄色みの強い半透明のものが使われている。これはもともとはベッコウという素材で作られていたが、現在はプラスチックのような人工素材に代わっている。
ベッコウは、タイマイという海亀の一種の甲羅が原料。飴色の独特の美しさがあり現在でも装飾品として珍重されている。しかし、タイマイは希少価値の高い野生生物であることからワシントン条約などの国際条約によって取り引きの制限がされている。そしてなにより値段が高い。そのような理由から、歌舞伎の世界では次第に使われなくなったものと思われる。
文書による記録がないので詳細は不明であるが、最初はセルロイドという素材でベッコウに似せた櫛やかんざしが作られるようになった。しかし発火性などの問題から次第に衰退し、最近ではアセテートという樹脂素材が主流になっている。アセテートでも、ベッコウによく似た色を再現することができるが、本物と並べるとやはり微妙な差がある。
先述したように歌舞伎の櫛やかんざしは、種類が多い。少しずついろいろな形が必要なのだ。たとえば1種類の櫛が1万個ほど欲しいのであれば、鯛焼き器のような金型を作ればコストの安い大量生産ができる。しかし多品種を少量欲しい場合は、金型を作っていては金型代が高くつくため採算がとれない。それで専門の加工職人が一つずつ手作りをしていた。
ところがその職人がどんどん廃業してしまったのだ。理由は、高齢化によるものであるが、おそらく儲からないため後継者が育たなかったことが真実ではないかと思う。
以前、ベッコウ細工の本場である長崎に調査へ行ったのだが、製作所の直営店のショーケースをのぞいてみると、サイズが大きく細工の凝ったベッコウのかんざしは70万円くらいしていた。単純に比較はできないが、歌舞伎で使うアセテートのかんざしは、それと比べると値段ははるかに安い。素材そのものの価値が低いからだ。
一方、購入する側の床山にも経営というものがあり、予算に限りがある。歌舞伎の公演では、道具も強いライトにさらされるなど特殊な状況におかれるため、消耗は想像以上に激しい。かんざしや櫛があまりに高価になると継続的に購入することができない。床山は昔と同じように安くてよい品が欲しい。しかし、作り手側はそれでは経営がたちゆかない。根底には、経済の問題が横たわっているのだ。
手さぐりでの復元がスタート
櫛やかんざしの作り手がいなくなり、床山たちもいろいろ模索していたが、なかなかよい打開策はみつかっていなかった。そこで床山から相談を受けて、道具ラボが新しい製作ルートを開拓することになった。2010年6月のことだった。まずは若いジュエリー職人をスカウトして、これまでと同様に手作業で作れないか試してみた。
助六
歌舞伎の宗家とされる市川團十郎家のお家芸である「歌舞伎十八番」の一つ。吉原が舞台で、侠客の助六と花魁の揚巻(あげまき)がメインの登場人物。江戸文化の「粋」がたっぷり感じられる華やかな人気演目。1713年(正徳3)初演。